Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

韓国二話

2011-09-30 06:40:05 | 未分類
内容は埋め草です。

第一話 通貨スワップ?

昨日の日経の署名記事「ドル枯渇、韓国は本当に大丈夫か」(2011.09.29)の記事中に『韓国の企画財政部は同日午前、大手輸出企業の財務担当役員を政府総合庁舎に集めた。 大手企業が輸出代金として得たドルを抱え込まず、市場に放出することを促した。ドル調達に 困った銀行や中堅・中小企業が資金を手当てできるようにするための苦肉の策である。』とありました。

韓国の8月末の外貨準備は3122億ドルと公表されていますが、9/23に韓国当局はドル売りウォン買いの市場介入をした結果、3000億ドル割れか?と報じられています。(「韓国の外貨準備高、3000億ドル割れか」2011.09.27朝鮮日報)

前掲日経の記事に、韓国は「ドル建ての与信残高1100億ドル」、また「短期対外債務1497億ドル」あり、与信残高のドル資金が取れなくなる事態は、悪夢以外の何ものでもない、と。
つまり1997年の対外債務不履行( デフォルト)いわゆる国家破綻の再来の可能性があると指摘していると考えます。

欧州債務危機に端を発し新興国は資金流出と通貨安に襲われていますが、以前にも書きましたが韓国の外貨準備高の債権にはジャンク債がかなり含まれていますから、韓国企画財政部は次の手(米国、日本等のスワップ)を考えているようです。(「韓国の与党元代表 通貨スワップの常設化を」2011.09.28中央日報)

経済についてはド素人ですが、この島国の対外債権(平成20年度約225兆円)と韓国の希薄な対外債権を較べるまでもなく、経済の厚みのようなものの差を覚えます。

第二話 反日・嫌日それとも?

9月27日に韓国・全州で行われたACL準々決勝・全北―C大阪戦の一葉です。


「日本の大地震をお祝います」(原文ママ スポニチ9/29より)

この観客は、布を用意し、フレーズを考え、翻訳し、書きあげて、スタジアムに持ちこみ、手摺に下げ・・・・

サッカーの試合とか民族とかに関係なく、人間の抱え込んでいる「闇」が表象されていると考えます。
この一葉は、発する言葉が無いことを切り取ったのかもしれません。

それでも、この表象に何かを発語しなければと考えます。

(2011.09.30記)


ニュートリノ

2011-09-29 06:47:49 | 未分類
欧州合同原子核研究機関(CERN)の「OPERA実験」において、ニュートリノが光の速度より速く飛んでいるとする観測結果があることが報道され、自分もちょっと興奮しまして「観測結果が事実なら現在の物理学を根底から揺るがす可能性あります。」と書きました。(2011.09.24共・有時試論 その23)

ちょっと考えると、質量とエネルギーの等価性のE=mc?(エネルギー(E) = 質量(m)×光速度(c)の 2乗)の光速度(c)をニュートリノの速度に置換えるだけのことに思えます。
つまり、光速度を前提にしていたことを、光より速いニュートリノ速度を前提にするだけでは、と。

約三十年前のサイエンス日本語版で、神岡鉱山地下での観測論文に、一次宇宙線(陽子)が大気圏に入り(ほとんどは大気に吸収)、粒子と衝突し二次宇宙線が発生しますが、神岡鉱山地下の観測された写真乾板に、奇妙な事例がある、との内容でした。

『その衝突が起こる前に、その衝突による二次宇宙線の軌跡が写真乾板にあった。』と。
つまり、結果(二次宇宙線)の後に原因(衝突)が発生したことになります。

昔日この論文を読み、観測精度と技術的な疑問もありましたが、古典力学の因果律の法則に限界があることを目の当たりにしたとの記憶があります。


この宇宙は、未知が溢れているニャァ~。

カルト新聞にカルト記事がありました。

『光速超えるニュートリノ 「タイムマシン可能に」』(2011.9.24 産経)
『ニュートリノが光よりも速いという実験結果。光よりも速い物体が存在することになれば、アインシュタインの相対性理論で実現不可能とされた“タイムマシン”も可能になるかもしれない。』

ニュートリノが到着したイタリアの時刻は、ニュートリノが飛び出したスイスの時刻より前になるタキオン(tachyon 超光速で動くと仮定されている粒子)が観測されたなら理解できますが、ニュートリノが光よりちょっとだけ速かっただけでタイムマシンとは、この記者はあまりにも無知です。

『「現代の理論物理がよって立つアインシュタインの理論を覆す大変な結果だ。本当ならタイムマシンも可能になる」と東大の村山斉・数物連携宇宙研究機構長は驚きを隠さない。』

村山斉氏がこのような笑える談話をしたのでしょうかね、ニュートリノの実験結果にタキオンを仮定しての話ならあり得ますが、無知の記者もどきが村山斉氏の話しを理解出来なかっただけでは、と考えます。

この新聞社にはカルト部はあっても科学部は無いのでしょう。


共・有時試論 その26

2011-09-28 06:30:47 | 異形の滓
5-6 今、ここへ

突然ですが中断します。

権力を停止する個としての営為、個としての意味、在る自己等について、「5-5 今、ここへ」以降に展開するため、箇条書きメモからの抜き出しとアウトラインは7月には終えていました。

8月に入ってから一本も文章化ができていません。

文章が支離滅裂に読めてしまう難解さ(?)に溢れたものと逆説的メタファのフレーズが混在した質です。

ウィトゲンシュタインの論理哲学論考の最後に「語れないことは、黙ってろ。」の旨があります。
前回書きましたように、先哲はそれでも語っています、逆説的なメタフアとして。

逆説的なメタフアの首を切り落とすことは出来ていないことを、再認識する始末で、「はじめに」に記したとおりです。

安易なメタファのフレーズを抜き出し、一端中断します。

在るは、問うても問わなくとも在る。

(2011.08.03記 後日一部追記)


安直な暗喩だなぁ、肝心な事が、 ワオォ~ン


追 記
逆説的なメタフアの首を切り落とすためには、その欲望を破壊しつくすことが必要なのでしょうが・・・ ちんたらちんたら続きにトライ。

(2011.09.28記)


福島原発事故

2011-09-27 00:35:50 | 東電 柏崎・福島原発の放射能漏れ
「福島の原発事故をめぐって」(山本義隆 みすず書房)と「福島原発でいま起きている本当のこと」(淺川凌 宝島社)を念頭に『死の町』(2011.09.13アップ)で『東電、政府と市井人との間には、「溝」、「ねじれ」があります。』と書きました。

リンクしています晴走雨読氏が取り上げており(「福島の原発事故をめぐって」2011-09-18付け)、自分なりの読後感をメモしてみます。

「福島の原発事故をめぐって」(山本義隆 みすず書房)は、国、政治屋、通産官僚、御用学者、東電、マスコミと市井人とはネジレていますが、その市井人ともネジレています。



同著の引っ掛かったフレーズを幾つかを『 』で抜き出します。

・『科学技術とは科学理論の生産実践への適用』  27P
・もんじゅのナトリウム漏洩事故の原因である『温度計のさや管の設計ミスに、町工場の職工さん自身が自身の経験から気づき』47P
・ベーコンの『職人や技術者による発明が理論的な指針にもとづかず「偶然でふとしたはずみによるもの」であったという目的意識や計画性の欠如を、その限界として指摘する。』67P
・核爆弾と原子炉は『完全に科学理論に領導された純粋な科学技術が生まれたことになる。』、『職人や技術者が経験主義的に身につけてきた人間のキャパシティの許容範囲の見際めを踏み越えたと思われる。』89P
・ 大地震、大津波、原発事故は『科学技術は万能という十九世紀の幻想を打ち砕いた。』『私たちは古来、人類が有していた自然に対する畏れの感覚をもう一度とりもどすべきであろう。』91P

「科学技術とは科学理論の生産実践への適用」と「自然に対する畏れ」とが断裂しています、また、科学技術が万能なんて机上の幻想に過ぎず市井人には戯言の類で打ち砕く以前のものです。

・先進国の資源、エネルギーの消費は許されるのではなく『根本的に新しい社会のあり方を見出すべ時がすでに来ていたと考えるべきである。』93P
・ この国は『脱原発社会、脱原爆社会を宣言し、そのモデルを世界に示すべきであろう。』94P

この二つのフレーズを書く立ち位置は思考停止そのものであることに気づかないのでしょうか、モデルのアウトラインくらいは提言すべきであり、単に著者の裡での科学、自然、文明、自己の思惟が停止しているだけです。

・「あとがき」に『あらためて考えた原子力発電に反対する理由です。』

ひと言、「あらためて考えた」にしてはお粗末すぎます。

「福島原発でいま起きている本当のこと」(淺川凌 宝島社)の読後感ですが、国、政治屋、通産官僚、御用学者、東電、マスコミと市井人とがネジレていることが如実に浮かびあがります。

同著に、東電のスタンスは市井人に福島原発事故への関心を無くすることであり、また、御用学者より信頼できるとしている小出裕章氏の「地下ダム」の見解は液状化する危険性があり、現場の常識を知らない学者の限界を指摘しています。



引っ掛かったフレーズをひとつだけ『 』で抜き出します。

・除染は、作業員、主任指導員の著者自身も『シャワー室で身体を洗い流した後、ヒゲや体毛の毛穴から入った放射性物質を流すため、硬いタワシでゴシゴシと血が出るまでこするのです。』52P

同著を読みますと「福島の原発事故をめぐって」(山本義隆)は机上の戯言であり思考停止そのものであることが鮮明になります。

好きなことを書きましたが、自分自身は「非原発、非原爆」であり、自分の生活の問題そのものと考えていますので、山本義隆の著書に「知識」を、淺川凌の著書に「知」を読みました。

生活が質ある「今」となるのは、「知識」ではなく「知」そのものです。

(2011.09.23記)


共・有時試論 その25

2011-09-26 06:28:38 | 異形の滓
5-5 今、ここへ

在る自己は、先哲の吉本隆明の「自己問答」、大森正蔵「命を賭けなければ命はない」パスカル「哲学を馬鹿にすることが哲学」ニーチェ「もっとも遠いものは自分自身」等の逆説的比喩でしか語りえないことを物語っています。

瞬間の前衛だけが、権力の停止たる社会変革を明日から訪れさせます。
今、ここへめり込む事柄は、ただ深淵なる、ただ深淵なるそのもの。

敗戦後の東京は、約350万人の人口でしたが、現在は1,200万人以上います。
要因は自然増減、社会増減、所属変化があり、高度経済成長による社会増が大きな理由と考えます。
これは地方の共同体の限界を物語っており、濃密な地縁共同体からの脱走と見ることができると考えます。

自分は「群れる」ことが苦手というより嫌悪感があり、敗戦後のこの島国の人々は共同体を否定し脱走したと見るところがあります。

で、ふたたび共同体を考えるときに「群れる」ことのない「群れ」を妄念することになります。

非権力、非権威は、組織を無化します。

逆説的比喩の首を落とすのは、狂人の幻視だけではとの思いを払拭しきれません。
そのためには、「3-6 労働について」メモしました「負の止揚」が登場します。



再度、思念し続ける、ただひたすら思念し続ける、価値観、存在、異なっていても、ただ一人でも多く、としておきます。