Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

ビブリア古書堂の事件手帖

2013-02-28 20:06:58 | 未分類
ちょっと一服 No.122

PCの電源を入れない日々が、気付くと今月も今日で。
先週末から読んだ本の中から何冊かのレビューを考えましたが、珍しくテレビドラマを。

雑読と沈思黙考等と「大きな物語」のメモの日々に明け暮れています。

テレビドラマはほとんど観ないのですが、録画していた「ビブリア古書堂の事件手帖」(原作 三上 延)をまとめて観ました。

一見すると違和感のある顔立ちの剛力彩芽ですが、見慣れると違和感が消失しました。


剛力彩芽の芝居は、「無表情」、「微笑み」、「驚き」の三パターンの組み合わせで演技していますが、相方のAKIRA(EXILE)が何とも言えない(好感ある)芝居をしています。


第一話から第七話まで取り上げられた本は次の通りです。

第一話 夏目漱石 『それから』
 *学生時代に読みました。
第二話 小山清 『落穂拾ひ』
 *初見です。
第三話 ヴィノグラードフ・クジミン 『論理学入門』
 *初見です。
第四話 宮沢賢治 『春と修羅』
 *学生時代に読みました。
第五話 アントニイ・バージェス 『時計じかけのオレンジ』
 *映画は観ましたが原作は読んでいません。
第六話 太宰治 『晩年』
 *中学のときに読みました、高校のとき太宰の全作品を読みました。
第七話 足塚不二雄 『UTOPIA』
 *初見です。

初見の本は改めて買い求め読む気はしませんが、夏目漱石、宮沢賢治、太宰治の本が取り上げられていると、それぞれ固有の彩があり黒春の季節が過ぎります。


ちょっと一服 No.121

2013-02-07 09:43:00 | 未分類
先週末から読んだ本の中から何冊かの「走り書き」を下書きしましたが、本を読んで呼吸しているだけではありません。

てな訳で、一月に購入したCDから何枚かを

日ごろBGMのように様々な音楽(主にピアノ曲)を流していますが、たまに流すボーカル曲(女性歌手)で、歌詞の意味等について彼女の漏らす言葉がピンと来ない時が多々あります。

女性の声を楽器の音色として聞いており、歌詞そのものを聞いていないため彼女の漏らす言葉が理解できないのだと思っています。


「Come Away With Me」Nora Jones


「COMPLETE BEST」小野リサ


「バラー丼」いきものがかり

Billie HolidayのバックをしていたこともあるMal Waldronの「Left Alone」、「All Alone」はしっとりと乾いている(変な表現ですが)ソロアルバムでお気に入りです。これは初期のQuintetの演奏です。


「MAL-1」 Mal Waldron Quintet   


体 罰 追記

大正14年の陸軍現役将校学校配属令および昭和16年に尋常小学校が国民学校に改悪され軍事教練が組み込まれました。
体罰(=犯罪)蔓延の原因がここにもあります。

全柔連、JOCの当事者能力の無さには呆れます、JOC会長に文部科学大臣が意見している映像が流れましたが、「世が世なら」とつい笑ってしまいました。


体 罰

2013-02-04 18:03:09 | 未分類
ちょっと一服

教師による子供への暴力(=犯罪)について、呆れるほどの量が報道されています。
これらを見聞きして、氷山の一角が露見したと考えます。

明治維新後、教育令第46条(明治12)、小学校令第47条(明治33)、国民学校令第20条(昭和16)、そして現在の学校教育法11条に体罰禁止が法制上明文化されています。

教師の質には何ら期待するところはありませんが、退職金減額に伴う学期途中での退職に対して、「労働者」、「聖職者」の視点から様々な意見が出ていますが、お門違いと考えます。

教師は「労働者、聖職者である前に人間である(先立つ)」視点が皆無です。教師の暴力(=犯罪)についても、このことを教師自ら自覚していない当然の結果と考えています。
ミッシェル・フーコーの「監獄」、「権力」を持ち出すまでも無く、規範、統制、監視のシステムの職業(再生産)に化していると考えます。

「いじめ防止対策基本法案(仮称)」では、重大事案は学校、教育委員会が市町村長への報告を義務付けていますが、全国の教育委員会は何故異議、反対をしないのでしょう、行政委員会制度を導入している意義を認識していないのでしょうか。

教師も教師なら教育委員会も教育委員会と考えます。

維新後の学校教育は、体罰厳禁に貫かれていますが、教師自ら踏み躙っている原因は教師自身にありますが、敗戦後半世紀以上経ちますが軍隊内務書による軍隊教育における体罰・陵辱が、色濃く残っていることが背景にあると考えます。

その残滓である良い(悪い?)典型が、「連帯責任」(無責任の極みです)です。「東電=原子力ムラ」は原発メルトダウンに関して誰一人として責任を取っていませんし、また、あへ総理の「勇ましい言葉」の責任は、あへ総理自身取る気は毛頭ありません、前回のように投げ出せば良いのですから。


「フーコー・コレクション4」(ミッシェル・フーコー ちくま学芸文庫)