黒春の頃、何をトチ狂ったか近代詩、現代詩にのめり込んでいた時期がありました。
新刊、全集など買えないものですから、アンソロジーと文庫本の詩集をひたすら読み暮らしていました。
青臭いですから、読み考える糸口の感性には鼻持ちならぬ自信めいたものがありながら、次第に読まなくなりました。
読まなくなった理由は、現代詩自ら萎れてしまったためです。この情況は現在も続いています。
極端な書き方をしますと、現代詩のスキルで抒情すら伺えない感傷のレベルの文字の羅列には耐えられなくなったためです。
長年定期購読している詩誌も、よほどの特集でなければ目が素通りしてしまいます。
朝日新聞2012年1月24日夕刊に「現在の詩人を痛烈批判/同業の荒川洋治、著作で」という白石明彦署名記事が載っていました。
荒川洋治曰く
「今の詩人が熱心なのは、保守的な仲間づくり、自己満足と自己陶酔の朗読会、うわべだけの国際交流」
また、「文字言語を選び、闘ってきた詩にとって朗読は自殺行為だ。朗読を意識したら詩の言語が甘くなる。」と。
現代詩の朗読会なんて、悪寒しか覚えませんので興味はありませんので、荒川洋治に対する批判の言説を読みたいものです。
現代詩自ら萎れてしまった情況において、朗読のための詩は現代詩ではなく、パフォーマンスのひとつと考えています。
詩人とか自称詩人の方々に「銃弾が一瞬にして氷りつく一行を書けよ。」と。
円城塔「道化師の蝶」が芥川賞を受賞しました。道新、朝日、日経の書評等は好意的な書き方をしています。
ただ、難解だ、前衛的だと修辞され受賞作そのものの論評は皆無です。
「これは文字です2012.01.11」で、円城塔『これはペンです』について「書かれている事柄の次のフェーズもそうですが、その糸口についても書かれていませんので、過大な期待は肩透かしを食らいます」と書きましたが、受賞作に書かれているか興味はありますが、読もうかどうか迷っています。
円城塔自身、書けないことを自覚しているとも思えます。
新刊、全集など買えないものですから、アンソロジーと文庫本の詩集をひたすら読み暮らしていました。
青臭いですから、読み考える糸口の感性には鼻持ちならぬ自信めいたものがありながら、次第に読まなくなりました。
読まなくなった理由は、現代詩自ら萎れてしまったためです。この情況は現在も続いています。
極端な書き方をしますと、現代詩のスキルで抒情すら伺えない感傷のレベルの文字の羅列には耐えられなくなったためです。
長年定期購読している詩誌も、よほどの特集でなければ目が素通りしてしまいます。
朝日新聞2012年1月24日夕刊に「現在の詩人を痛烈批判/同業の荒川洋治、著作で」という白石明彦署名記事が載っていました。
荒川洋治曰く
「今の詩人が熱心なのは、保守的な仲間づくり、自己満足と自己陶酔の朗読会、うわべだけの国際交流」
また、「文字言語を選び、闘ってきた詩にとって朗読は自殺行為だ。朗読を意識したら詩の言語が甘くなる。」と。
現代詩の朗読会なんて、悪寒しか覚えませんので興味はありませんので、荒川洋治に対する批判の言説を読みたいものです。
現代詩自ら萎れてしまった情況において、朗読のための詩は現代詩ではなく、パフォーマンスのひとつと考えています。
詩人とか自称詩人の方々に「銃弾が一瞬にして氷りつく一行を書けよ。」と。
円城塔「道化師の蝶」が芥川賞を受賞しました。道新、朝日、日経の書評等は好意的な書き方をしています。
ただ、難解だ、前衛的だと修辞され受賞作そのものの論評は皆無です。
「これは文字です2012.01.11」で、円城塔『これはペンです』について「書かれている事柄の次のフェーズもそうですが、その糸口についても書かれていませんので、過大な期待は肩透かしを食らいます」と書きましたが、受賞作に書かれているか興味はありますが、読もうかどうか迷っています。
円城塔自身、書けないことを自覚しているとも思えます。