Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

共・有時試論 その18

2011-09-19 04:09:01 | 異形の滓
4-6 言葉と革命について

友人で、彫刻、焼き物などの、アートの領域で制作に一時期携わっていた方がいます。また、喫茶店をやってみたく一時期自宅の一部を改造しされていたこともあります。

今はすっかり毒気も抜け、ご両親の面倒を看ています。この一家はまったく働いてはおらず、資本論で言うところの不生産的労働*で、ちょっと羨ましいような恵まれた生活をされています。

彼女の家事労働は資本主義的再生産に直接関わっていません。

資本論では、家庭内の個人的な生活は労働過程の外部にあるが、労働力を再生産する役割を担っており、資本主義的再生産にとって不可欠の要素としています。

つまり、労働力価値は、現役労働者の生産や子どもの再生産に必要な「家事」労働の形で支出される大人の労働力の価値を含むものとなっています。

また、消費労働の一部は家庭内の自由労働から社会的労働に形態を変え、つまり消費労働が家事労働から社会分業の中で自立化(家族制度の崩壊、希薄化?)し、社会的消費労働の量は増加すると。

資本論で考えられていることは社会的に平均的な労働力の価値を前提に論じられています。

「平均」とか「平均的」の言葉は妥当のように思えますが、30人とか40人のクラスのテストの平均点に該当する子どもは、居て1人、だいたいは1人もいません。集団の傾向を見るのに有効ですが、一人の子どもそのものとは別物ものです。

前述した彼女の家庭や母(父)子家庭、祖父母同居の家庭等を捨象していますが、様々なスタイルの家庭のそれぞれの視点からの思惟は、専業主婦(夫)の家事労働の思惟に厚みが増し、また不可欠と考えます。



*不生産的労働に別の意味を見出しており、別稿で書きたいと考えています。
*ジェンダー、フェミニズムそのものに連なる不払い労働(unpaid labor)の論点が浮かび上がりますが立ち寄りません。