Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

投票に行こう

2019-03-30 21:53:09 | 異形の滓

 

地方統一選が始まり、昨日は議会議員選の告示がありました。
知人が立候補すると聞いていましたが立候補しました。

立候補を知ったときに、悪質な自己中の典型の彼がと「アキレ」ました。

彼の選挙区の何人かの知人に会った時に聞いた内容は散々なものでした。
個別訪問に来て「人に言われて、お前のところに来た。」と。
たまたまスーパーで会った知人は「リーフレット入れておいたからな。」と。
顔も見たくないので「個別訪問に二度来たが居留守をつかった。」と。
また、「論外、論外」と切り捨てる知人も。

先月の地元誌二誌にこの選挙区の情勢等の記事が掲載(立ち読み)されましたが、立候補は軽薄な動機であることが読み取れました。

『出たい人より、出したい人』なのでしょうね。


投票に行きましょう。

さて、投票して何が変わるのでしょうか。

「THE独裁者」(古賀茂明・望月衣塑子 KKベストセラーズ)にマハトマ・ガンディーの言葉が紹介されています。

 

「THE独裁者」(古賀茂明・望月衣塑子 KKベストセラーズ)


『あなたのすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは。世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。』

最初期の仏教が示されている経典「スッタニパータ」に我執(個執)を離れるために『空なりと観ぜよ』と仏陀が答えています。(1119)

 

「原始仏典」(中村元 ちくま学芸文庫)

マハトマ・ガンディーはヒンズー教徒ですが、ガンディーの口頭伝承の言葉と仏陀の『空』とは同質でないのかと考えます。(大乗仏教の般若経の「空」は仏陀の『空』と対極(否定?)にあります。)

報道ステーションで古舘伊知郎と古賀茂明とが見苦しい言い争いをしたときに、古賀茂明がガンディーの言葉のパネルを提示したような記憶があり検索してみると下記の通り見つかりました。

 

2015.3.27報道ステーションより

 

投票に行きましょう。


ちょっと一服

2015-10-18 10:23:18 | 異形の滓

IS(イスラム国)の武器

イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)がトヨタ自動車製の車両を数多く使用していることから、米財務省はテロ対策の一環として調査に乗り出し、トヨタ自動車も調査に協力するとの報道(10/08各紙)がありました。

大事なことをスルーしています。
ISの兵士、傭兵らが手にしている武器のの出所を調査し、禁輸すべきです。

民間の紛争武器研究所 (Conflict Armament Research) の調査によると、「イスラム国」戦闘員が使っていた武器の80%以上は米国、旧ソ連、現ロシア、中国で製造されたものであった。しかしその中で最も大きく占めたのが「米国軍用資産」と記したM16ライフル、 RPG(携帯対戦車擲弾)を含む米国産武器であった、旨が報道されています。(Trendswatcher2015.02.26)

軍産複合体(政治的・経済的・軍事的な勢力の連合体)に切り込むことは、禁忌なのでしょう。

ギリシャ金融危機の第1次、第2次融資時に、フランス、ドイツは10億ユーロ単位でフリゲート艦、潜水艦、戦闘機、ヘリコプター等を購入させており、EU内部で「軍事費抑えれば財政危機なかった」と評されています。

産経ニュース10/08より

 

沖縄 VS アヘ内閣・米国

翁長沖縄県知事は、10/13に米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に係る公有水面埋立法に基づく辺野古の埋め立て承認を取り消しました。
すかさず10/14に、防衛省は国土交通相(埋め立て関連の法令を所管)に、行政不服審査法に基づく承認取り消しの審査と取り消し効力の一時執行停止の申し立てをしました。

単純に、犯罪者と被害者との裁定において、犯罪者のグループ側が裁定する構図は、法理に反しています。

それ以前に、行政不服審査法は行政庁の不服申立ての条項はありません。(第1条 国民に対して広く行政庁に対する不服申立てのみちを開く)

防衛省は十四日、「埋め立て承認を得る手続きが『私人』の場合と共通していたから、同様に資格がある」と主張しました。

埋立てて基地をつくり米軍に提供する工事は『私人』がしているようで、調査、工事等の金銭はどこの『私人』が負担しているのでしょう。
沖縄防衛局と防衛省との通信費、旅費等はどこの『私人』が負担しているのでしょうか。

防衛省は行政不服審査法による承認取り消しの審査と取り消し効力の一時執行停止の申し立てはできず、防衛省は「私人」と強弁しているだけのことです。

アヘ内閣は沖縄県と対立していますから、地方自治法に基づく「是正の指示」、沖縄県が不服なら国地方係争処理委員会に審査を求め、更に沖縄県が指示に従わないのであればアヘ内閣は沖縄県を高裁に訴えることが出来ます。

これらの手続きは、地方自治法の第11章「国と普通地方公共団体との関係及び普通地方公共団体相互間の関係」(第245条~第252条の18の2)で定められています。

何故、アヘ内閣は正当な手続きを経ず、強引に沖縄県をねじ伏せようとするのか、単に米国に顔が向いているだけのことです。

* 憲法第95条による住民投票の意見もありますが、地方自治法の主旨が現実的と考えます。

 

 


ちょっと一服 言葉の向こう編

2014-09-29 09:59:49 | 異形の滓

妹が老母のため帰省し、実家から解放された時間を先週から過ごしていました。

メモを書き続けたり、友人宅を訪れたり、講義を受けたり、本・CDを漁ったり等をしています。
まとまった時間ができたなら海外なのですが、老犬と過ごす時間を優先している今日この頃です。

ちょっと言葉は乱暴にメモします。

愛国者

潰瘍性大腸炎のステロイド治療によりムーンフェース(満月様顔貌)だけではなく、ステロイド精神病(うつ、躁、不安、焦燥、幻覚、記憶障害、無関心等)そのものに見える言動のボス猿が外遊三昧をしています。

「水を得た魚」のように、ウヨのババどもの「人生論(訓)」が書店に並び、ウヨのメスどもが政界を闊歩しています。

朝日新聞(09.25朝刊)の論壇時評に、高橋源一郎『「愛国」の「作法」について』が掲載されており、内容的には9月11日の社長謝罪会見の以前なら、池上彰のコラムと同じ不掲載の取り扱いではと思わされるものです。(食傷気味なので朝日新聞に関することは割愛)

スーザン・ソンタグの『同じ時のなかで』(未見)から、2001.09.11の同時多発テロに係る「テロ実行者が臆病者なのではなく、報復のおそれのない距離・高度から殺戮を行ったてきた我が軍隊こそ臆病者」の旨、「正義の増大が真実の相当部分を押さえ込む、正義と真実のどちらかを選ぶなら真実を選ぶ」の旨を引用しています。

スーザン・ソンタグのこの発言は、全米に憤激を巻き起こし、アメリカの敵を擁護する「売国奴」と見なされ、殺害予告をされるまでになったが、スーザン・ソンタグは発言を続けたことを紹介しています。

ブッシュ大統領の「イラクに大量破壊兵器がある」との捏造された情報を根拠に開戦となりました。(この島国では、まだオトシマエが着いていません。)
スーザン・ソンタグと彼女を批判した人間のどちらが「売国奴」で「愛国者」なのか、自称「愛国者」は、「愛国」がわかっていないのではなく、「愛」が何なのかわかっていない、と結んでいます。

ムーンフェースのボス猿、ウヨのババども、ウヨのメスどもにとって「真実」より「正義」を、そして「愛」なんて言葉はクソクラエなんでしょう。

「意 味」(CG小阪淳)


高橋源一郎の文章に添えられた視覚作品ですが、左隅はこれから開かれようとしているのか、または閉じられようとしているのか。

全体が「黒」で塗りつぶされた左隅のポイントが、在り来たりの意味を持たせているように見えますし、逆に左隅そのものが全体なのかもしれません。

ただ、そこに何を見るのかは、様々な事柄が言葉を超えてあると言えます。

 

 


皮膚感覚

2014-09-23 09:42:48 | 異形の滓

今朝の散歩、一回り小さくなった愛犬は、ゆっくりと周囲を見渡しつつ道端のにおいを確認し、時々躓き、時々よろめき、時々僕を振り返りながらの散歩でした。

愛犬の仕草の一部始終は、僕が認識するのではなく、愛犬に僕が認識させられていることを思い起こさせます。

早朝の秋冷の大気、昇った朝日は柔らかな温もりを感じさせます。


秋分の朝日の柔らかな温もりは、僕が感じるのではなく、僕が感じさせられていることを思い起こさせます。 


僕の皮膚感覚として例えば、芝居といえば、能楽、狂言、歌舞伎、人形浄瑠璃などではなく、巨大テント内の異時空に、いわゆるサブカルの類に心身を委ねていました。(伝統芸能を云々言えるような素養すらありません。)

8月からNHK Eテレで『ニッポン戦後サブカルチャー史』が放送されており、第三回は『劇画とナンセンスの時代~「カムイ伝」と「天才バカボン」』でした。

白土三平の「カムイ伝」は通読していません、当時、全共闘時代のバイブルとか言われていましたが、時々買ったり友人の部屋の『ガロ』を読むぐらいのものでした。(そのうち読み通そうと思っていますが。)
第一部では「村落コミューン」の期待、絶望、希望、悲惨等が、「差別問題」、「階級認識」、「唯物史観」、「権力構造」等を通して描かれいます。(同氏の「忍者武芸帳」は同じテーマですが、分かりやすく展開されています。)

当時、「差別問題」、「階級認識」、「唯物史観」、「権力構造」等は、「問題意識(問題化)」として自ら考えていた、と何の疑問もありませんでした。
後になって、自らの「問題意識(問題化)」として、例えば「カムイ伝」、「学生運動」、「テント小屋」、「1968年」等の『サブカル』の一端が、考えることを強いていた(考えさせられる)ことに気付きました、いかに、幼稚で未熟であったことか。

写真は同番組より(白土三平の本は引っ張り出せませんでした。)

ですから、「類的存在」の概念がありますが、視座を「他の人」と「自分」との関係による、自ら認識(考える)する事柄ではなく、認識(考える)させられる事柄です。


また、「他の人」だけではなく、早朝のゆったりした愛犬との散歩、季節の移ろい、様々な出来事、身の回りにある物、書籍、映像等により感じさせられたり、考えさせられたりしています。

そのようにして「類的存在」の概念を考えさせられますが、これが困難、難解、そして怠惰が待ち受けています。

*写真、緊張感なく貼り付けていることがバレていますね。

 


物質的記述 その3

2014-07-24 20:25:07 | 異形の滓

列挙しましたA・B・Cは「私」の「意義(Sinn)」の一部であり、指示対象とともに「私」の「意義(Sinn)」は重層的にあります。

「私」という語彙(言語)は、「意味」と「意義(Sinn)」でなりたっており、また、そのように日々の生活の「私」は在ります。

列挙しましたA・B・Cは、「私」とともに「他者」が在って認識されることで、様々に在る「私」は「他者」に委ねられていることから、「私」の「核(中心)」は「他者」に在るといえます。(これらの事柄から「社会的」、「類的」には、さらに「対象化」の連関と区別の考察(論理)が必要です。)

「脱核(中心)化を認識することは、ひとつの核(中心)化を励起させる」と言い換えることができます。

列挙しましたA・B・Cは、「経済・哲学草稿」の第三草稿〔3〕、〔5〕に述べられている「A=自然=対象的存在」、「B=人間=意識的存在」、「C=社会=社会的存在」であり、「私(人間)」の「在る」ことを規定し、社会的関係の総体といえます。

「経済・哲学草稿」において、これらは「私」は「他者」を通して現実化する、このことに「労働」の概念により、「私」と「他者」の関係性は「労働」により生起している云々と「疎外(論)」と「資本論」へと展開されています。*

「労働」については、マル経、近経、また天職概念のプロテスタントの考え方に違和感があり、単純に辞書的な「からだを使って働くこと」が自分の中にしなやかにあり続けています。
「からだを使って働くこと」に特定の時代を区切りとっての言語表象(労働表象)は、特定の時代の解釈に過ぎず、その解釈に身(思想)を委ねることに抗いたいだけなのかもしれませんが。

「私」が認識する自分は、まるで自己同一性を絶望的に肯定しているが如き振る舞いをしています。

*「物象化論の構図」(廣松渉 岩波現代文庫)Ⅰ第三節に「疎外論」と「物象化論」について述べられています、これらのことについては別稿で。