Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

奈々氏 様へ

2007-02-28 06:45:41 | 地球温暖化
コメント有難うございます。

地球温暖化関係で、家畜のゲップが温暖化に影響するとの話を聞いて、「何か違う」と感じ理工系特有の好奇心から達した疑問が『地球規模の気温観測の始まりは1800年代の中頃なのに、四十数億年の時間軸からみて全球気候モデルのシミュレーションはどんな意味があるのか。』です。

地球温暖化については、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の全球気候モデルのシミュレーションに欠陥(HPCの性能の限界上止む得ない面がありますが。)があると考えています。
ご存知のようにシミュレーションは、対象要素を限定(これが曲者なのですが。)しますが、全球気候モデルには水蒸気の要素(雲、降雨等)が欠落しています。
水蒸気は、赤外線の吸収量が他のガスに比べ桁違いに多い反面、熱を奪い蒸発、雲の太陽光の反射、雨・雪の凝縮時の宇宙への放熱するなど温暖化に対して相反する性質があり、
現在のHPCの性能では、あまりにも複雑で大規模な数値を扱うため、水蒸気の影響を含めたシミュレートをするのは物理的に無理です。
非線形要素を含む事象をシミュレートする場合は必ず誤差が生じますが、誤差について論じるのでしたらいいのですが、それ以前に97%を占め、二酸化炭素に比べ赤外線の吸収量が桁違いに多い水蒸気が対象要素でないことは、全球気候モデルの致命的欠陥だと考えています。
このような全球気候モデルのシミュレートの結果には、何の意味もありません。
気候モデルはたくさんありますが、HPCの性能を考えると全球気候モデルと五十歩百歩と考えます。

IPCCは、各種データの科学的精度があがった、人為的な温暖化ガスが原因であることは90%の確立で正しいと発表していますが、IPCCの真の狙いはなんなのか興味があるところです。

このようなことを背景として「地球温暖化」についてアップしました。(各種事象のレポート、数値等は省略しています。)



雪が大好きです。 ワン。



サイモン・ウィーゼンタール・センター 

2007-02-27 06:01:42 | 未分類
ユダヤ・キリスト教「世界支配」のカラクリ (徳間書店 ベンジャミン・フルフォード/適菜 収)が嫌がらせを受けています。

『ユダヤ人人権団体の「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・米ロサンゼルス)は21日、徳間書店の新刊書「ユダヤ・キリスト教『世界支配』のカラクリ」について、「反ユダヤ主義をあおる内容だ」として、同書の販売を取りやめるよう要請したことを明らかにした。
同書の広告を掲載した朝日新聞社に対しても、「広告掲載の経緯を調査してほしい」と求めたという。(2007.02.22 YOMIURI ONLINE)』

この団体により、1995年に「ナチ『ガス室』は捏造(ねつぞう)だった」との記事を掲載した文芸春秋の月刊誌「マルコ・ポーロ」が抗議を受け廃刊に追い込まれています。

ベンジャミンフルフォードの著書に『イケダ先生の世界』があります。カルト学会の洗脳信者にはありがたいお方だが、市井人にとっては唯の爺だと、ごく普通のことしか書かれていません。

また、この団体のあるロサンゼルスは、カルト学会と不統一教会の巣窟として有名です。また、「頭の空っぽの総理」がこの街にある南カリフォルニア大学に留学(卒業はしていません。)体験しました。

今日の文章は、「頭の空っぽの総理」が「安倍壷三」と揶揄されるくらい不統一教会とドップリだとか、カルト学会の『イケダ先生の世界』へのお礼だとかを意図はしていません、念の為。

2007.02.22付けの朝日夕刊には、徳間書店の件は書かれていますが、読売が報じた【朝日新聞社に対しても、「広告掲載の経緯を調査してほしい」と求めた。】旨は一切書かれていません。

ひとこと、朝日新聞社に対して「軟弱者!」



徳間書店には、在庫が無い事になっています。


Santaro様へ

2007-02-26 06:01:10 | 酔生夢死
アドバイス有難うございます。

散歩の時刻が商いの都合で、日の出前、夜中のため光量不足は致し方ないと思っています。
カメラの機能を今一度確認してみます。

彼女は、先住猫の四十九日を一区切りに、HALを家族の一員と迎え、案外ドライに先住猫の一生を受け入れたのかと考えたのですが、そうではなかったようです。

彼女は、日中に愛犬と散歩をしています。
愛犬との散歩のエピソードを書こうとするのですが、愛犬と先住猫との有様が思い浮かび、筆が止まるとの事です。

彼女のお散歩日記は、もう暫くお休みです。


散歩大好き、顔がほころびます。


酔生夢死とは関係無く 

唯物論雑感  その3

 昔日の唯物論への決別が必要と考えます。

精神は先を行っているので昔日の唯物論に拘っていると保守になり、相対的に反動に成り果てます。

 さて、「認識できない事柄を再定義するのは観念論でないのか。」の問いの芽が内面を伺っています。

書棚の前で

2007-02-25 07:36:04 | 酔生夢死
ゲットしたい本があり、週末恒例の本漁りに行ってきました。

先週は事情があり行けなかったのですが、先週時点では検索した結果在庫がありました。
ところが、書棚の前で書名も著作者も分からないことに気付き、出版社名を頼りに探しましたが見つかりません。

彼女の冷ややかな視線を浴びてしまいました。
何冊かゲットし、アイスコーヒーと煙草を食し、深夜に帰宅しました。

この緩みきった脳味噌を罵った次第です。
イヤハヤ ・ ・ ・


  購入したうちの1冊です。

酔生夢死とは関係無く 

唯物論雑感  その2

マイナス1/3eのdクォーク1個とプラス2/3eのuクォーク2個で、電荷はプラスマイナス0となり陽子ができているが、客観的実在と認識されるのかな。

また、虚数エーテルのモデルの領域を同じように客観的実在と認識されるのかな、認識できるということは、私にとっては観念論そのものと考える。

 それらを含めて物質だとか、現在の最先端の物理は了見していないとかの見当外れの反応が予想されます。

そのような反応は置いておいて、物質には客観的実在を認識できない領域があることを是とする再定義が必要と考えます。

酔生夢死 その30

2007-02-24 08:26:33 | 酔生夢死
酔生夢死とは関係無く 

唯物論雑感  その1

 観念論に組する気は毛頭ありませんが、古典力学の遺影を引きずる唯物論、荒く言えば唯物論における物質は「物質とは客観的実在を表す概念であり、真理の客観性、真理の認識可能性が唯物論の正しさを証明している。」ことと言えますが、ここで引っかかるのは物質の概念事態が変質してきていることです。

 電子が静止していれば質点の近似として捉えることができ、古典力学の世界であり客観的実在が認識できますが、電子が動いているときには場の近似(その所で消滅し別の所で発生し、エネルギーの移動が行われる)として捉える虚数エーテルのモデルの領域に踏み込むと、客観的実在の認識は、私にとっては理解できても認識はできません。



 僕の写真が、いつも暗いのは何故。