Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

共・有時試論 その24

2011-09-25 11:28:43 | 異形の滓
5-4 今、ここへ

在るもの、在る出来事は説明できます。
無いもの、無い出来事は説明できません。

神が、在ることは論理的に説明できません。

逆に、神が無いことは論理的に説明できないことから、逆に神が在るのだと。
この論理は荒唐無稽ですが、かなり難敵です。

ただ、一人ひとりの内に固有の神を見ることが多々あります。



光には粒子と波の性質があります。
電子には電荷とスピンの性質があります。
で、
今日日、店頭に並び出した梨の性質は
味、歯触り、香り、見た目等様々な性質がめり込んでいます。

これらの性質の一つだけを取り出しても、光の、電子の、梨の在ることは説明できません。

水は零度になると氷りますが、単に冷やされることにより運動エネルギーが減少し分子間力により水の分子が結合するからで、その温度を摂氏零度と決めたものです。

飲み物に入れる氷に、いちいちそのような事を考えていません、また、光は明るいもの、電子は痺れるもの(家庭用の100Vは手首まで、200Vは肘まで痺れます。)、梨は美味しいものと、そのめり込んだ性質と接しています。

その接する側の自己には、幾つの事柄がめり込み続けているのか?


共・有時試論 その23

2011-09-24 06:44:58 | 異形の滓
5-3 今、ここへ

共同体における人(在る)と人(在る)との関係は

価値(労働、思想等)と価値(労働、思想等)との関係があります。

これは、物と物との関係(共有、無所有、提供、分かち合う等)と言えます。

また、この一連の表象は物象化*と言い換えることができます。

この一連の表象は、「2-2自由について」メモしましたように、「勝手気ままに生きる」ことと『決まり事』でできています。

つまり、対象(物)、目的(語)のない「自由」と「自律」でできていると言い換えることが出来ます。


*物象化
・ルカーチは「資本論」の解釈として、人間の作った物がある法則性のもとその物が人間を支配することを物象化とし、経済だけではなく政治、思想においても物象化がある、と疎外論に立脚している考え方を。
・アルチュセールは、マルクスの初期と後期では認識論的に断裂がある、と。
・廣松渉は、マルクスは疎外論から物象化論へと発展した、と。実体主義から関係主義への転換を深化し、廣松渉独自の哲学を展開させました。
(『資本論』、『経済学・哲学草稿』『ドイツ・イデオロギー』)

廣松渉の著作は難解ですが、独特の文体が一層難解さに拍車をかけています。

物象化については、以前考えているところを多質点系、亀の甲(ベンゼン環)を用いて取り上げましたが、それ以上のことは深化していません。
自分なりに落とし込んだ上で機会があれば「物象化」についてのメモを文章化したいと考えています。



昨日(9/23)、欧州合同原子核研究機関(CERN)の「OPERA実験」において、ニュートリノが光の速度より速く飛んでいるとする観測結果があることが報道されました。
特殊相対性理論では、宇宙で最も速いのは光であることを前提にしています。今回の結果は同理論と矛盾しており、観測結果が事実なら現在の物理学を根底から揺るがす可能性あります。

擬似科学とかSFの領域と重なっている物理学で、タキオン(tachyon 超光速で動くと仮定されている粒子)がありますが、質量が虚数になります。
質量が虚数の意味がイメージできませんが、宇宙が膨張(と収縮の繰り返し?)しているのなら、もともと光速を超えた物質が満ち溢れていることもありえますが、人間の五感では認識できないのではと考えます。

今回の観測結果は因果律を否定すると報道されていますが、量子力学の観点が抜け落ちており、報道自体が因果律の限界を露呈していると考えます。


共・有時試論 その22

2011-09-23 08:33:11 | 異形の滓
5-2 今、ここへ

自分の在ることに、様々な感情、思惟が溢れ、事実存在が明らかに歪められるあまりにも固有の事柄と、社会体制に起因する事柄があります。

自分の事実存在のあるべき固有の姿の自己問答を大きく位置づける考え方
また、社会体制に起因することを自分に大きく位置づける社会変革の考え方

この二つに後先、優劣などはなく、前述してきましたように一体の事柄です。

このことは、社会の人々の中に在るのではなく、ヘーゲル*風に言えば「自分そのもの」(「事そのもの」 精神現象学) です。

個々によりアプローチの仕方、自意識の入り方が異なるに過ぎず、どちらかに拘ることは止揚が欠落し、ドグマそのものです。

「自分そのもの」のなかの様々な事柄、「今、ここへ」めり込み続けます。



*近世以後の哲学書は、考え方以前に語彙が難解になりすぎています。
先哲たちの生業は、大学での教鞭、研究生活等の専門職で成り立っていることが原因と思います。

ヘーゲルにしても、概念と現実存在を分けて、その一体(一致)の過程を決め、概念の外化による現実存在を論じる論理の構造を持っています。

専門家の方々は、例えばこの論理構造における偶然性と必然性とについて論じたりしますが、そもそも書かれている著作自体は素人には取っ付きにくいものです。

というより、市井人はそのような事を考えて生活はしていません。


共・有時試論 その21

2011-09-22 06:16:06 | 異形の滓
5-1 今、ここへ

「今、ここに」、「今、ここから」ではなく「今、ここへ」です。

寝起きの一服が不味いとき、寝不足、飲み過ぎ、吸い過ぎ、喉の渇きなどの身体的要因、または予定される気掛かりな出来事、リスクある交渉、医者のリスクの言葉などの精神的要因、そのほか銘柄、灰皿、珈琲、天候等が思い浮かびますが、今の自分は一服が不味い、ただそれだけのことです。

ですから、過去と現在と未来とは「今、ここへ」めり込んでいるだけのことです。

先を見通す、読む、予見する こざかしさ、傲慢さは、予定調和を期待する(実現する)ことを予定調和しています。
愛犬も先を読むところがあり、期待通りに(オヤツ)振舞う、振舞わない表情が異なります。

自分固有の事柄であって、直ぐに崩れますが、興味のある事、関心のある事、好奇心に在ることに際限なくめり込み続け、これは他の誰のものでもありません。

ですから、のんべんだらりと何もせずに、気の赴くままに過ごすことは、かなりハードな今であると。



自分は時計が嫌いで、ただ商いのために腕時計を身につけています。
使い捨てに近いような腕時計を購入し、電池が切れたら新しいものを購入しています。
今の腕時計は、日付と曜日が小さな窓から確認できますが、曜日のアルファベットはどこの言語(スペイン語?)か不明です。

横道に逸れましたが、秒針の動きですが、1秒間に数回進むもの、一秒毎に進むもの(ステップ運針)、滑らかに進むもの(スイーブ運針)があります。
昔日、分針の動きが認識できるか顕微鏡で見たことがあります。この行為はめり込み続けましたが、ご想像のとおり動いてはいませんでした。


共・有時試論 その20

2011-09-21 06:14:50 | 異形の滓
4-8 言葉と革命について

「4-1 言葉と革命について」で「めり込む」について抜き出しましたが、示威、暴動、テロ等による革命が、未来に内蔵されているかは当然不明です。

日常性を否定した爆発的(自分には沸々とあります。)な出来事が、自分に未来から訪れ「めり込む」のかについても不明です。

この革命は、体制の崩壊、停止ではなく、権力の停止として現われます。
権力の停止後に、新たな権力が現れるのか、捏造されるのかなどは不明です。(「5-1 今、ここへ」を参照。)

様々なイデオロギーは、権力の停止後に様々な「絵」を夢想しますが、主義者がその「絵」を確信しているならば、それは「神」の復活となります。

神の首を切り落とすのに長い年月を要した事を考えれば、如何なものか とだけ記しておきます。

レーニンは、国境が破壊される体制の崩壊を夢想していましたが、夢想にすぎませんでした。

メモから「革命は呼吸である。」を抜き出しておきます。



科学(的)は反証性が担保されなければ科学(的)ではありませんが、科学的と標榜しているのに反証性がないことから非科学的と批判する人々の論点が的外れであると言えます。(論理と言語の限界?)

追記 このテーマは果てしないところがあり、ボリュウムが増え何回か分を削除したのですが、アップにあたり読み返しましたが、まだ、クネクネしていることをメモしておきます。