統一地方選も後半に入りました。
「地方自治は民主主義の学校」と言われていますが、以前にメモしたように「選挙は民主主義の学校」と考えています。
候補者は、「公約」で具体的な法律案や政策判断基準等を示しておらず、公約を実行する際には、英国の民主主義を持ち出すまでも無く、有権者の意向等を最大限尊重しなければなりません。
有権者は候補者に「白紙委任」したのではなく、これは地方も国政も同様です。
高橋ミッタクナイ知事は、選挙戦で原発について「再稼働は慎重に」と主張していましたが、原発稼動の有り無しの判断基準を有権者に示していないことから、判断に際しては有権者の意向を最大限に尊重する責務があります。
選挙戦真っ盛りの「佐藤のりゆき4.5街頭大集会」(4/5)において、嘉田由紀子前滋賀県知事が応援演説をしました。
前知事が来道したことを各マスコミは報道しましたが、次の発言内容は各社ともスルーしました。
「私は11年の福島原発事故直後に、吉村美栄子・山形県知事と共に『反原発』の動議書を全国知事会に出しました。その際、高橋知事にも呼びかけましたが、『卒原発には同意できません。原発は必要です』と断わられました」(日刊ゲンダイ4/11より)
原子力ムラの主要メンバーである通商産業省(経済産業省)出身の「高橋はるみ」が当選しました、泊原発の再稼働が現実味を帯びました。
旧聞かな?産経新聞(2/11)の曽野綾子のコラム「透明な歳月の光」(『労働力不足と移民 「適度な距離」保ち受け入れを』のタイトル)においてが、アヘ首相のブレーンがアパルトヘイト称賛していると、この島国よりも海外メディア(ロイター、WSJ他)や各団体等から批判されました。
当人は「個人の経験を書いているだけです」と述べ、アパルトヘイト称賛のコラムを否定も撤回もしない、と(産経、朝日、NHK等)。恥ずかしげも無く産経新聞も同様のスタンス。
当人は、アヘ首相のブレーンではない誤報であり訂正すべきとほざいていますが、教育再生実行会議のメンバーだったことを隠しています、アヘ首相への波及に気を使った?とも言えますが、そんなタマかな?
一読して、介護従事者を馬鹿にしている(資格、語学、衛生上の知識は不要)、女性を馬鹿にしている(介護は女性)、アジアの人々を馬鹿にしている(近隣国の若い女性たち)、アパルトヘイトを称賛している(居住区は、白人、アジア人、黒人に分ける)ことが露骨に書かれています。
奇妙なのは、近隣国の若い女性たちを介護の労働力の補充として労働移民を認めるべきと主張し、アジア人の居住区を設ける考えなのでしょうが、当人を含め日本人って「アジア人」でなかったのかな?
「甘ったれた女子」、「満18歳で、国民を奉仕役に動員すること」、「避難者を甘やかす」、「二次方程式」等の頓珍漢語録、極めつけは「大江・岩波裁判」での支離滅裂さに尽きます。
反知性主義の見事なお手本と言えますが、自分自身の内なる「反知性主義」は常に撃たねばなりません。
参考 「透明な歳月の光」の全文(阿修羅より)
最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている。
特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのいった分野のバリアは、取り除かなければならない。つまり高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないということはまったくないのだ。
どこの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。孫には衛生上の専門的な知識もなり。しかし優しければそれでいいのだ。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練などを全く受けていない外国人の娘さんでも、2.3日で覚えられる。日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。
しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らなければならない条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け容れも、結局のところは長続きしない。
ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住をともにするということは至難の業だ。
もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。
南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だった。人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活は間もなく破綻した。
黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、1戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションはいつでも水栓から水の出ない建物になった。それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。
爾来、私は言っている。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」