Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

情報資本主義

2009-12-31 08:30:42 | 未分類
今年を締め括るにあたってのメモです。

グローバル化のこの地球を捉えなおす概念(大きな物語)として、唯物論そのものを解体しています。

エンゲルスは「根本問題は思考と存在との関係」と、唯物論と観念論の根底的な対立を書いています。

唯物論は、物質の属性として意識が派生したとします。
この物質は、古典力学の概念で成立っていますが、物質の概念に相対性理論、不確定性原理などの現代物理学の成果を取り込むべきと考えます。

素粒子はエネルギーでできています(エネルギーは物質を造ります)が、ロバートソンの不等式の性質は、物質そのものの根源的性質と言えます。

物質的なもの(自然、存在、事物)と観念的なもの(意識、精神、思考)の対立は、意識、精神、思考そのものはエネルギーの差異(紛らわしい語彙ですが、後日別の語彙に置き換えます。)と捉え直すことができ、物質そのものと定義できます。

物質としての「意識、精神、思考」の営為としての表象に「観念」が現出しますので、観念論は観念論として位置し続けることになります。

現社会の変革の思想を損なうものではありません。

小さな物語が数多く生起していることを貫く「考え方」が、様々な方々によって、いくつも考えられています。

これらの様々な「考え方」に得るものが多々ありますが、いくつもの事柄のひとつひとつの構築をひたすら妄念に解き放しています。
当ブログにおいても、時々意味不明の数行がありますが、これらの妄念の極一部です。

経過点として、この地球を捉える射程として「情報資本主義」があります。

この「情報資本主義」に対する市井人の「変革の意志」の次なる「大きな物語」は、まだ骨格がおぼろげに姿を現しているレベル(ラフスケッチ)でしかありません。



拙文を読みに来られている方々へ。

良いお年をお迎え下さい。


韓国併合100年 その3/3

2009-12-30 08:13:30 | 未分類
韓半島の歴史を観ていて、残念に思うことがいくつかあります。

そのひとつが、漢字の吏読を捨て、ハングルという表音文字にしたことです。
ハングルを定めた訓民正音に「故愚民有所欲言(故ニ愚民、言ハント欲スル所有レドモ)」とあります。

この島国の人々が、「ひらがな」だけの言語空間でどのような抽象的思考が成り立つのかと考えると、かなり制限され貧知性とならざるを得ない思考方法だと考えます。
*同じ表音文字にアルファベットがありますが、英単語は文節を持っており表意文字です。(例えば、Internetは接頭辞「inter-」と「net」でできています。)
一昨年「韓国語哲学事典」が編纂されたと朝鮮日報で大きく報道されていました。

多様な考え方に溢れた社会ではなく、ローソクデモ、国会での常時暴力・チェーンソーを振り回し(朝鮮日報より)、朝連と建青との暴力抗争(北朝鮮帰国事業 中公新書より)、民族、国民がひとつの方向に簡単に向いてしまう原因のひとつと考えます。

李氏朝鮮の世宗による、人民の統治方法としては究極のものであり、現代の韓半島においても有効に機能していると言えます。

漢字復活の動きがありますが、現場の教員は漢字教育を受けていないことから絶望的状況にあります。

NHK ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」は時々しか見ておらず、三が日に3夜に渡って再放送されますので、通して見ようと思います。



現在の南朝鮮は、この島国の「技術植民地」と化していることを指摘しておきます。


Mark Rothko

2009-12-29 06:49:53 | 未分類
テレビはあまり見ないのですが、彼女が見ている番組の流れる内容に引き付けられ見ることがあります。

日曜美術館「髙村薫 私とマーク・ロスコ」(21.12.27NHK再放送)もつられて見たもので、そのメモです。

髙村薫「太陽を曳く馬」の表紙にマーク・ロスコの絵が使用されています。
書店で見たときには、装丁家のデザインと思っていました。

マーク・ロスコのキャンパスを大きく区切り分けた抽象表現主義の絵に、髙村薫は自分の中にある難解で答えのない問を見ると語ります。

外在する対象を認識することは、その対象を通して自分を対象として認識することに他なりません、髙村薫が語るように。

自分に無い事柄は、難解とか不可解以前に意識すらされません。

自分のひとつの欠片に過ぎないものが、自我を押し潰したり、曲げたり、広げたりする契機となる場合が多々あります。

難解とか不可解な対象に接したときに、自身の生地が顕わになります。 

番組の司会を務める姜尚中は、マーク・ロスコの絵の前では自我がなくなっていくと語っていました。
この発言は、姜尚中は自我の内実が希薄であることを物語っています。 

政治学者の限界と言ってしまえばそれまでですが。


とうとうこの季節に入りました。

マーク・ロスコは自死しました。


韓国併合100年 その2/3

2009-12-28 07:12:46 | 未分類
国家が戦争、植民地についてその相手国に謝罪する必要はないと考えています。
勝てば賠償金をふんだくり植民地とし、負ければ賠償金を背負い植民地になるだけの話です。

ヨーロッパ、米国の帝国主義による侵略戦争、植民地の相手国に国家として謝罪した事例は知りません。(知識不足?)
ただし、敗北しますとタラフクの賠償金を課せられますが。
薩英戦争で英国は、また下関戦争で英国、仏国、 蘭国、 米国は、謝罪を求めていませんが、薩英戦争では薩摩藩は幕府から借用して2万5000ポンド、下関戦争では幕府が150万ドル、新政府が150万ドルの賠償金を払っています。

こう書きましたが、戦争そのものは別にして、戦争犯罪に対しては謝罪し補償する必要があると考えます。
中華、韓半島の求める戦争に対する謝罪に応える必要はありませんが、大日本帝国軍の軍人達の戦争犯罪に対する謝罪と賠償は必要と考えます。
(米国が広島、長崎で行った戦争犯罪に対しては謝罪と賠償を要求できると考えます。)



韓国併合を、李朝末期の韓半島の人々の悲惨な生活*を、韓国併合(植民地)により食料増産、インフラ整備等に寄与したとの論に組みしません。
また、大東亜戦争は自衛戦争との論に組みしません。
また、「植民地責任」なる論にも組みしません。ですから、「植民地責任」(帝国責任)なるものの、相続人とも考えていません。

*本屋で立ち読みしました「朝鮮紀行」(イザベラ・L. バード講談社学術文庫)に描かれており、買いそびれたため先日本屋に頼んでおきました。

ただし、「強制連行:中国人男性と西松建設が和解…補償基金設け謝罪」(09.10.23毎日新聞)に報じられた「強制連行」に対する補償はすべきであり、これらの事柄とは本質が異なります。


藤崎駐米大使

2009-12-27 08:34:55 | 憲法・非戦・平和
駐米大使は、普天間問題でクリントン長官に呼びつけられたと、TVカメラの前で公言していました。

「クリントン長官、駐米大使を異例の呼び出し 普天間問題」(09.12.22朝日)記事略
「米国務長官、藤崎大使呼び異例の会談」(09.12.22読売)記事略

12月22日のTBSニュースで(未見のため同社HPより)「普天間移設問題をめぐり、藤崎駐米大使が21日にアメリカのクリントン国務長官に呼ばれ、会談したと話しましたが、これについてアメリカ側は、「大使は呼ばれたのではなく、国務省に立ち寄った」と説明しました。」(09.12.23「米国務省「駐米大使、呼びつけてない」TBSHPより抜粋)

朝日、読売とも国務省クローリー次官補の発言を伝えていません。(12月24日朝刊現在)

この大使は、連合与党内の落ち所のない普天間問題(=政府)と市井人に対して、悪意を持ったミスリードを行ったのであり、朝日、読売とも加担したことになります。(他紙未確認)

沖縄基地問題で、この駐米大使は旧態依然の米国従属を至上とするスタンスで、連合与党(=政府)の右往左往を嘲っています。

沖縄基地問題の本質は、日米安全保障条約の破棄の視点からでないと何も見えてきません。



TBSのアメリカ総局長は金平茂紀ですが、彼のジャーナリストとしての使命であれば、ヨシとします。