Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

共・有時試論 その14

2011-09-15 06:23:59 | 異形の滓
4-2 言葉と革命について

権力を否定した、権力を否定するために共同体を夢想しますが、共同体は相互扶助により成り立つ言説も多々見受けられますが、考え方がひっくり返っており、またそのような相互扶助は権力そのものです。

権力のない共同体は、一見まとまりがありませんが調和があり何千年と維持されています。

相互扶助に何を見るのでしょうか。

困っている方がいたら手助けをする、食料を分かち合う、共同作業を行う、助けて、助けられて、協力して、協力を得て等の扶助とその秩序を維持するための極刑を含めた罰で成り立っていますが、長い年月をかけて個対集団、集団対個の苦悩(知恵)が多層に重なってできたものと考えています。

単に字面の「相互扶助」を夢想して共同体を構想しても、分けて、助けて、参加して、協力して等は義務に、分けられて、助けられて、受入れて、協力を得て等は権利に転換し、権力が生起します。

過去にはありつづけていたが崩壊している「相互扶助」の再構築には気の遠くなる年月が必要です。

日々の生活の中に、このような権利義務は不要です。あるがままの生活においては、思うがままに振舞えば良いだけのことです。(非権利、非義務、非権力)

で、思うがままの振舞いは「理性」が必要なのでしょうか。または、「倫理」が。
「理性」「倫理」より「信仰」があれば実現可能なのでしょうが、対象は「神」に対してではなく、自分が在ることの喜び、不安、悲しみ、怒りにたいする幻想への信仰が。



『2-1 自由について』に前述しましたように、「勝手気ままに生活する(生きる)」自分の『決まり事』『約束事』『ルール』等がなければ、「勝手気ままに生活する(生きる)」ことはできません。