Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

非国民

2011-10-29 08:20:49 | 東電 柏崎・福島原発の放射能漏れ
裏庭に離れを造ったことから、僅か数坪のスペースでトマトやピーマンなどを作っています。

無農薬、無肥料(硝酸塩の害いわゆる肥毒)が理想なのでしょうが、農薬は使用していませんが、肥料として堆肥をすき込んでおり化学肥料は使用していません。

自分が食し、家族が食する野菜は、まして自分で作る野菜には限りなく安全を求めています。

肥料が少ないため生育が芳しくないことから、一度化学肥料を試したことがあります。
見事に発育不全から脱しましたが、逆に不安も生起しました。


今年最後(?)となる収穫したトマト


ジャズサックスプレーヤーの矢野沙織が、自身のブログ「矢野沙織オフィシャルブログ」において『非国民』(2011.10.13)と題して、沖縄県国際通りで行われていた「福島物産展」での出来事の顛末を書きました。極一部を抜粋します。

「え、じゃあなにかい、お百姓が可哀想だから一億総被爆をしないと非国民かい?そんな思考はまるで某大戦中だな。」

何を食おうが自由なはずです。
何を言おうが自由なはずなのです。
それが例え非国民と言われようが。

批判(非難)され、翌日お詫びとともに「非国民」は削除されました。
この情況は「言葉狩り」の典型であり、市井人同士で「検閲」しあう逆立ち現象であり、『検閲者』をあいまいに漠然とした自己規制を蔓延させます。
農林水産業の方々、市井人への補償を最小化したい東電はほくそ笑んでいます。

市井人同士の批判、非難、擁護、同情等を、他人事のように見物している東電こそが加害者です。
(全文コピーされているブログもありますので、関心のある方は検索して下さい。)

先日、日配品や野菜を買いに彼女のお伴をしました。
彼女「レタスは、◆◆県産のしかなく買わないから。」
僕「道内産の端境期でもないのに、資本の論理かな?」

◆◇県周辺の野菜、お米などは一切購入をしていません。
◇◆県産の白桃はお盆の頃の楽しみだったのですが、東電に奪われてしまいました。(東電に対して補償請求ができるか調べてみます。「公共の福祉」を持ち出してきて却下される気もします。)

削除された「非国民」に『私は放射能を含んでいる可能性のある作物の一切を口にはしたくない意志を持っている』とありましたが、僕自身も同じ意思を持っています。

市井人の健康への不安と農林水産業の方々の苦悩とを調和させること自体が間違いです。
市井人の健康への不安は東電に、農林水産業の方々の苦悩は東電に向けるべきもので、二者の対立構造を捏造し双方の折り合いを煽るマスコミと東電の思う壺です。

「風評被害」ではありません「東電被害」です。


共・有時試論 補遺その5

2011-10-28 06:45:44 | 異形の滓
自 明

1=2が正しい事は20世紀になって肯定的に解決されました。

簡単な証明として、1.45は、第一位を四捨五入=1、第二位、第一位を四捨五入=2となりますので、1.45=1=2=1.45となります。この他にも様々な証明方法があります。

また、1+1=2は、自然数においてものの個数を加え合わせることを定めていますが、1+1=10(二進法)となります。(これらは数学的帰納方法により証明されます。)

また、ものの個数を加え合わせることを意味しますが、蜜柑が1個+林檎が2個=3個となりますが、果物が3個の意味で、林檎、蜜柑が3個の意味とはなりません。

エタノール100㏄に水100㏄を加えると、約199㏄になります。説明は省略しますが、エタノールに溶けていた空気が泡となり出てくるとともに若干の発熱があります。
エタノール100㏄+水100㏄=199㏄が成り立ちます。



量(個数、重さ、長さ等)を加えることはできますが、質(硬軟、色、匂い等)を、また、量と質を加えることは、それぞれの固有の意味が空中分解します。

対象を客体として捉える時に、自明のこととして考えることが常に「真」ではないことが言えます。
また、主体と客体と二元論で捉える考え方についても、同質の事柄があります。

この同質の事柄の展開は別稿でメモします。


つづく


閉された言語空間

2011-10-26 21:14:59 | 読書ノート
埋め草です。

秋の夜長、実家で老母と四方山話と合間に雑読をして過ごす日が週一であります。

昨夜(10/22)は、「閉された言語空間」 (江藤淳 文春文庫)、週刊朝日増刊 朝日ジャーナル 政治の未来図」に目を通しました。

朝日ジャーナルの巻頭で、渡辺恒雄 読売新聞主筆と御厨貴が「我が政治道」をテーマに対談しており、イデオロギー的にスタンスは異なりますが、渡辺恒雄の裏打ちされた厚みには、ある種の凄味があります。

同誌で、山口二郎が「政権交代の幻想と真実」について短文を書かれていますが、渡辺恒雄の言葉の前ではゴチャゴチャ書いているみすぼらしさの印象です。
いつもの他人事風な書き方によるところも原因ですが。


「朝日ジャーナル」

自死した方の著作は、個人的な理由により読まないようにしています。

江藤淳が「閉された言語空間」において鋭く見抜いた検閲の具現化の象徴と言えるのが渡辺恒雄と考えます。

渡辺恒雄と江藤淳との二方は、様々な視点から評価(批判)すべきなのですが、考え抜かれた一本の芯が読み取れますので、なかなか困難と思わせます。


「閉された言語空間」 (江藤淳 文春文庫)

大森荘蔵晩年の三部作のうち、横着して三部作目を読んでいましたが、1部、2部をも読みたくなり注文していましたが、今日未入荷だった1部目が入荷し取りに行ってきました。


さあてと、考え抜くぞ。

韓国味付け海苔は、何度が食したことがありますが、知人の方がオリーブオイルで美味しいとお土産に頂きました。


大韓民国玉童子海苔


共・有時試論 補遺その4

2011-10-23 20:51:02 | 異形の滓
貨 幣

資本論では、資本は剰余価値を生むことにより自己増殖する価値の運動体としていますが、そもそも貨幣が資本に転換した貨幣の蓄積の契機は不明です。
また、何故中近東で、アジア等で資本主義が発生(貨幣の蓄積と資本への転換)しなかったかも含めて。

労働についてメモを文章化する際に、昔日読んだ「プロ倫」の概要を、「禁欲主義」が「資本主義の精神」に、また、「労働は天賦」の意味があるくらいの記憶しかないため、再確認するにも文庫二冊は埋もれて見つけ出せず、特に触れませんでした。

再び「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(マックス・ヴェーバー 岩波文庫)を購入して目を通しました。

ルターの天賦、禁欲等、宗教に由来する多層かつ多元たる資本主義の精神は、改めて訳されており以前より読みやすいと思いました。(加齢?)

禁欲主義は、全ての欲望自体を悪と考えるのではなく、ひとつの事をし続ける為に、他の欲望を抑圧することで、わき目もふらずにひとつの事(生業)をし続けると、結果として貨幣が蓄積されたに過ぎず、このことは「資本主義の精神」そのものであると。

ようするに、中近東の人々やアジアの人々は感性的欲望に奔放だったと言えるのかもしれません。

『禁欲が世俗を改造し、世俗の内部で成果をあげようと試みているうちに、世俗の外物はかつて歴史にその比を見ないほど強力になって、ついには逃れえない力を人間の上に振るうようになってしまったのだ。』(同書365P)

資本論が書かれた頃のイギリスは、例えば工場経営者=資本家(ブルジョワ)と簡単明瞭な構図であり、また、ヴェーバーはマルクスを批判していますが、そのことを差し引いても。

同書の内容には立ち入りませんが、人々の生き様の捉え方に、多層かつ多元的に捉えることの厚みが提示されていることが読めます。



昔日、社会思想社の雑誌「知の考古学」の合併号かなにかで、マックス・ヴェーバーの特集をしていましたが、何が書かれていたのか記憶が定かでありません。

多分に、当時の関心領域と乖離していたためと思いますが、雑誌名からミシェル・フーコーを連想して、廣松渉が書いていたから等で購入したのでしょうが、廃刊まで購入しつづけました。

つづく


ハゲタカ

2011-10-22 07:56:36 | 憲法・非戦・平和
とおい遠い国の独裁者に
解放の銃弾が撃ち込まれた

昨夜は星空に白鳥の南帰行

血にまみれた大地に
また一滴の血が染みた

今朝も秋空に白鳥の南帰行が

血にまみれた大地に
ハゲタカが舞い降りる

白鳥を装ったハゲタカが

とおい遠い国を狙うハゲタカに
自由の銃弾を撃ち込め




この季節知床では、時には百羽ものオオワシか渡ってきます。

大自然のなかのオオワシに逢ってみたいものです。