はじめに
超大国の覇権によるグローバルな秩序の出現により、「労働を商品」とする人間の層から具現性(教条的な労働者の定義の限界)が剥ぎ取られたと考えていますので、視点の異なる概念の表出を妄念しています。
プロレタリアート
マルクスは、「プロレタリアート」は「労働貧民」と軽蔑的な言葉(資本論第七編第二四章第六節)で呼ばれ、ブルジョワジーとプロレタリアートとの階級対立はプロレタリア革命によりプロレタリアートが勝利すると予言(共産党宣言)しました。
また、受救貧民の社会層は、労働能力ある者 孤児および受救貧民の子供 零落者、ルンペン、労働無能力者(転業能力の無い人、高年齢の人、傷害者、病人、寡婦)の三つの部類からなる、とも。
敗戦後のこの島国の高度成長、失われた10年の人々の生活は、衣食住に困窮する人々が減少しました。被保護人員昭和26年204万人、平成7年88万人(福祉行政報告より)。
プレカリアート
新自由主義経済が蔓延る中、派遣、パート、契約社員、アルバイト、失業者、ニート、フリーター等の貧困層をprecario(不安定な)と Proletariato(プロレタリアート)からプレカリアート(不安定なプロレタリアート)と。被保護人員平成23年9月に207万人と増加しています。
労働組合について教条的に書きますと「労働組合は、前衛党の闘争を介して、生産現場において資本との日常的な闘いをとおして労働者を階級として団結させ革命主体として鍛える(訓育、啓蒙、教育)共産主義の、革命の、学校」と位置付けることができます。(自ら書いているのですが、不快感が生起します。)
が、生活保護の被保護人員増からは、労働組合は当該組合員の雇用と収入を守るためだけに資本に絡め取られていることが炙り出されています。
マルチチュード
「プロレタリアート」と「プレカリアート」に近似を見ることができますが、マキャベリが使い始めスピノザが用いた「マルチチュード(Multitude)」の概念が、アントニオ・ネグリ、マイケル・ハートの『帝国』(以文社)、『マルチチュード(上・下)』(日本放送出版協会)において現代に蘇りました。
「マルチチュード」は、「プロレタリアート」と「プレカリアート」と連なっていると見ることも可能ですが、「労働の商品」の概念が希薄で、「マルチチュード」=「多様な個の群れ」の概念でグロパールな資本主義に挑んでいると考えます。
前記しました二冊からは、多様性と差異性を無視した19世紀以降の社会主義(革命)とは異なった、ひとつの統合された勢力であるが多様性がありかつ同一性と差異性の矛盾を内包した存在、また、グローバルな世界秩序である帝国主義に対抗し、変革し得る存在等の旨が述べられていますが、イメージが鮮明にならず論理的説明が困難です。
アントニオ・ネグリ
前置きが長くなりましたが、朝日新聞1/4朝刊に「新しい民主主義へ」のタイトルでアントニオ・ネグリのインタビュー記事が一面に掲載されました。
記事の中で『「ノー」ということこそ、最初にすべき、論理的な行動です。』と語っています。
「ノー」の発語は、対象(資本、体制)を否定する、異議申し立ての意思表示ですが、同じように自分に対しても「ノー」と発語されますので、同一性と差異性の矛盾を内包せざるを得ません。
同記事(読み易いですが難解です。)を何度か読み返しましたが、イメージが鮮明にならず論理的説明が困難です。
取材者(刀祢館正明)は、ネグリは次の民主主義が見えてくるはずだが「私にはわからない」と言うが、この人には見えているのかもしれない、と思ったと記しています。
「プロレタリアートが勝利する」と同質の発語は避けているのかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/5d/e045adf5a299e19e7dd91fb8a6f91790.jpg)
朝日新聞(2012.01.04 朝刊より)
*引用もとを明示したいのですが、探し出すのが難儀のためうろ覚えでメモしていますので誤謬はご容赦下さい。
*万冊を超えた頃から我が家は本の解放区となっていますが、彼女の白色テロにより独裁政権が樹立されそうな ・ ・ ・