Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

オダリスク

2009-04-30 06:28:38 | 未分類
ちょっと一服

ダライ・ラマが政治亡命して、3月10日で50年になりました。
マスコミでも取り上げられていましたが、中央公論5月号(1501号)の八木澤高明氏の「潜入ルポ 厳戒体制のチベット自治州」を読むため、購入。

チベット族の、同じ民族同士の緊張感が、秀逸なルポとなっていました。
ちょっと気になったのは、八木澤高明氏の立ち位置の心許なさが見え隠れしました。
国家権力の圧倒的物量の前では、止む得ないのかも知れませんが・・・

同誌に西部邁と柄谷行人の対談「恐慌・国家・資本主義」が掲載されていました。
70歳にならんとする両氏ですから、意味の無い対談に終始しています。
ちょっと気付いたことをメモします。

資本主義的な再生産の障害(恐慌の必然性)の意味で、アルフレット・マーシャル(新古典派経済学)は「労働サービスの特殊性」、宇野弘蔵は「労働力商品化の無理」を論点としている。

僕は、労働力を商品と押さえることはかなり特殊であり、アナロジーを越えていることから、「特殊性」を常に念頭に置く必要があると考えます。

笑ってしまったのは、地域通貨、協同組合(アソシエーションに関連して)に話しが進み、「食料生産などは地域的にやるべきもの」、「商品=日用品は地域で確保する」と。
例えば、新宿区、広すぎれば新宿3丁目の協同組合と地域通貨を構想しても、内実がないことに気付くと思います。
他の協同組合の剰余分配を前提にしなければ成立ちません、単なる机上の空論です。

濃淡は別にしての地縁共同体、「ゆい」、「連」からの構想の方が、よほど射程が長いと考えます。(多分、両氏とも自治会、町内会などの現実の中で、日々の営為の通信がないから、無理だろうなぁ。)

対談を読んで、西部邁は何も考え切っていない、柄谷行人は構想を思考しているがドグマの影がちらつきました。

読売系中央公論の中で一番価値があったのは、次の絵でした。



LEONARD FOUJITA 『私の夢』
彼女の持っている画集からコピーすればもっと鮮明なのですが、敢えて同誌から。


ファルージャ市街戦

2009-04-29 06:55:21 | 憲法・非戦・平和
コナミが、04年11月のファルージャでの市街戦(イラク戦争後に起きた戦闘)の殺戮(イラク市民を含む2,000人以上が死亡)がテーマのゲーム「ファルージャの6日間」を発売中止にしました。

イラク市街戦をゲーム化、米で批判受け断念 コナミ(09.04.27朝日)より抜粋
04年11月にイラクのファルージャで一般市民など2千人以上の犠牲者を出した米軍の戦闘を疑似体験できるコンピューターゲームの商品化を検討していたことがわかった。今月初め、同社の米現地法人が来年以降の製品として発表したが、米国などで批判が続出。同社は「扱わないことを決めた」という。
 米国での発表後、欧米を中心に兵士の遺族や退役軍人、市民団体などから批判が相次いだ。

兵士の遺族や退役軍人、市民団体などの批判の内容が知りたく、ニューヨークタイムズの記事にあたってみました。

Konami cancels realistic Six Days in Fallujah video game(09.04.27ニューヨークタイムズ)より抜粋 *
戦闘の斬新さ、ファルージャでの米国の戦争請負人のリンチに係る感情、およびイラクで人々がまだ死んでいるという事実は明らかに論争に寄与しました。 米国とヨーロッパの軍人、軍退役者、および市民団体の家族は悪趣味で鈍感なゲームを批判しました。(拙訳)

少しは「反戦」を期待したのですが、単に、米国による殺戮を直視せず、米国人のアイデンティティが毀損されることを恐れるだけにしか読めません。
イラク戦争で使用された劣化ウラン弾により障害を持って生まれた子供のことなどは、米国民とは関係のないことと、思っているのでしょう。

きっと、米国民のほとんどは「ファルージャ」が、地球の何処にあるか知らないことでしょう。

障害を持って生まれた子供の悲惨な写真が散見されます。
きっこの日記に掲載された北海道A駐屯地の陸上自衛隊員からのメールを引用しておきます。

きっこの日記「サマワで被爆した自衛隊員たち」(2005.06.18)から抜粋
「陸自第一次派遣隊の隊員の中に、帰国後に奥さんに赤ちゃんができた先輩がいるのですが、今年の3月末に生まれた赤ちゃんは、手の指が2本しか無く、カニのハサミのようになっているのです。噂には聞いていましたが、自分の目で実際にその赤ちゃんを見た時には言葉を失ってしまいました。」
「他にも障害を持った赤ちゃんが生まれたという噂は耳にしますが、皆、事実を隠そうとしているので、実態は分かりません。先輩の赤ちゃんの事も、生まれたという事は皆知っていますが、障害の事を知っているのは数人だけです。」




Konami cancels realistic Six Days in Fallujah video game( April 27, 2009)より抜粋
The freshness of the combat, the emotions around the lynching of U.S. contractors in Fallujah, and the fact that there are still people dying in Iraq clearly contributed to the controversy. Families of soldiers, military retirees and citizens groups in the U.S. and Europe critized the game as in poor taste and insenstive.


八咫烏

2009-04-28 06:37:26 | 未分類
ちょっと一服

高御産巣日神が賀茂建角身命の化身の八咫烏(やたがらす)を、神武天皇の元に送り、熊野国から大和国への道案内をさせた3本足の烏のことでも、日本サッカー協会のシンボルマークのことでもなく、愛犬との散歩のときの話です。*

散歩の折り返しにある公園の立木に、一羽のカラスかとまっていました。
「カー子おはよう。」と声を掛けると、羽根をバタつかせます。
数日、同じようなことがありました。

ある朝、公園の下に広がる牧草畑で、4羽のカラスが空中戦のようなことをしていたので、「カー子おはよう。」と声を掛けると、その内の1羽が、いつもの立木に飛んできました。

「カー子おはよう。」と声を掛けると、羽根をバタつかせます。

この頃では、時々、愛犬と風除室を出ると、どこともなく現れ、電柱、屋根と移動しながら公園に道案内してくれます。

足は2本しかありませんが、僕と愛犬にとっては八咫烏に思えます。


高御産巣日神=たかみむすびのかみ
賀茂建角身命=かもたけつのみのみこと



今朝の散歩のときも、公園の電柱、月山、手摺に飛び移り、やがて飛び去りました。


労働の否定 その3

2009-04-25 08:15:36 | 異形の滓
混乱のメドゥーサ 蛇足その3

「自己実現」という言葉が時々用いられていますが、素人騙し風に「自分本来の能力・可能性を発揮し、公私の営みにおいて自己の成長を図る」とか記述すれば、多くの人々の共感・同意を得ると思います。
単に自分の遺伝子的形質を解き放し、自分を変化させることを表現しているにすぎません、つまり、何も語っていないのです。

進化、発展、成長などの言葉が持つ「良いイメージ」が、肯定の幻想を与えているに過ぎません。
「自明のこと」として、ここから生起し他者に語られることには内容がないのですが、本人自ら認識せず発語してしまいます。

「自己実現」については、ブラック・ソルジャー氏に揶揄されていましたが、僕自身も人生訓とかビジネス書等の類か、ユング心理学(分析心理学)の「自己実現の過程」の借景の上での思考なのか、理解しかねているところです。

3回に渡って書いてきましたが、長くなりますので端折ります。

「自己」の、「事実存在」を、「同一性」を等、つまり「存在」に連なる事柄を語ることが求められます。

「デコポン」に外化されている事柄は、主義者の政治的現前性は役割を終えたことを逆説的に書かれているとも読めます。



マルクス読みでない門外漢の僕は、マルクス読みの方々が、しなやかに、したたかに「マルクス」を考察しつづけることは、信仰と化した「神左翼」に堕落しないためにも否定できないと考えます。

娘思いの親馬鹿が「共同幻想論」を文庫化したと考えますが、単行本には無い次のフレーズを手元に置きたく、昔日に購入しました。

「何に増して国家とは性なのだと、国家は白昼に突発する幻想化された性なのだと予言した。」(共同幻想論 解説 中上健次332Pより 角川文庫)

果てしない深淵のところの、星雲のひとつなのでしょう。
晴走雨読氏の次なる展開を期待しているところです。


労働の否定 その2

2009-04-24 06:25:00 | 未分類
混乱のメドゥーサ 蛇足その2

「ユートピア」について書かれていますが、マルクスの著作(ゴータ綱領批判?)だったと思うのですが、「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」と書かれていたと思います。

共産主義の目標は、革命によって階級対立の解消、国家権力の止揚へと向かい、各人の自由な発展が、万人の自由な発展の条件となるようなアソシアシオンを形成することと定義することができますが、唯一の思想、唯一の価値観、唯一の基準による知と財産の共有は、平和で理想社会の実現を目指しているといえます。

が、イメージを膨らますと、思想、価値観の多様性がなく、すべての事柄に物差しがある社会になってしまいます。

「ユートピアの場に/代わりに」(ジャン=リュック・ナンシー)より
あらゆるユートピアの心臓部は権力と意味との融合であろう、正当性=合法性が疑いを容れることなく、権威が自ら共同体の善に応えるようなそうした融合であろう。ユートピアとはまず、そのようなものとして現前化された共同体の有する非-場ないし場-の-外なるものである。「共出現 183Pより(松籟社)」

各人の自由な発展・万人の自由な発展の「自由」は、「秩序ある自由」と考えますが、この「秩序」が非-場ないし場-の-外なるものなのか曲者なのです。

つづく



「共出現」に収められているジャン=リュック・ナンシーの「共出現 コミュニズムの実存から実存=脱自性の共同体」は、メモを取ろうと考えているのですが、共同なるものの中の存在についての思考の経緯が難解で、内容の紹介に終わる可能性があるため難儀しています。そのうちにと考えて何年も経っていますが・・・