ちょっと一服
ダライ・ラマが政治亡命して、3月10日で50年になりました。
マスコミでも取り上げられていましたが、中央公論5月号(1501号)の八木澤高明氏の「潜入ルポ 厳戒体制のチベット自治州」を読むため、購入。
チベット族の、同じ民族同士の緊張感が、秀逸なルポとなっていました。
ちょっと気になったのは、八木澤高明氏の立ち位置の心許なさが見え隠れしました。
国家権力の圧倒的物量の前では、止む得ないのかも知れませんが・・・
同誌に西部邁と柄谷行人の対談「恐慌・国家・資本主義」が掲載されていました。
70歳にならんとする両氏ですから、意味の無い対談に終始しています。
ちょっと気付いたことをメモします。
資本主義的な再生産の障害(恐慌の必然性)の意味で、アルフレット・マーシャル(新古典派経済学)は「労働サービスの特殊性」、宇野弘蔵は「労働力商品化の無理」を論点としている。
僕は、労働力を商品と押さえることはかなり特殊であり、アナロジーを越えていることから、「特殊性」を常に念頭に置く必要があると考えます。
笑ってしまったのは、地域通貨、協同組合(アソシエーションに関連して)に話しが進み、「食料生産などは地域的にやるべきもの」、「商品=日用品は地域で確保する」と。
例えば、新宿区、広すぎれば新宿3丁目の協同組合と地域通貨を構想しても、内実がないことに気付くと思います。
他の協同組合の剰余分配を前提にしなければ成立ちません、単なる机上の空論です。
濃淡は別にしての地縁共同体、「ゆい」、「連」からの構想の方が、よほど射程が長いと考えます。(多分、両氏とも自治会、町内会などの現実の中で、日々の営為の通信がないから、無理だろうなぁ。)
対談を読んで、西部邁は何も考え切っていない、柄谷行人は構想を思考しているがドグマの影がちらつきました。
読売系中央公論の中で一番価値があったのは、次の絵でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/89/a2fff7bdb17ae82c543303f137b33992.jpg)
LEONARD FOUJITA 『私の夢』
彼女の持っている画集からコピーすればもっと鮮明なのですが、敢えて同誌から。
ダライ・ラマが政治亡命して、3月10日で50年になりました。
マスコミでも取り上げられていましたが、中央公論5月号(1501号)の八木澤高明氏の「潜入ルポ 厳戒体制のチベット自治州」を読むため、購入。
チベット族の、同じ民族同士の緊張感が、秀逸なルポとなっていました。
ちょっと気になったのは、八木澤高明氏の立ち位置の心許なさが見え隠れしました。
国家権力の圧倒的物量の前では、止む得ないのかも知れませんが・・・
同誌に西部邁と柄谷行人の対談「恐慌・国家・資本主義」が掲載されていました。
70歳にならんとする両氏ですから、意味の無い対談に終始しています。
ちょっと気付いたことをメモします。
資本主義的な再生産の障害(恐慌の必然性)の意味で、アルフレット・マーシャル(新古典派経済学)は「労働サービスの特殊性」、宇野弘蔵は「労働力商品化の無理」を論点としている。
僕は、労働力を商品と押さえることはかなり特殊であり、アナロジーを越えていることから、「特殊性」を常に念頭に置く必要があると考えます。
笑ってしまったのは、地域通貨、協同組合(アソシエーションに関連して)に話しが進み、「食料生産などは地域的にやるべきもの」、「商品=日用品は地域で確保する」と。
例えば、新宿区、広すぎれば新宿3丁目の協同組合と地域通貨を構想しても、内実がないことに気付くと思います。
他の協同組合の剰余分配を前提にしなければ成立ちません、単なる机上の空論です。
濃淡は別にしての地縁共同体、「ゆい」、「連」からの構想の方が、よほど射程が長いと考えます。(多分、両氏とも自治会、町内会などの現実の中で、日々の営為の通信がないから、無理だろうなぁ。)
対談を読んで、西部邁は何も考え切っていない、柄谷行人は構想を思考しているがドグマの影がちらつきました。
読売系中央公論の中で一番価値があったのは、次の絵でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/89/a2fff7bdb17ae82c543303f137b33992.jpg)
LEONARD FOUJITA 『私の夢』
彼女の持っている画集からコピーすればもっと鮮明なのですが、敢えて同誌から。