Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

松岡農水相の自死

2007-05-29 06:32:42 | 未分類
安倍総理及び自民党は、疑惑解明に及び腰で、自ら「黒」と認めた自死では、参院選が惨敗です。
安倍総理は、疑惑噴出の松岡農水相の任命責任、擁護責任が問われます。

このため、安倍総理及び自民党は、松岡農水相の自死はマスコミ、野党の理不尽な追及によるものだと、国民の同情を求めると考えます。

マスコミ、野党の中途半端な追求、安倍総理の擁護が、「自死」を選択させたと言う事が出来ます。

「酔生夢死とは関係なく No.42」(2007.5.8)に書きましたように、情に訴えることは知性の放棄です。安倍総理及び自民党の対応を注視する必要があります。

松岡農水相の常套句「法律に基づき、適切に報告している」、また安倍総理はこの常套句をもとに擁護しています。
身の潔白を証するこの法律(政治資金規正法)には、次のように書かれています。

(基本理念)第2条 この法律は、政治資金が民主政治の健全な発達を希求して拠出される国民の浄財であることにかんがみ、その収支の状況を明らかにすることを旨とし、これに対する判断は国民にゆだね、いやしくも政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制することのないように、適切に運用されなければならない。

この法律に基づけば、この様な事態(擁護、自死)はありえなかったと考えます。

ご冥福をお祈りします。合掌。



「美しい国」を目指す「汚れた内閣」とは ・ ・ ・


ライラック

2007-05-27 08:29:31 | 未分類
早朝の雨上がりの散歩は、大気がどこか冷えています。
愛犬は、雨を含んだ草むらを縦横無尽に、身体はビショビショです。

Lilacの円錐状の小花が開き始めました。
今年初めて、夏鳥として渡来する郭公の鳴き声が聞こえてきました。

春と夏とが混在しています。
でも、初夏のにおいが次第に強くなっています。

それで、咲き始めたLilacの写真なのでしょうが ・ ・ ・



コチジャン?
彼は、辛いのは苦手なのに、ワン!


クラスター爆弾

2007-05-26 09:26:24 | 憲法・非戦・平和
クラスター爆弾の使用、製造、移動、備蓄を禁止する条約の締結を目指す「オスロ宣言」に日本とポーランド、ルーマニアの3カ国だけが宣言に加わらないことを表明しており、5月25日の田母神空幕長と久間防衛相との発言が、次のように報道されています。

田母神空幕長「クラスター爆弾で被害を受けるのは日本国民。国民が爆弾で被害を受けるか、敵国に日本が占領されるか、どちらかを考えた時、防衛手段を持っておくべきだ」
久間防衛相「攻撃されて蹂躙(じゅうりん)されるか、守り抜いた後で不発弾処理をした方がいいか。今の技術レベルだと、私は後者だと思う」(2007.05.26朝日)

クラウゼヴィツの戦争論に「防禦にはその強みもあれば、弱みもあり、かつ、その強みは克服しがたいものではないが、しかしそのためには、釣合いのとれない代償が必要である。」(戦争論 321Pより 徳間書店)

田母神空幕長、久間防衛相は、『釣合いのとれない代償』は自衛官ではなく日本国民をあてがう戦略です。

庶民は交換可能を特性として持っています、つまり消耗品なのです。

この国を「戦争のできる国」にしようとしている「頭の空っぽの総理」やそれに連なる政治家や経済人、そして田母神空幕長、久間防衛相は、戦場で白兵戦を自ら行わない安全な場所からの発想しかしていません。
「犬死」するのは、いつも庶民です。

ひとりの庶民として、庶民の矜持を堅持し抗い続けます。



 すべての兵器が、花だったらいいのにね。ワン!


知の白痴化 その2

2007-05-25 06:16:48 | 未分類
立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」『第106回 安倍教育改革「負の遺産」 「哲学」の崩壊は憲法問題(2007年5月22日)』は日本哲学会の第66回大会のシンポジウムについて書いています。

 概要
哲学会の幹部「大学の教養課程の哲学は、いまや消滅しかかっているんです」
高山守東大教授「ぼくが前にいた南山大学では、ついに哲学科が消滅してしまったんですよ」
鹿島徹早稲田大学教授「早稲田大の哲学科は、以前、教授が7人いたのに、いまは3人に減らされてしまったんです」
いま進行中の大学改革の中で、哲学という研究領域がどんどん追いつめられている。
そして、石井紫郎東大名誉教授「これは憲法問題である」と。

国立大学は、平成16年の行政改革で、いっせいに独立行政法人となり、その基礎的経費は、運営交付金という形で、文科省から配分を受ける形になった。また、小泉内閣から安倍内閣に引き継がれた財政改革、教育改革の掛け声の中で、このところ急激にパイプがしぼられてきた。   
 概要終

読んでいて、「哲学が崩壊しかかっているのは、文科省が悪いからだ。」は「僕がグレたのは、社会が悪いからだ。」となんら変わらない責任転換の論理です。また、憲法で保障された「学問の自由」は、天から降ってくるとでも考えているようです。「憲法第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」は知らないようです。
「知」の集まりである日本哲学会の質がこの有様とは、自業自得と言って良いのか悪いのか、「知」にとって不幸な状況です。

また、立花隆氏は、「哲学はあらゆる知の世界の基盤を支える学問である」、「哲学教育の欠如が論理力の欠落招く」と書いています、そのとおりだと考えます。
「哲学のトレーニングがないと、筋道だててものごとを考えるということができなくなる。その辺りにゴロゴロいるちょっと頭の足りない人の議論と同じレベルの議論しかできないようになる」旨を書いています。

哲学ってトレーニングなんですかね、立花隆氏の著作の厚さに較べ質が薄い原因の一つが分かった気がします。
ちょっと足りない頭を絞って、一生懸命に仕事をして生活している、その辺りにゴロゴロいる人々の拙い論理の議論は、日本哲学会での大学教授の責任転換の論理より意味があり含蓄に富んでいると考えます。

さらに、立花隆氏は、「いまの大学教授たちは、全共闘世代ではないか。全共闘世代が、自己の存立基盤が丸ごと掘りくずされようとしているときに、黙って座視したままでいるとは、ほとんど信じ難いことである。」と書いています。

いまの大学教授たちは、全共闘世代ですが、全共闘ではないと考えます。きっと全共闘を批判的にまたは無関心で勉学に励んでいた人達だと考えます。
何故なら、全共闘は日本哲学会で露呈したような無様な大学・大学教授を否定し糾弾する運動体だったからです。



  「知」は不幸でも、散歩している僕は幸せ。



女子高生リカちゃん

2007-05-24 06:29:55 | 未分類
ちょっと一服

母校の周年事業で「女子高生リカちゃん」ストラップを作成したところ好評との報道がありました。
母校はもともと女学校で、敗戦後男女共学になりました。
きっと、同窓の「おばさま」、「おばあちゃま」の顰蹙を買っていることでしょう。

彼女「制服は、なかなかクリーニングできないから、そんなに清潔ではないのにね。」
酒、たばこ、ショウジョバエ、麻雀、反戦、本で通り過ぎた黒春の三年間でした。
勉強した記憶がほとんどありません。
私「えっ、買わないよ。」

頓珍漢な会話がありました。



  同窓会HPより