Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

小樽 街・食・藝 その3

2008-11-24 07:22:54 | 極私的黒春グラフティ
小樽駅から運河へ

パフェは普段食さないのですが、こくがあり甘味が控えめで、半分も食べることができました。
アイスクリームは、とても美味です。
彼女は、増量材のコーンフレークがないのでご機嫌です。

チョコレート・パフェ(パーラー美園)

創業は明治四十四年、商品は『水晶あめ玉』だけです。

澤の露本舗

タクシーの運転手さんに聞くと、今は観光客の少ない時季で、年明けから大挙押し寄せるそうです。
それでも、異国の言葉が飛び交っていました。

小樽運河

予約していたディナーの一品です。
早食いなのですが、2時間近く掛けて食しました。

ヒレ肉とフォアグラの?(Terrace Brasserie)

彼女は小樽に来ると、北一硝子花園店に寄り必ずガラス食器を求めます。
今回も何点か買い求めました。

Hilton Otaru

「小樽 街・食・藝」は、これで終わります。

Goodbye Otaru!  Moreover, it comes!


小樽 街・食・藝 その2

2008-11-23 07:17:23 | 極私的黒春グラフティ
小樽駅から運河へ

小樽文学館・美術館に寄りました。


文学館は「小樽ちまちま文豪展」、美術館は「小樽風景 個性の響き」の企画展を開催していました。

美術館の「小樽風景 個性の響き」を見ましたが、「暗い」がどうしても絵の具の「汚い」に見えます。
これだけの作品があれば、何点かはカメラに収めようと思うのですが、一枚もありませんでした。

企画展の隅のコーナーにブロンズ像がありました。
出来あがりつつある木彫りの熊でなく、木塊であればもっとイメージが膨らんだと思います。
タイトルと同様、説明しすぎています。

「熊を彫る老人」中野五一

小樽文学館の企画展は素通りし、常設展を見ました。

小熊秀雄賞は、2007年をもって終了すると発表されたところ『小熊秀雄賞市民実行委員会』が立ち上がり、危機を脱しました。
彼女共々、「カッコイイ!」と発しました。

小熊秀雄コーナーより

1950年、D・H・ローレンスの『チャタレイ夫人の恋人』がわいせつ文書に当るとして摘発を受け、1957年、最高裁で有罪となりました。
この紙片から始まったのでしょう。

伊藤整コーナーより

戦旗社版の『蟹工船』初版です。
初見です。

小林多喜二コーナーより

小林多喜二が銀行員として勤めていた旧拓銀小樽支店の建物です。
現在はホテルとなっており、残念ながら工事中でした。

ホテル ヴィブラントオタル(旧拓銀小樽支店)


小樽 街・食・藝 その1

2008-11-22 22:07:44 | 極私的黒春グラフティ
小樽駅から運河へ

黒春の頃、小樽の友人宅に居候し、海と酒の日々がありました。
その後、この街を通り過ぎたり、商いで来たり、商い仲間と酒を飲みに来たりしています。
今回は、彼女と小旅行です。

以前と少しも変わっていません。

小樽駅

アーケード街ですが、人通りが少なくシャッターを降ろした店舗が目立ちます。


小樽都通り

寿司屋通りで鮨を食す。


おたる栄六 大将おまかせ握り

北のウォール街と言われ、この一帯には石造りの建物が密集しています。


旧日銀小樽支店


牧歌から その3

2008-06-10 06:36:02 | 極私的黒春グラフティ
牧歌から二条市場へ

レオナール・藤田が道立近代美術館にやってくるポスターです。
彼女は、藤田の描く「猫」がお気に入りです。
彼女へのお土産ができました。


展覧会ポスター

狸小路を歩いていると、見知らぬ文字の看板や意味不明の「脳呼吸」の文字など、猥雑が主張しています。
朝・日貿易商事の建物がありました。
何を扱っているやら。


朝・日貿易商事

子供の頃、親と一緒に、年に何回か二条市場に買出しに来ました。
市場の裏小路に、ヒグマを飼っている家がありました。
さすがビビリましたが、父はニャニャしていたと思います。


二条市場

ちょっと戻って、時計台北側の「北地蔵」で一服です。


牧歌から その2

2008-06-06 06:33:00 | 極私的黒春グラフティ
牧歌から二条市場へ

高校の予餞会々場だった札幌市民会館跡です。
小麦粉カレー(120円?)を食したものです。
このカレーと似た味は、麻生球場の食堂で味わえます。


札幌市民会館跡 工事中

札幌市民会館跡の角に、一体の彫刻があります。
大通り公園には、十数体の彫刻があります。
時間があったら踏破(?)してみようかと・・・


「希望」山内壮夫

この通りに2軒の喫茶店がありました。
辛うじて、一軒残っていました。
ただ、店名が異なっています。


店名が読めない喫茶店

パルコ裏の喫茶店がお気に入りだったのですが、とうの昔にありません。
一服は、時計台北側の「北地蔵」にしようと思います。