Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

ちょっと一服 言葉の向こう編

2014-09-29 09:59:49 | 異形の滓

妹が老母のため帰省し、実家から解放された時間を先週から過ごしていました。

メモを書き続けたり、友人宅を訪れたり、講義を受けたり、本・CDを漁ったり等をしています。
まとまった時間ができたなら海外なのですが、老犬と過ごす時間を優先している今日この頃です。

ちょっと言葉は乱暴にメモします。

愛国者

潰瘍性大腸炎のステロイド治療によりムーンフェース(満月様顔貌)だけではなく、ステロイド精神病(うつ、躁、不安、焦燥、幻覚、記憶障害、無関心等)そのものに見える言動のボス猿が外遊三昧をしています。

「水を得た魚」のように、ウヨのババどもの「人生論(訓)」が書店に並び、ウヨのメスどもが政界を闊歩しています。

朝日新聞(09.25朝刊)の論壇時評に、高橋源一郎『「愛国」の「作法」について』が掲載されており、内容的には9月11日の社長謝罪会見の以前なら、池上彰のコラムと同じ不掲載の取り扱いではと思わされるものです。(食傷気味なので朝日新聞に関することは割愛)

スーザン・ソンタグの『同じ時のなかで』(未見)から、2001.09.11の同時多発テロに係る「テロ実行者が臆病者なのではなく、報復のおそれのない距離・高度から殺戮を行ったてきた我が軍隊こそ臆病者」の旨、「正義の増大が真実の相当部分を押さえ込む、正義と真実のどちらかを選ぶなら真実を選ぶ」の旨を引用しています。

スーザン・ソンタグのこの発言は、全米に憤激を巻き起こし、アメリカの敵を擁護する「売国奴」と見なされ、殺害予告をされるまでになったが、スーザン・ソンタグは発言を続けたことを紹介しています。

ブッシュ大統領の「イラクに大量破壊兵器がある」との捏造された情報を根拠に開戦となりました。(この島国では、まだオトシマエが着いていません。)
スーザン・ソンタグと彼女を批判した人間のどちらが「売国奴」で「愛国者」なのか、自称「愛国者」は、「愛国」がわかっていないのではなく、「愛」が何なのかわかっていない、と結んでいます。

ムーンフェースのボス猿、ウヨのババども、ウヨのメスどもにとって「真実」より「正義」を、そして「愛」なんて言葉はクソクラエなんでしょう。

「意 味」(CG小阪淳)


高橋源一郎の文章に添えられた視覚作品ですが、左隅はこれから開かれようとしているのか、または閉じられようとしているのか。

全体が「黒」で塗りつぶされた左隅のポイントが、在り来たりの意味を持たせているように見えますし、逆に左隅そのものが全体なのかもしれません。

ただ、そこに何を見るのかは、様々な事柄が言葉を超えてあると言えます。

 

 


皮膚感覚

2014-09-23 09:42:48 | 異形の滓

今朝の散歩、一回り小さくなった愛犬は、ゆっくりと周囲を見渡しつつ道端のにおいを確認し、時々躓き、時々よろめき、時々僕を振り返りながらの散歩でした。

愛犬の仕草の一部始終は、僕が認識するのではなく、愛犬に僕が認識させられていることを思い起こさせます。

早朝の秋冷の大気、昇った朝日は柔らかな温もりを感じさせます。


秋分の朝日の柔らかな温もりは、僕が感じるのではなく、僕が感じさせられていることを思い起こさせます。 


僕の皮膚感覚として例えば、芝居といえば、能楽、狂言、歌舞伎、人形浄瑠璃などではなく、巨大テント内の異時空に、いわゆるサブカルの類に心身を委ねていました。(伝統芸能を云々言えるような素養すらありません。)

8月からNHK Eテレで『ニッポン戦後サブカルチャー史』が放送されており、第三回は『劇画とナンセンスの時代~「カムイ伝」と「天才バカボン」』でした。

白土三平の「カムイ伝」は通読していません、当時、全共闘時代のバイブルとか言われていましたが、時々買ったり友人の部屋の『ガロ』を読むぐらいのものでした。(そのうち読み通そうと思っていますが。)
第一部では「村落コミューン」の期待、絶望、希望、悲惨等が、「差別問題」、「階級認識」、「唯物史観」、「権力構造」等を通して描かれいます。(同氏の「忍者武芸帳」は同じテーマですが、分かりやすく展開されています。)

当時、「差別問題」、「階級認識」、「唯物史観」、「権力構造」等は、「問題意識(問題化)」として自ら考えていた、と何の疑問もありませんでした。
後になって、自らの「問題意識(問題化)」として、例えば「カムイ伝」、「学生運動」、「テント小屋」、「1968年」等の『サブカル』の一端が、考えることを強いていた(考えさせられる)ことに気付きました、いかに、幼稚で未熟であったことか。

写真は同番組より(白土三平の本は引っ張り出せませんでした。)

ですから、「類的存在」の概念がありますが、視座を「他の人」と「自分」との関係による、自ら認識(考える)する事柄ではなく、認識(考える)させられる事柄です。


また、「他の人」だけではなく、早朝のゆったりした愛犬との散歩、季節の移ろい、様々な出来事、身の回りにある物、書籍、映像等により感じさせられたり、考えさせられたりしています。

そのようにして「類的存在」の概念を考えさせられますが、これが困難、難解、そして怠惰が待ち受けています。

*写真、緊張感なく貼り付けていることがバレていますね。

 


ちょっと一服 朝日新聞編 その3

2014-09-21 09:42:26 | 東電 柏崎・福島原発の放射能漏れ

9月12日の朝日新聞朝刊一面は『吉田調書「命令違反し撤退」報道』の記事取り消し謝罪で埋め尽くされています。

同朝刊に「吉田調書(抜粋)」が収録されており、じっくり読んで見ました。

その結果、『命令違反し撤退』報道(5月20日朝刊)は誤報ではないと思いました。断定できないのは3月11日から15日かけての暴走する原子炉の状況、維持するための人員数、その人員数の増減等が明らかでないためですが、それでも読後感として「誤報ではない」と。

 

東日本壊滅、死を覚悟し暴走する原子炉に向かう吉田所長の姿が浮かびあがります。

3月14日所長の退避命令の意図に反して10km離れた2F(福島第二原発)に多くの職員(約9割650人)が退避したことに対して、予兆がありました。
3月13日早朝に1F(福島第一原発)3号機の圧力上昇があり免震重要棟への退避命令を1時間以上かけており、1F(福島第一原発)2号機の状況が深刻化しており、退避すべき運転・補修に関係ない人員、本部籍の人員を調べておくこと、バスに燃料を入れ待機するよう指示しています。

1F2号機の危機が収まらず、「バスで退避させました。2Fのほうに。」の後に「本当は私、2Fに行けと言っていないんです。」と。
1Fの近辺の線量の低いようなとこころに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんです、の旨が続きます。

が、その後の発言の「2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。」、「伝言ゲーム」等、また退避した職員に「職務命令違反」の認識がなかったことから、『命令違反し撤退』報道は「職員が逃げ出した印象」を与えるとメディアから批判され、9月11日の社長記者会見で記事取り消しと謝罪になりました。


朝日新聞9月20日朝刊に折り込まれた謝罪文

淡々と語られていますが、奇異に思えた事が幾つも浮かび上がります。
・所長の退避命令を、伝言者はなぜ異なる内容で伝えたのか。
・ 2Fに退避したGM(グループマネージャー)と班長等を、2Fに着くと直ぐに呼び戻しており、GMと班長等は当初の命令をどのように考えたのか。
・逆に所長のGMと班長等への「戻れ」の命令が伝言者から正確に伝わったこと。 
・1F2号機の危機が収まっていないのにGMと班長等は「戻れ」の命令に従ったこと。
・この伝言者(複数?)は、所長の職務命令を故意に歪曲したのでは?   等

通常、組織内で上司が「A」を命令したのに部下が「B」の行為をすると「職務命令違反」となり処分の対象になります。

1Fでは明らかに「職務命令違反」がありましたが、「伝言ゲーム」のフレーズが一人歩きし「職務命令違反」を霧散させています。

これは、危機的状況にある原子炉に東日本壊滅、生死を賭ける方々(東電、社外)の『安全神話』への悔悟、コントロール出来ない未熟さ等の共犯者としての幻想が「職務命令違反」を霧散させていると考えます。

吉田所長は「今回のような事象(過酷事故)が同時に起こるとは、残念ながら3月11日までは考えていなかった。」旨を吐露しています。

 

 


ちょっと一服 朝日新聞編 その2

2014-09-16 10:58:06 | 憲法・非戦・平和

8月5・6日の朝日新聞の「慰安婦問題検証記事」に始まって、吉田調書、池上彰コラム不掲載(言論機関による言論封殺)まで、ウヨ番組やら週刊誌報道の「朝日叩き」が狂気の沙汰(新聞広告と立ち読みで十分)となっています。


「クマラスワミ報告」


1996年の国連報告書「クマラスワミ報告」は、大日本帝国陸軍の従軍慰安婦を「性奴隷」と位置付け、日本政府に謝罪や賠償を勧告しました。

イエスマン菅義偉官房長官は9月5日の会見で、朝日新聞が女性を強制連行したとの故吉田清治氏の証言を虚偽だったとして報道の一部を取り消したことに触れ「報告書が、取り消された記事に影響を受けているのは間違いない」旨述べています。

クマラスワミ元特別報告者(スリランカの女性法律家)は、共同通信のインタビュー(9/4)に対し、多くの元慰安婦への聞き取り調査結果などから報告書の内容を修正する必要は無いと述べています。(9/12報道ステーション)

「クマラスワミ報告」には、十数人の元慰安婦への聞き取り調査結果の概要が記されていますが、当然50年以上も前の出来事ですから、記憶違い、誤謬、誇張、伝聞の混在等はあると思いますが、決して大日本帝国陸軍は清廉潔白だったとは言えないと考えます。


「河野談話」


「河野談話」は、朝日新聞の虚偽であった吉田証言の報道が大きな影響を与えたのだから見直すべきだ、と。

石原信雄元内閣官房副長官は9/12報道ステーションにおいて、「吉田証言は眉唾物と見ており、河野談話は、吉田証言を根拠にして強制性を認定したものではない。」と述べており、その後も吉田証言は如何わしい旨述べています。


「妄 言」


ウヨ番組やら週刊誌報道(広告文言、立ち読み)で、引っ掛かる言葉があり調べてみると妄言とも言える作り話が多々あります。

例えば某週刊誌では、韓国で水曜デモ(日本軍『慰安婦』問題解決全国行動)は、1992.01.08に始まりましたが、朝日新聞の「慰安所、軍関与示す資料」の記事掲載が契機となり常態化したと書かれていますが、記事掲載は1992.01.11付けです。

ウヨ番組やら週刊誌報道は「売国奴」のレッテル貼りに勤しんでいるのに、「朝日新聞誤報問題」と「従軍慰安婦問題」とを重ね報じることにより、「従軍慰安婦問題」の本質から目を逸らさせ、果ては「従軍慰安婦捏造論」まで飛び出し「悪質さ」だけが浮かび上がっており、この島国の「名誉と国益」を毀損しており、自ら「売国奴」に化していることにディレクター、編集者等は気付かないのでしょうか。


「崖っぷち」


朝日新聞は、池上彰氏のコラム不掲載により言論機関による言論封殺を見事にやってのけました。
朝日新聞は、「崖っぷち」にあるのではなく「崖」から転落したと考えています。

この島国が敗戦に至った「負」を直視せず、また「戦争責任」の所在を明らかにしなかったことが主因であり、ウヨ番組やら週刊誌報道は朝日新聞、被害者を攻撃し罵倒し捏造することにより「負」、「戦争責任」から免れると、真剣に信じているとしか思えません。

同質のことは、朝日新聞についても言えます。

報道ステーション(9/12)において、東郷和彦氏は「世界では、自分の娘が従軍慰安婦、性奴隷にされることに置き換えて考えている。」と。
「従軍慰安婦問題」の本質には様々な事柄がありますが、「戦争」そのものと考えます。


「亡 父」


父は、満州へ大日本帝国陸軍通信兵として出征し、敗戦の翌年秋に帰還しました。

一兵士として、何をしたのか、何をされたのか、何をしなかったのか、何を見たのか、何を見なかったのか等を語ることは一切ありませんでした。

唯一印象に残っている(覚えている?)言葉があります。

「戦争はするものでない。」

亡父の経験は、対自性と化して語られることはなく、亡父の裡に深く深く固有の事柄としてあり続けたと考えます。

ただ、生活に困窮していなかった、あるいは亡父の戦争責任としての必然性があったのかは不明ですが、軍人恩給は貰わないし貰っていないと語っていました。

 

 


ちょっと一服 古紙編

2014-09-09 11:43:54 | 読書ノート

カテゴリーを「読書ノート」としましたが、非読書ノートです。

書店のポイントカードは何店舗か持っており、ある書店のポイントが貯まったので、新書2冊と交換しました。その内の一冊について。

「日本霊性論」 (内田樹 釈徹宗 NHK出版新書)

読み出して、途中で書かれている事柄に我慢をしている自分に気付き、更に活字を追っていると読み進めることが苦痛になり、読むことを止めました。

身体感覚(身体論)からの「知」ではなく、超越的次元の「霊性」へと論じられており、いわゆる「自分探しのスピリチュアル」と同様の「日本人探しのスピリチュアル」を展開している質と考えられます。

苦痛を覚えたのは自分自身が、「見えない世界の存在(超越的次元の存在)」を信じる(信仰)ことと「形而上学」は別物と考えているためです。

「本」って、様々な読み方がありますが、自分自身にとって自ら「考えること」に幅、厚み、奥行き等を与えることがひとつあります。

例えば、主権論(ホッブス)をひっくり返し人民主権論(民主主義の確立)と転化し焚書の扱いを受けた「社会契約論」(ルソー 岩波文庫)に、ヘーゲルとマルクスとの政治哲学の転化と同じ質を見ることができます。
また、当ブログ「資本主義の終焉」のキーワードとした『収奪者が収奪される。』と同質の事柄が同書(73P~)に『簒奪者』として述べられています。

自分自身にとって意味ある事は(無くても良いのですが)、「収奪者」、「簒奪者」に自ら何を付与する(位置付ける)等です。

決して「本」に自ら「考えること」を委ねるものではないと考えます。

この新書は古紙の値しかないと考えます。

「日本霊性論」

前回アップした「ちょっと一服 朝日新聞編」は、下書きは趣くままに書いたため長文になり、朝日新聞社批判、舞い上がるウヨ系批判、批判なら良いのですが誹謗中傷のフレーズとあやふやな記憶に溢れた内容のため大幅に端折りました。

結果的に、何とも言えない締りのない内容となってしまいました。

隣家の大きな芙蓉(20cm位あります。)

 

さてと今宵は、気が置けない旧友たちと何年か振りに一献傾けることになっており、その前にいつもの細事を終えなければ。