Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

お誕生日のケーキ

2006-08-31 19:27:34 | 未分類
僕の1歳のお誕生日のケーキには、ローソクが1本立っていたんだ。

2歳のお誕生日のケーキには、ローソクが2本立っていたんだけど、赤い炎が怖くて、そばに行けなかったんだ。
大好きなクリームのニオイがしていても、そばに行けなかったんだ。

3歳のお誕生日のケーキには、ローソクは1本も無かったんだ、ヤッター。

本当は、甘いもの食べちゃ駄目なんだけどね。



「頭がからっぽの総理候補」は、8月30日になって「暴力による言論弾圧はだめだ。」とのコメントを出しました。
「暴力によるものは駄目だが、統治機構(法、公安等)による言論弾圧は、おおいにやって良い。」と聞こえるのは、「頭がからっぽの総理候補」の人徳のおかげでしょう。

「頭がからっぽの総理候補」について、雑誌やWebでその実像を炙り出そうと、Webで「総理候補名」、「フグで有名な市名」、「カルト教団名(韓半島の団体)」等で検索すると、「ブラック」が出てきますが、ここには書きこめません。

書籍等で公になりましたら書きたいと思います。



雷の子供

2006-08-30 21:51:31 | 憲法・非戦・平和
この頃、もう子供の歓声と花火の音はしなくなったのでホッとしているんだ。
初めて、彼と彼女と姉と花火をした時は、そうでもなかったけど、二度目の夏からは、そばに行けないし、音も苦手になったんだ。

裏の家の北海道犬の○ちゃんが、花火の音に驚いて、柵を乗り越えて、足に怪我をしながら、家の庭に飛び込んで来たことが、何度かあるんだ。
北海道犬の○ちゃんの不安な気持ちは、良く分かるんだ。

花火の音って、雷の子供のような音がするんだよ。



加藤代議士が首相の靖国参拝を咎める発言をしましたが、8月15日実家が放火全焼しました。野党は一斉にテロ非難の声明を出しました。
当の首相は、8月28日になってやっと、記者の質問に答えるかたちで、テロについて発言しました。
記者の、「何故コメントしなかったか。」の問いに、「聞かれなかったから。」と。

自分と意見の異なる者はどうなっても良い、否どうにかなるべきだと、民主主義を否定する思潮が、根底にあると思います。
また、富田メモをスクープした日経に、スクープ翌日の7月21日に火炎ビンを投げた出来事から、靖国神社を禁忌としたい、批判することは恐ろしいことになると、国民に刷り込む意図があると懸念します。

8月21日に、「A級戦犯は、鎮霊社から分祀され、本殿に合祀されたのでは。」と書きましたが、地方新聞(東京地方)2006.8.28に、鎮霊社について靖国神社広報課からの回答とその検証が載っていました。

「鎮霊社に、A級戦犯は合祀されていたのか。」の問いに、答は、否定も肯定もしない内容となっています。

検証において、合祀は否定はできないが、肯定すると靖国神社自身で分祀した過去を認めることとなり、深刻な矛盾を抱えるため、否定も肯定もできないとの検証内容となっていました。



 

ミルク色の朝

2006-08-29 21:24:53 | 酔生夢死
夜明けに気温が下がると、あたり一面ミルク色になるんだ。
彼(旦那)と僕だけで、農道を歩いていると、まるで別世界に飛んで来たみたいなんだ。

彼は、こんな風景が大好きみたいで、「デジカメ忘れた。」と言うんだ。
3メートル先も見えないのに、何を撮りたかったのかな。

でも、リードは外してくれないから、農道を思いっきり走ることはできないんだ。
彼は、「向こうから、ジョキングの人が来たらビックリするから、一緒。」と言うんだ。

一度でいいから、ミルク色の中を走り回りたいなぁ。



酔生夢死とは関係無く

日常生活の中で、いくつかの大切な語彙があります。そのひとつが「A=B」です。語彙でなく簡単な論理式ですが、僕の中で重要な位置を占めています。

「A=Bであっても、B=Aではない。」ことは、コミュニケーション時にもボケーとしているときでも、誤りをただす方法の一つで、思索の羅針盤を果たす場合があります。

この簡単な論理式を用いるときに気をつけることがひとつあります。それは質と量、異なる質同士、異なる量同士を等記号で結ばないことです。

ただ、質と量、異なる質同士、異なる量同士を結びますと、シュールの入り口に立つことになります。

風を食べる

2006-08-28 19:57:08 | 未分類
彼(旦那)は、時々、コンビニへスポーツ新聞を買いに行くことがあるんだ。
僕は、助手席でルンルンなんだ。
晴れていると、窓を開けてくれるから、顔を出して風を浴びるんだ。そうすると、唇が風で震えて気持ち良いんだ。

彼は、「風を食べるための大きな口ではないのに。」と、僕をチラチラ見ながら言います。
この犬種は、狩猟で獲物(鳥)を回収(Retrieve)するために、大きく裂けた口に改良されました。

彼が、新聞と小さな袋を持って出てくるんだ。その袋には必ず大好きなメロンパンが入っているんだ。

もう、よだれが出てきちゃった。

  オルセー美術館

北の街にしては、蒸し暑い日が続くと、硬質の本は読めません。
ある機関が買い占めたのではないのか、どの本屋にも無いとWeb上で噂になった、「チャイナ・ゲーム」(千代田哲雄 祥伝社)と、「日本沈没第二部」を読みました。

「日本沈没」の第一部は、マントルの早送りで構成されているので、興味が無く読んでいませんし、映画もTVも見ていません。当時、小松左京は本当は沈没後の日本人について書きたかったとコメントしており、それが出たら読もうと思っていました。

「チャイナ・ゲーム」は、私とは相容れないフレーズが数行あり、、ストリーは別にして、だから人間が描けていないんだ、と突っ込んで終わり。

「日本沈没第二部」(小松左京+谷甲州 小学館)は、日本人そのものについて、一つの答えを示していますが、その答えが、どうも薄っぺらで、日本人としての思考の厚みが物足りなく思いました。
「皇居」は描写されていませんが、「君が代」が出てきます。「皇居」は、第一部に出てくるのかな・・・まあ、読む気にはなれませんけど。

両方に共通しているのは、中国の占める位置が大きく丁寧に描かれていたことです。

書評のように、丁寧に書けばいいんでしょうけど、ちょっとその気になれない類です、僕的には。蒸し暑い時には、こんな軟らかな本が、時間潰しに最適です。




2006-08-27 07:35:48 | 酔生夢死
僕の夢は、いつか「海」と言うところに行ってみたいことなんだ。

今年の夏も彼(旦那)と彼女(奥さん)が、湖とか海とかの話しをしていたんだけど、彼が「今日は天気が良すぎてだめだ。」とか言って行っていないんだ。
彼と彼女は、朝、昼、晩の大好きな散歩には行ってくれるけど、ようするに、出不精なのかもしれないんだ。

彼と彼女と姉(長女)が、海のことについて時々話していることを聞くと、とても気持ちの良さそうなところに思うんだ。

近所の川とか、遠くの大きな川には何度か入ったことがあるんだけど、とても楽しかったんだ。
海は、その何倍も大きくて水が一杯あるのかなぁ。



酔生夢死とは関係無く

今となっては笑い話ですが、ニキビ面の黒春の頃、万巻の書物の前で絶望したことがあります。黒春の頃は、よく絶望していたものです。

その頃から、他者に唯一自身を持って語れる「知っていること」は、「自分は、無知だ」ということです。
齢を重ねるごとに、関心領域が固定しだして、そのひとつひとつが狭くなってきて、悪いことに感性も鈍くなってきています。
他者と同じ関心領域について話しをしているときなど、意見の相違があったときは、丁寧に話していたものですが、この頃は「生理的に嫌!」とか言って、コミュニケーションを断絶したりします。ようするに根気も無くなっているのです。

こうして、横町のガンコ親父の出来上がり。

あるリベラルな掲示板(ヤフーからは検索できません、検索エンジンに露骨な規制をしています。)に、「自殺は究極の自己否定である(本文無し)」の書き込みがありました。
ちよっと考えれば、この誤りに気づくのにと思いました。
自分を否定しつづけて、最後に自死を選択(精神状態は別にして)した自分自身を肯定するから自死に至ると考えます。
ですから、、「自殺は究極の自己肯定である」と書くべきでしょう。

は、置いておいて自己否定とか自己肯定とか考えている人がいなくなりましたね。僕的には、皮肉屋の自己否定派、鼻につく自己肯定派と皮肉っています。