Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

共・有時詩論 補遺その13

2011-12-28 06:54:46 | 異形の滓
詩と批評 その2

現代詩は難解だと言われますし(実際、小難しい言葉とメタファが絡み難解です)、また難解さに拍車をかけているひとつが批評家連中の戯言だと考えるところがあります。

書き手の意図するところを、前後の作品からまた、書かれた当時の私生活の、同時期に書かれた著作の、その後の作品に連なる視点からの注釈、解釈にかかわる言説に溢れています。

作品の背景を広く捉えるほど書き手の意図に近似することが重要とでも言えるような、読み手には些細な事柄が事大的に語られます。

このような批評の対極にあるのが「源実朝」(日本詩人選 筑摩書房)です。武家社会の統領であり歌人であった源実朝の透徹した感性(覚醒)を描きながらも著者自身の思想が見事に書かれています。(内心、同氏の傑作の一冊と考えています。)

昔日、よく言われたフレーズがあります。
発する言動に対して『それが自分自身に取ってどの様な意味があるのか。』と。

先日、待ち時間潰しに目を通した「マルクスの逆襲」(三田誠広・集英社新書)はちょっと頂けない質(明らかな誤謬あり、埴谷雄高に師事したとは思えないレベル)ですが、学生運動のリーダは資本論をろくに読んでいない旨が揶揄的に書かれています。

学生運動のリーダが資本論を読もうが読むまいかどうでもよく、ましてや傍観していた三田誠広にとって発語の意味がありません。批評家連中のその他大勢の1人と同質です。

「ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる」

難解な用語と書かれている事柄を理解するために一生懸命考えることと、そのようなことを通して自分の言葉でどれだけ徹底して考え貫くこととは、まったく別物です。

前述した問には、前者は無言、後者は発語が表象されます。



現代詩は、詩篇を通して自分というテキストを読み「考えること」を強いますので、このことも難解さの理由のひとつです。

さて、自分というテキストに何を綴るのか?


つづく


共・有時詩論 補遺その12

2011-12-27 20:02:39 | 異形の滓
詩と批評 その1

幾つかあると言われる宇宙の、この誕生して約150億光年の宇宙の、その中のおとめ座超銀河団(局部銀河群)の、 その中の天の川銀河(銀河系)の、その中の太陽系の、 誕生してから約46億年の惑星がこの地球です。

地球が出来てまもなく地殻と海ができ、やがて最初の生命が出現し、約400万年前にアウストラロピテクス(アフリカで生まれた最初の人類)が出現し、約20万~19万年前に ホモ・サピエンス(私たちの祖先)が出現しました。

10代、20代の頃の、精神以前の、肉体以前の、そして感性以前の有り様に、言葉が借用され、宛がわれ、生み出され、思惟が借用され、宛がわれ、生み出され等、肯定と否定と不安と絶望と不快等の坩堝を光速で過ぎった詩篇のフレーズです。

にんげんの黙契の醜怪な貌が

あらゆる風景のうしろがはにゐる

「転位のための十篇」の『黙契』の3連目より「吉本隆明初期詩集」(講談社文芸文庫)


前述した不知の無辺広大に圧倒される思惟の果てに、外を逆説的比喩により表象することは、どのような有意もありませんが表象せざるを得ないと考えます。

些細な一つの事象に言葉を借用して(生み出して)論理的思惟の営為は、言葉を付与しなかった事象が同時に鼎立しています。この認識できない事象に圧倒的な不知を知ります。

目を通して見て、初期の詩篇は抒情が溢れ「固有時の対話」、「転位のための十篇」へと抒情からアジテーション(?)、批評へと転じていると、この先に「マチウ書試論」「擬制の終焉」等に連なっていると考えます。



追 記

「転位のための十篇」の『ちいさな群への挨拶』に有名な「ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる」のフレーズがありますが、機会があればと考えます。

つづく


いいですね。

2011-12-24 08:27:25 | 未分類
ちょっと一服

今夏、ギリシャの財政危機による緊縮政策を巡って、公務員(国民4人に1人は公務員?)のゼネストがありました。「ギリシャで48時間ゼネスト 200万人、緊縮策に反対」(2011.6.28共同)

ニュースで、参加者へのインタビューが流れ、中年男性が「金のない国に貸す方が悪い。」と。
一瞬「えっ!」と思い、なんとなく気になっていました。

朝日新聞(12/7)にギリシャ人の生活に触れた記事があり、気質、国民性に触れた内容が書かれており、情に厚いが、ビジネスでは苦労すると。

で、ネットで「ギリシャ人の気質、国民性」であたってみると、次のようなイメージが出来上がりました。

・ギリシャ人は明るく、解放的、人情味が厚い、金銭や時間には大ざっぱ。
・また、全部他人任せで、「誰かが何とかしてくれる」と徹底している。
・さらに、大ざっぱな金銭や時間感覚を悪い事だと全く思って無い

このような「強欲な物欲」に距離のある国民性のもとでは、計画経済とか市場経済の体制は機能不全になると思います。

ベルギーは1年以上政府がなくても市井人の生活等に支障がなかった例もありますし、どこか西洋かぶれした自分の国家感と別な国家感が鼎立しており、認識できないだけではと。



雇用先がないからどんどん公務員にした政策も、うすらぼんやり分かる気がします。どうせなら、成人になった国民は全員公務員にしたらと思いますが。

昔日パリ市内の観光時に、通訳の方が「パリメトロはストのため使えません。」と話され、「何故ストをしているのですか。」と聞くと「賃金上げのため、いい給与なんですよ。」と突き放す言い方をされました。

ギリシャ人は、大好きなトマトが十分に食べられる生活なら賃上げのストなど考えもしないのでは、と勝手な事を考えてしまいます。(失礼)

日本人と気質が似ていると言われる勤勉なドイツ人には、ギリシャの借金肩代わりなんてまっぴらなことでしょうね。


薄くて高い文庫本

2011-12-23 08:57:53 | 未分類
吉本隆明初期詩集

以前にも書きましたが吉本隆明の初期の詩篇で再確認したいものがあり、現代詩文庫(思潮社)の「吉本隆明詩集」を探したのですが出てきません。

以前何かの確認で取り出した後、もとの場所に戻さず積読山脈に紛れたのだと思います。こうなるとお手上げです。

物の在りかは場所で覚える癖があり、位置が変わると探し出せなくなります。
この為、彼女は茶の間に進出してきた本の山に触りませんが、小言が出てきます。

店頭にないものですから吉本隆明関連の書籍と「吉本隆明初期詩集 (講談社文芸文庫)」とを頼んでおきました。
彼女が買い物ついでに書店で受け取ってきてくれました。

「入っていましたよ、薄い文庫本なのに高いのね。」と言って渡してくれました。
内心『うっ。』となりましたが、「もう一冊は?」と話を逸らしたのですが、逆効果だったかもしれません。



「吉本隆明初期詩集 (講談社文芸文庫)」


共・有時試論 補遺その11

2011-12-22 06:38:50 | 未分類
自 由(freedom、liberty)その2

この島国の憲法において自由権として謳われており、自分の意思による行動、自分で決定する権利が明記され、他者の自由との調整として自由権の濫用を諌めていますし公共の福祉の概念が織り込まれています。(憲法12条民法1条3項)

逆に言い換えますと、自分の欲望のままに何事もなし得ますが、自分の欲望(利己的)から解放されることこそが「自由」と言えますから、「自由」の語彙(認識)が消失します。

このことだけを見ますと、我が家の愛犬、愛猫と同じ状態ですが、飼い主の視点にとって替わるのは、けして二元論ではない「自ら」そのものです。



ちょっと横道にそれましたが、自由が「高貴なる者の特権」であったものがひとり一人の自由権と派生した原因の一つに、資本主義の生産様式の出現のための土壌が用意されていたためと考えます。

室町時代に嫡子単独相続制(家督の嫡子単独相続、遺産の分割相続)が原則とされながらも確立したのは、江戸時代であり、次男、三男、女子らは江戸、大阪の大都市に奉公に出ました。

また、イギリスでは羊毛価格の騰貴により農民の共同使用地である耕作地が放羊場へと転化した結果、多数のプロレタリアートが発生しました。(資本論第一部第7編第24章)

放逐のイデオロギーが自由権(職業選択、居住地、奴隷的拘束、苦役等)の名のもとに転換(すり替え)され、資本主義の生産様式に組み込まれる美辞麗句(スローガン)に逆立ちしたと見ることができます。

以前にもメモ(共・有時試論 その5 2-2 自由について)しましたが、「平等」「相互扶助」などの言葉と同様に、「自由」にある種の「権威」を幻視していると考えます。

つづく