詩と批評 その2
現代詩は難解だと言われますし(実際、小難しい言葉とメタファが絡み難解です)、また難解さに拍車をかけているひとつが批評家連中の戯言だと考えるところがあります。
書き手の意図するところを、前後の作品からまた、書かれた当時の私生活の、同時期に書かれた著作の、その後の作品に連なる視点からの注釈、解釈にかかわる言説に溢れています。
作品の背景を広く捉えるほど書き手の意図に近似することが重要とでも言えるような、読み手には些細な事柄が事大的に語られます。
このような批評の対極にあるのが「源実朝」(日本詩人選 筑摩書房)です。武家社会の統領であり歌人であった源実朝の透徹した感性(覚醒)を描きながらも著者自身の思想が見事に書かれています。(内心、同氏の傑作の一冊と考えています。)
昔日、よく言われたフレーズがあります。
発する言動に対して『それが自分自身に取ってどの様な意味があるのか。』と。
先日、待ち時間潰しに目を通した「マルクスの逆襲」(三田誠広・集英社新書)はちょっと頂けない質(明らかな誤謬あり、埴谷雄高に師事したとは思えないレベル)ですが、学生運動のリーダは資本論をろくに読んでいない旨が揶揄的に書かれています。
学生運動のリーダが資本論を読もうが読むまいかどうでもよく、ましてや傍観していた三田誠広にとって発語の意味がありません。批評家連中のその他大勢の1人と同質です。
「ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる」
難解な用語と書かれている事柄を理解するために一生懸命考えることと、そのようなことを通して自分の言葉でどれだけ徹底して考え貫くこととは、まったく別物です。
前述した問には、前者は無言、後者は発語が表象されます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/14/d0bbff1279676b71108aca4678a63080.jpg)
現代詩は、詩篇を通して自分というテキストを読み「考えること」を強いますので、このことも難解さの理由のひとつです。
さて、自分というテキストに何を綴るのか?
つづく
現代詩は難解だと言われますし(実際、小難しい言葉とメタファが絡み難解です)、また難解さに拍車をかけているひとつが批評家連中の戯言だと考えるところがあります。
書き手の意図するところを、前後の作品からまた、書かれた当時の私生活の、同時期に書かれた著作の、その後の作品に連なる視点からの注釈、解釈にかかわる言説に溢れています。
作品の背景を広く捉えるほど書き手の意図に近似することが重要とでも言えるような、読み手には些細な事柄が事大的に語られます。
このような批評の対極にあるのが「源実朝」(日本詩人選 筑摩書房)です。武家社会の統領であり歌人であった源実朝の透徹した感性(覚醒)を描きながらも著者自身の思想が見事に書かれています。(内心、同氏の傑作の一冊と考えています。)
昔日、よく言われたフレーズがあります。
発する言動に対して『それが自分自身に取ってどの様な意味があるのか。』と。
先日、待ち時間潰しに目を通した「マルクスの逆襲」(三田誠広・集英社新書)はちょっと頂けない質(明らかな誤謬あり、埴谷雄高に師事したとは思えないレベル)ですが、学生運動のリーダは資本論をろくに読んでいない旨が揶揄的に書かれています。
学生運動のリーダが資本論を読もうが読むまいかどうでもよく、ましてや傍観していた三田誠広にとって発語の意味がありません。批評家連中のその他大勢の1人と同質です。
「ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる」
難解な用語と書かれている事柄を理解するために一生懸命考えることと、そのようなことを通して自分の言葉でどれだけ徹底して考え貫くこととは、まったく別物です。
前述した問には、前者は無言、後者は発語が表象されます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/14/d0bbff1279676b71108aca4678a63080.jpg)
現代詩は、詩篇を通して自分というテキストを読み「考えること」を強いますので、このことも難解さの理由のひとつです。
さて、自分というテキストに何を綴るのか?
つづく