Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

集団的自衛権

2013-08-29 09:40:45 | 憲法・非戦・平和
今秋に3度目のパリ行きを計画しましたが、愛犬(14才5ヶ月)の老化が進んでおり(室内で粗相をする、立ち上がれないことがある等)病院の世話になっており、断念しました。
愛犬は、食欲旺盛(おやつは減らしています)、散歩大好き(ゆっくりと20~30分くらい)
で、アーモンド眼をキラキラさせている今日この頃です。

集団的自衛権

法制局長に集団的自衛権行使の論者がアヘ首相により任命されました。
その小松一郎法制局長が8月26日の朝日のインタビュー記事で、次のような頓珍漢な例えを恥ずかしげもなく語っており、記者は突っ込んでいません。

「隣家に強盗が入って殺されそうだが、パトカーがすぐに来ないかもしれないので隣人を守る。」

この例えは、一見反論の余地がないように見えますが、前提が隠されており論理の展開もいい加減です。
米国は「世界の警察」を自称しており、このたとえ話は、「交番に強盗が入って殺されそうだ・ ・ ・ ・。」と言い換えることができ頓珍漢な例え話しです。

憲法前文の「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」
、また第九条の理念を知らないが如き発言です。
米国の軍事費負担の肩代わりとして、この島国の金と命を差し出すのではなく、求められたら「平和憲法」を盾に拒絶すべきです。

憲法観がなく「神州不滅」の価値観のアへ首相に迎合することへの危機感のない者の発言です。
為政者は、キャッチフレーズやこのような例え話で国民を無思考(更に、情緒的、無責任、付和雷同等)の状態に陥れますので十二分に気を付けなければなりません。


小松一郎法制局長(8/27 朝日朝刊より)

はだしのゲン

松江市の「はだしのゲン」騒動がマスゴミを喜ばしています。
気になるのは、再審議した教育委員会の論議が手続き論に終始し、本質論が皆無なことです。また、別の事柄で同じ過ちを犯します。

昨年12月5日市議会で作品の撤去を求める陳情が不採択となった直後(12/15)、教育委員会事務局は学校に対して「閉架図書」の要請、更に翌月(1/9、1/10)に再度要請しています。この陳情に対しての議会、常任委員会と事務局との間の胡散臭さが垣間見えます。

道新(8/24朝刊)に、閲覧制限の判断をした福島律子前教育長の「配慮足りなかった」との無責任かつ他人事のようなインタビュー記事が掲載されています。
教育長は教育委員会において「日本国憲法を遵守」する服務の宣誓をしているはずなのですが、憲法そのものは読んでいないのでは、また事務局の幹部職員も同様に思えます。

「生権力の管理型」が、学校、子供に対して悪質に出た典型です、自覚すらないから無責任かつ他人事のような発言が出てくると考えます。
自分なりに「生権力の管理型」の許される質として、以前、スウェーデンのマルメ市(自治体)を訪れたときに本屋を覗いたことがあります。その類の本(写真集)は、書架の高いところに並べられていました。


「はだしのゲン」(中沢啓治 集英社)
絵が好きでないため読んでいませんでしたが、このような騒動になる前にコンビにに並んでおり購入。


よもの海

2013-08-14 09:37:34 | 憲法・非戦・平和
明日の「敗戦記念日」を考え、先月時間つぶしで読んだ新潮45(2013.8月号)の『昭和天皇と「よもの海」の謎』(平山周吉)の雑感を。

明治天皇が、露国との開戦を決定した明治37年2月4日の御前会議の後に詠んだ歌と昭和天皇とを論じている。

よもの海みなはらからと思う世になど波風のたちさわぐらん

昭和16年9月6日の御前会議において「帝國国策遂行要領」を決定(裁可)、前日近衛総理がこの議案を説明したが、昭和天皇は米国との開戦が主で外交交渉が従であるため、交渉に重点を置くように要求し、呼ばれた杉山参謀総長、永野軍令部総長は外交交渉に重点を置くことを天皇に念を押された。

翌日の御前会議で「帝國国策遂行要領」は決定されたが、その中で天皇は「よもの海」を記した紙片を手に読み上げ、「故大帝の平和愛好の御誠心を紹述せんと努めている」旨の発言をした。

御前会議は立憲君主の具現のため天皇は一切発言しないが、天皇は軍部への疑念が解消されず、再度、杉山総長、永野総長に質し、御前会議は未曾有の緊張となった。
東條陸軍大臣は、「聖慮は平和にあらせられる」と顔色を変えたが、翌日には開戦強硬派であった。

「よもの海」は、露国との開戦前に詠まれたのではなく、開戦決定後であり、明治天皇の大御心は出征兵士、赤子への叡慮、御憂いを詠んだものである(智恵者がいた)との異なる解釈から、天皇の発言は無視されることとなり、真珠湾攻撃へ。

昭和50年10月31日の日本記者クラブにおいて「戦争責任」を問われると、「言葉のあや、文学方面はあまり研究していない、答えかねる」旨の不可解な言葉を発しているが、これは天皇のなかに「よもの海」が軍部により「平和」から「開戦容認」に読み替えられた経験から正直な吐露であった、と。



東條英機の悪質さと昭和天皇の個性(平和)を対比する構成となっており、後半に、茨城のり子の詩集「自分の感受性くらい」から『四海波静』を取り上げ、この文章全体のバランスをとっている。
例えば、批判もあるが丸山眞男の「日本ファシズム」批判の視点、また天皇制そのものの視点もなく、出版社の限界なのかもしれません。

四海波静

戦争責任を問われて
その人は言った
  そういう言葉のアヤについて
  文学方面はあまり研究していないので
  お答えできかねます
思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑い吐血のように
噴きあげては 止り また噴きあげる

   以下略