Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

共・有時試論 その13

2011-09-14 06:23:01 | 異形の滓
4-1 言葉と革命について

これまで取り続けてきたメモの類を読み返してみて、自分でも主旨の不明なフレーズが多々あり、それらは抜き出してはいませんが温め直さなければと、下手の考え休むに似たりです。

言語は呼吸である。」を抜き出しておきます。

このテーマの最後に、別のワンフレーズを抜き出しますが、ピントが合うかどうか?

以前にも何度か「めり込む」と用いています。

起きた事、起きなかった事、知った事等が、今の自分に沸き立つようにめり込みます。
それも沸き立ち続け「めり込む」続けます。

時計の、カレンダーに記されている未来が、自分を訪問し続けます。
決して、自分が時計の、カレンダーに記されている1時間後、1ヶ月後、1年後・・・の未来を訪問するのではなく。

また、

例えば、鎌倉幕府は、1192年(イイクニつくろう)に源頼朝が征夷大将軍に任官されて始まったとされていますが(異説あり)、過去を遡って約800年前に鎌倉幕府があるのではなく、あったのであって、記録として知識として今の自分にあるに過ぎません。

一つの事柄に、複数の人の記憶、思い出は異なります、それぞれがその人にとって正解であり、他者との比較に意味はありません。

自分が自分であろうとする(在る)ことは、過去が自分に、また未来が自分に訪れるのであって、今、自分がここに居て、在ることが自分そのものです。

ここに、存在の深遠な宇宙を見ることになります。



追 記(2011.09.14)

当ブログとリンクしています晴走雨読氏のブログで取り上げて頂いております。
新たな切り口による批判を期待したいものです、更に深化するためにも。