Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

大江・岩波裁判 最高裁勝訴確定

2011-04-23 08:53:01 | 憲法・非戦・平和
東日本大震災で亡くなられた方と行方不明の方が、数字として朝刊・夕刊に掲載されています。
一人ひとりの「個」が無名化され、単なる統計となっており酷さを禁じえません。

昨日、大江健三郎「沖縄ノート」(岩波新書)の名誉毀損訴訟で最高裁は原告の元戦隊長側の上告を退ける決定をしました。

妥当な判決と考えています。

当ブログにおいて2007.11から2008.11にかけて、7回に渡り大江・岩波裁判をメモしてきましたが、後日判決文を読んだ上で改めてメモをします。

「沖縄ノート」訴訟 集団自決の軍関与を認めた判決確定(2011.04.23朝日)

原告弁護団長松本藤一弁護士のコメントに「日本や日本軍の名誉を決して回復させてはならないという強い戦後の観念のもとで下された決定だ。」(同記事より)

沖縄戦における元座間味島戦隊長の梅沢裕元少佐、元渡嘉敷島戦隊長の故・赤松嘉次元大尉(原告は弟)は、日本軍を貶めたと考えます。

この大江・岩波裁判が敗色濃厚と見るや、脱兎の如く敵前逃亡した稲田朋美議員と同質と考えます。

集団自決せざるを得なかった沖縄の方々は、一人ひとりの「個」が無名化され、単なる統計となっており酷さを禁じえません。


大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会HPより

僕は、大江健三郎は毀誉褒貶のある人物と考えています。


東京電力 くたばれ! その3

2011-04-17 21:38:48 | 東電 柏崎・福島原発の放射能漏れ
否、失礼「東京電力 がんばれ! その3」でした。

WHO飲料水水質ガイドライン(第3版第9 章 放射線学的観点)では、ヨウ素 I-131は10ベクレル(Bq/L)セシウムCs-137は10ベクレル(Bq/L )(同書203~)です。

ドイツガス水道協会は0.5ベクレル(Bq/L)、アメリカの法令基準は0.111ベクレル(Bq/L)と定めています。

ところが、この島国の市民の健康を守る厚生労働省が医薬食品局食品安全部長通知(平成23年3月17日付「食安発0317第3号」)を出しました。

3月17日以降の日本の暫定基準値は、ヨウ素(I-131)は300ベクレル(Bq/L)とすると。

「1年余り飲んでも影響なし…入浴・洗髪もOK」(2011.03.24 読売)抜粋
笠井篤・元日本原子力研究所研究室長によると、水1キロ・グラム当たり210ベクレルという値は、1年余り飲んでも影響が出る心配はない。東京都の指示通り、乳児については摂取を控えた方がよいが、入浴や洗髪に使っても体内に取り込まれる心配はなく、通常通りに使用して問題ないという。

これは原子力危険委員会の暫定基準値をそのまま使用しているにすぎません、職務、責任の放棄です。

4月10日の都知事選投票終了直後に、いつものとおりNHKは石原慎太郎に当選確実を出しました。
東日本大震災時に佐々淳行を選対本部長にする冴えはさすがと思いました。
その佐々淳行は、勝因を語るなかで「せいしんさっこう」の言葉を用いました。
東日本大震災に乗じて、石原慎太郎と佐々淳行のイデオロギーのお粗末さが吐露されたと考えます。


国民精神作興ニ関スル詔書

聞きなれない言葉なので調べてみると「精神作興」のことで、1923.09.01の関東大震災のあとに立て続けにだされた詔書で、1923.09.12「関東大震災直後ノ詔書」、1923.11.10「国民精神作興ニ関スル詔書」があります。

「国民精神作興ニ関スル詔書」に「軽佻詭激(けいちょうきげき)」の言葉がありますが、これは「共産主義思想」の意味で使われているようです。

お粗末な石原慎太郎と佐々淳行の権力は市民を管理することを当然としますが、市民には権力を管理する責務があります。

「精神作興」の言葉の向こうに「非国民」の三文字が透けて見えます。

(2011.04.12記)


内と外と その2

2011-04-16 07:53:48 | 異形の滓
愛犬との散歩コースは何通りかありますが、生死を彷徨ってからはオシッコとウンチがメインのショートコース(公園が主)でした。
先週から徐々に距離を伸ばしており、今朝はミドルコースにトライしました。
さすがに後半は、シッポがうな垂れていましたが休むことなく帰宅できました。

まだ爆睡している彼女への一番の吉報になります。(2011.04 .16記)

*  *  *

 異形の滓

何時もの喫茶店で購入した深入りの豆を挽き落として飲みます。
ほぼ同じ味ですが、日によっては美味しく思わないときがあります。
彼女は、何時もと同じ味で美味しいとは言いますが。

宮元啓一氏は、前述しましたウパニシャッド(一群の哲学書で奥義書と訳されます。)から、次のように説いています。

『自己は「他者(世界)とか意識(現象)とか経験とかの相関性を完全に捨象した純粋な自己反省によってのみ成立する自己性(自己同一性)によって確立されるものである。」ので、自己は生、滅の原因は持たない、つまり不生、不死の常住なる実在である。』
また、
『「これより別のものは苦しみに陥っている」は、世界とか意識(現象)とか経験とかの実在性は自律的ではなく他律的であり、自己は、自身の内部から確立されず、外部の実在つまり自己に依存する儚いものである。』
同書145Pより概要

また、

『認識主体に属する認識しようとする要求は、認識対象を対象とする以外ない、認識主体を対象とすることはありえないため、認識主体が無限後退する論理的過失に陥る。』
同書146P~より概要



「インド最古の二大哲人」(宮元啓一 春秋社)

西洋の哲学は唯物と唯識の二元論から唯識論に重きがあり、また心理学に絡め捕られ、対象(現象)を認識することにより自己(同一性)を認識しようと悪戦苦闘しているが、論理的過失に陥っており、「自分とは何か(何者か)」の問いとなっていない。(対象(現象)を認識する外に自己を置いている。)

また、対象(現象)と自己(主体)との相関性は、扇子の扇面、骨とかなめではなく、また、両者を円に例えると重なってはおらず、それぞれ一つの円としてあり、認識主体は『自己反省によってのみ』実在すると。

(2011.03 .26記)


レベル7

2011-04-15 21:25:37 | 東電 柏崎・福島原発の放射能漏れ
首都圏に住む妹と電話で話していて

妹「風評被害の野菜がスーパーで安売りしているので、応援の意味で買おうか迷っている。」
僕「あなたと旦那さんが食べる分には良いけれど、子どもには与えないで。」
妹「国は安全だ、風評被害で生産者は途方に暮れていると。」
僕「放射性物質が風に乗って均一に降っている訳ではないし、全量検査でなく抜き取り検査だから。ましてや基準値なんて信用しない方が良い。」

国も東電も報道も専門家もこぞって「ただちに健康に影響があるわけではない」と呪文を唱えていますが、被ばくは直ちに症状がでる急性障害と数年から数十年後症状がでる晩発性障害がありますが、急性障害のリスクがないだけのことで、晩発性障害のリスクを故意に伏せています。

晩発性障害が発症するころには、発言している当事者は誰もおらず、責任を問われる事が無いからです、

福島第一原発が世界に撒き散らしている放射性物質は、もともと自然界に存在しない物質なので、市民の健康を第一に考えるのであれば、もっともっと神経質になるべきです、国も東電も報道も専門家も。

呆れるのは基準値、規制値を上方修正することです。

ネットで笑えない話がありました。
首都圏の放射線量は福島の約200分の1なのですが、NHKで「福島市の毎時20マイクロシーベルトはレントゲンの30分の1だから心配ない」と発言した東大教授は、大学では「換気扇を止めろ」と指示し、わざわざ文書を回覧した、とありました。

原子力関係の東大教授がやたらとテレビに出て「安全、安全・・・」と唱えていますので、東大の「寄付講座・寄付研究部門設置調」を見ますと、工学系に東京電力から億単位の金が寄付されていますので、悪口、批判は言えないのですね保身のため。
このような紐付きの悪質な輩は、物理的に ・ ・ ・ です。

「安全」の支離滅裂さが紙面にありました。

「枝野長官、トマトがぶり いわき物産展で安全アピール」(2011.04.13朝日)記事略
「出荷自粛のサンチュ、東京の店頭に 出荷停止前に供給」(2011.04.13朝日)記事略


ドイツ気象庁HPより

赤色の濃淡で粒子濃度を表示していますが、放射線量は不明です。
赤*濃度は僅かに希釈
黄*濃度はかなり希釈
白*濃度は極めて希釈

(2011.04.14記)


内と外 その1

2011-04-11 21:13:48 | 異形の滓
ちょっと小難しいことをメモしておきます。

暗闇の中で、懐中電灯Aは対象物を照らしだしますが、懐中電灯Aそのものは照らしません。
その懐中電灯Aを照らすためには別の懐中電灯Bが必要となります。
懐中電灯Bを照らすためには懐中電灯Cが ・ ・ ・

本当にそうでしょうか?

書店で何時ものように漁っていると、腰巻の「深遠なるインド哲学の源流」の文字が目につきました。多分に大雄、釈迦にも大きな影響を与えたウッダーラカ・アールニとその弟子(と言われる) ヤージュニャヴァルキヤの教えの原典訳が出版(2011.03刊)されており購入。

「インド最古の二大哲人」(宮元啓一  春秋社)

僕自身、古代の西洋、東洋の哲学の素養はまったくなく、軽い気持ちで読み始めたのですが、言葉自体は易しいのですが、なかなかどうして購入以来何度か読み返しています。

二大哲人の真髄は別の機会にメモすることとして、最後に宮元啓一氏の「附論 自己と世界」が収録されており、短文ですが読み応えがあります。

『附論 自己と世界』より

「(自己は)見られることがなく見る者であり、聞かれることがなく聞く者であり、思考されることがなく思考する者であり、知られることがなく知る者である。これより別に見る者はなく、これより別に聞く者はなく、これより別に思考する者はなく、これより別に知る者はない。これがなんじの自己であり、内制者であり、不死なるものである。これより別のものは苦しみに陥っている。」(プリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド3・7・23) 同書144Pより
(2011.03 .21記)



昨日の道新書評欄で「伊勢と仏とキリストと」(坂井洲二 法大出版局)に「奇跡を見せて圧倒する法華経の釈迦如来と順を踏んでていねいに説明する釈迦、後者の釈迦の実像は、ドイツ人同様インド・ヨーロッパ語族らしく論理的だ」と葛西賢太(宗教学者)が書いていました。(2011.04.11記)