1-2 弁証法について
夕方の帳が下りてくる頃、愛犬は農道のはるかかなたを凝視することがあります。自分の視力は預金利子みたいなものですから認識できませんが、ややしばらく歩いて行くとかなり遠くに散歩をしている方を認めることが出来ます。
愛犬の視力なのか嗅覚なのか分かりませんが、別の世界を持っていることが分かります。
「暗闇」「光」との境界の世界に生活をしていることが分かります。してこの境界は明確な線、面等ではありません。
善と悪とのあいだ、感性と知性とのあいだ、そして心と体とのあいだに明確な境界を設定することはできません。(感覚と理性)
ただ、明らかに「善」「悪」「感性」「知性」「心」「体」と想定できる領域があり、これらの事柄をややこしくしています。
弁証法の考え方は、その止揚の概念は、組織を解体させ自己を否定するベクトルを持っています。
*物質に係る最先端研究の事柄から、これまでの唯物(論的)弁証法について思惟した事柄のメモを付記すべきなのでしょうが、かなり難解で長文のため割愛します。
夕方の帳が下りてくる頃、愛犬は農道のはるかかなたを凝視することがあります。自分の視力は預金利子みたいなものですから認識できませんが、ややしばらく歩いて行くとかなり遠くに散歩をしている方を認めることが出来ます。
愛犬の視力なのか嗅覚なのか分かりませんが、別の世界を持っていることが分かります。
「暗闇」「光」との境界の世界に生活をしていることが分かります。してこの境界は明確な線、面等ではありません。
善と悪とのあいだ、感性と知性とのあいだ、そして心と体とのあいだに明確な境界を設定することはできません。(感覚と理性)
ただ、明らかに「善」「悪」「感性」「知性」「心」「体」と想定できる領域があり、これらの事柄をややこしくしています。
弁証法の考え方は、その止揚の概念は、組織を解体させ自己を否定するベクトルを持っています。
*物質に係る最先端研究の事柄から、これまでの唯物(論的)弁証法について思惟した事柄のメモを付記すべきなのでしょうが、かなり難解で長文のため割愛します。