黄檗山 萬福寺の伽藍配置は、三門-天王殿-大雄宝殿-法堂が一直線に並び、
基本、左右対称に天王殿の右には鐘楼、左に鼓楼。大雄宝殿だと右に
伽藍堂・斎堂、左は祖師堂・禅堂が配置され、
法堂にも右に東方丈、左に西方丈が置かれています。それぞれの伽藍を
回廊や菱形に並べられた踏み石の直線で繋がれ、交差するのも直角。
とても整然とした伽藍配置になっています。
〈月台(げったい)〉大雄宝殿の前。
床は堂内も回廊もこの正方形を45度斜めにした黒瓦が敷き詰められているのが
特徴です。大雄宝殿の前後の庭には白砂が敷かれて、厳かな雰囲気でした。
そう言えば「月台」って中国では駅のプラットホームを指したりもしますね。
月台の中央に置かれている石は、罰跪香頂石(ばっきこうちょうせき)。
何やら怖そうな名前ですね。規約違反者が懺悔をする場所なんだそうです。
大雄宝殿と法堂の間にも白砂が敷かれ直線の文様でならされています。
月の明りをお堂に取り込む効果もあるのだとか。
〈法堂(はっとう)〉
内部には須弥壇のみが置かれており、住職がこの壇上で説法し、衆僧は
問答によって所信をみがく場所。ひらたく言えば教室?(^_^ゞ
禅宗では法堂と呼びますが、他の宗派では「講堂」にあたる伽藍ですね。
直線の意匠が醸し出す潔さは、迷いを吹っ切れる感じがします。(私だけ?)
萬福寺のシンボルのひとつでもある、卍くずしの匂欄(こうらん)も
装飾としてはシンプル、美しいですね。
扉もこんな風に・・・ちょっと阿弥陀くじっぽいかな?(^_^ゞ
キラキラ輝く光線がこういう文様の原点かも知れませんね(私説)
〈開山堂の勾欄〉
卍(まんじ)、日本では仏教を象徴する記号として使われ、仏教寺院を表す
地図記号にもなっていますが、同様の文様は世界各地にあるようです。
中でも有名なのは、ナチスが用いたハーケンクロイツ(鉤十字)でしょうか。
欧州の方が日本の地図を見て、ナチスの施設だと思われないかな・・・(^_^ゞ
法堂の扁額「獅子吼(ししく)」
獅子吼とは、釈迦が説法する姿を獅子のほえる様子にたとえたもの。
〈慈光堂〉一般信徒の位牌を納め永代供養するところです。
〈禅堂〉扁額は「選佛場(せんぶつどう)」。座禅を行うところです。
吊るしてある板には「止静」とありました。
〈祖師堂〉
達磨禅師(祖師)が祀られています。両脇には歴代住持職の位牌も。
ダルマさんはインドの僧で、釈迦から数えて28代目。禅を伝えるため
中国に渡られ、禅宗の祖とされています。転んでも起きます。(^_^ゞ
伽藍を繋ぐ回廊が、これまた見モノ♪
張り巡らされた回廊も特徴的ですが、突然その回廊の真ん中に・・・
〈合山鐘(がっさんしょう)〉
開山堂、寿蔵、舎利殿で行われる儀式の出頭時にのみ鳴らされるそうです。
〈寿塔(じゅとう)〉(寿蔵・真空塔)
隠元禅師のお墓で、生前に建てられたものです。正面円窓扉に書かれた
「壽蔵」は隠元の書。扁額の「真空塔」は霊元天皇の筆によるものです。
〈舎利殿(しゃりでん)〉
もともと仏舎利(釈迦が荼毘に付された時の遺骨、遺灰)を納める
塔婆(塔)=釈迦のお墓?ですが、これが発展して五重の塔になったり、
金閣寺の建物も舎利殿ですね。
ちなみに仏舎利が日本に持ち込まれた、渡ったと言う確かな文献は無いよう
ですね。明治末期にタイ・スリランカなどから寄贈されたり第二次世界大戦後、
インドのネルー首相から寄贈され各地に納められたようです。
ま、仏舎利自体あいまいなモノだとは思いますが・・・
〈舎利殿〉
寿塔から舎利殿に行ったので気がつきませんでしたが、この石段を降りた
ところに立入り禁止の看板が・・・。おそらくこの石段が荒れていて
危険だからでしょうね。降りたところが開山堂のすぐ横になります。
〈開山堂〉
開山 隠元禅師を祀っている建物で、隠元禅師の木像が安置されています。
ここだけではなく、お寺のあちこちで桃の意匠が見られます。
桃は仙果と言われ、中国や日本では古代より邪気を祓い不老長寿を与える
植物とされていますね。
開山堂の勾欄は綺麗な卍文様。 ん~、ラーメン食べたい・・・(^_^ゞ
〈開山堂〉全景。
ここのアプローチ、石畳は日本海を表しているのだとか・・・?何でやろ。
大屋根下の扁額には「瞎驢眼(かつろがん)」と書かれています。
瞎驢とは「目の開かない驢馬(ろば)」のことで、これは、禅の師匠が
未熟な弟子に対して吐く言葉で、この他に
「飯袋子(はんたいす)…能無しの無駄飯食い」や
「擔版漢(たんばんかん)…視野の狭い偏見持ち」などの激しく厳しい
言葉を用いつつ、弟子たちを叱咤激励して、禅の正道へ導いたのだそうです。
順序が逆になりややこしいですが、
〈通玄門〉
ここをくぐれば、奥に開山堂があるわけで・・・
最後に
〈怨親平等塔〉
「昭和12年(1937)日中両国干戈を交うるに至り、痛恨にも両国の
戦病死者夥し。当寺はその創立中国と最も深き因縁にあり、
当時の住職山田玉田和尚いたくこれを愁い、
戦禍に斃れた両国の将兵及び諸民の精霊を慰めんと、
妙法蓮華経六万九千六百四十三文字を一字一石に謹書して宝筐印塔に収め、
その冥福を祈ることを発願された。
(中略)この塔を建立し怨親平等塔と銘し、両国が一日も早く友好の昔に
かえり親和親善の浄界実現を心から祈願された。」
出展:【怨親平等塔由来】より
怨親平等とは仏教用語で、大慈大悲の心から、自分に仇なす怨敵も憎むべき
でなく、自分を愛する親しい者にも執着するべきでなく、平等にこれらを
愛憐する心をもつべきだと云う教えです。
敵味方の差別なく、恩讐を超えて平等に解脱や極楽往生を願う思想でもあり、
それゆえ日本各地に敵味方合同の供養碑などが見られますね。
ちなみに元寇の際の蒙古兵や秀吉の朝鮮出兵「文禄・慶長の役」での
朝鮮および明の戦死者の供養碑もあります。
日本は古来から、多くの事を大陸や半島から学びました。
大きな過ちも犯し傷つけたりしたことは申し訳ないですが、
日本人も犠牲を被りました。が反米教育などはしていませんね・・・
これにて萬福寺のレポ終了です。やっとこさ・・・(^_^ゞ
2015.1/25、宇治 黄檗山 萬福寺にて。
基本、左右対称に天王殿の右には鐘楼、左に鼓楼。大雄宝殿だと右に
伽藍堂・斎堂、左は祖師堂・禅堂が配置され、
法堂にも右に東方丈、左に西方丈が置かれています。それぞれの伽藍を
回廊や菱形に並べられた踏み石の直線で繋がれ、交差するのも直角。
とても整然とした伽藍配置になっています。
〈月台(げったい)〉大雄宝殿の前。
床は堂内も回廊もこの正方形を45度斜めにした黒瓦が敷き詰められているのが
特徴です。大雄宝殿の前後の庭には白砂が敷かれて、厳かな雰囲気でした。
そう言えば「月台」って中国では駅のプラットホームを指したりもしますね。
月台の中央に置かれている石は、罰跪香頂石(ばっきこうちょうせき)。
何やら怖そうな名前ですね。規約違反者が懺悔をする場所なんだそうです。
大雄宝殿と法堂の間にも白砂が敷かれ直線の文様でならされています。
月の明りをお堂に取り込む効果もあるのだとか。
〈法堂(はっとう)〉
内部には須弥壇のみが置かれており、住職がこの壇上で説法し、衆僧は
問答によって所信をみがく場所。ひらたく言えば教室?(^_^ゞ
禅宗では法堂と呼びますが、他の宗派では「講堂」にあたる伽藍ですね。
直線の意匠が醸し出す潔さは、迷いを吹っ切れる感じがします。(私だけ?)
萬福寺のシンボルのひとつでもある、卍くずしの匂欄(こうらん)も
装飾としてはシンプル、美しいですね。
扉もこんな風に・・・ちょっと阿弥陀くじっぽいかな?(^_^ゞ
キラキラ輝く光線がこういう文様の原点かも知れませんね(私説)
〈開山堂の勾欄〉
卍(まんじ)、日本では仏教を象徴する記号として使われ、仏教寺院を表す
地図記号にもなっていますが、同様の文様は世界各地にあるようです。
中でも有名なのは、ナチスが用いたハーケンクロイツ(鉤十字)でしょうか。
欧州の方が日本の地図を見て、ナチスの施設だと思われないかな・・・(^_^ゞ
法堂の扁額「獅子吼(ししく)」
獅子吼とは、釈迦が説法する姿を獅子のほえる様子にたとえたもの。
〈慈光堂〉一般信徒の位牌を納め永代供養するところです。
〈禅堂〉扁額は「選佛場(せんぶつどう)」。座禅を行うところです。
吊るしてある板には「止静」とありました。
〈祖師堂〉
達磨禅師(祖師)が祀られています。両脇には歴代住持職の位牌も。
ダルマさんはインドの僧で、釈迦から数えて28代目。禅を伝えるため
中国に渡られ、禅宗の祖とされています。転んでも起きます。(^_^ゞ
伽藍を繋ぐ回廊が、これまた見モノ♪
張り巡らされた回廊も特徴的ですが、突然その回廊の真ん中に・・・
〈合山鐘(がっさんしょう)〉
開山堂、寿蔵、舎利殿で行われる儀式の出頭時にのみ鳴らされるそうです。
〈寿塔(じゅとう)〉(寿蔵・真空塔)
隠元禅師のお墓で、生前に建てられたものです。正面円窓扉に書かれた
「壽蔵」は隠元の書。扁額の「真空塔」は霊元天皇の筆によるものです。
〈舎利殿(しゃりでん)〉
もともと仏舎利(釈迦が荼毘に付された時の遺骨、遺灰)を納める
塔婆(塔)=釈迦のお墓?ですが、これが発展して五重の塔になったり、
金閣寺の建物も舎利殿ですね。
ちなみに仏舎利が日本に持ち込まれた、渡ったと言う確かな文献は無いよう
ですね。明治末期にタイ・スリランカなどから寄贈されたり第二次世界大戦後、
インドのネルー首相から寄贈され各地に納められたようです。
ま、仏舎利自体あいまいなモノだとは思いますが・・・
〈舎利殿〉
寿塔から舎利殿に行ったので気がつきませんでしたが、この石段を降りた
ところに立入り禁止の看板が・・・。おそらくこの石段が荒れていて
危険だからでしょうね。降りたところが開山堂のすぐ横になります。
〈開山堂〉
開山 隠元禅師を祀っている建物で、隠元禅師の木像が安置されています。
ここだけではなく、お寺のあちこちで桃の意匠が見られます。
桃は仙果と言われ、中国や日本では古代より邪気を祓い不老長寿を与える
植物とされていますね。
開山堂の勾欄は綺麗な卍文様。 ん~、ラーメン食べたい・・・(^_^ゞ
〈開山堂〉全景。
ここのアプローチ、石畳は日本海を表しているのだとか・・・?何でやろ。
大屋根下の扁額には「瞎驢眼(かつろがん)」と書かれています。
瞎驢とは「目の開かない驢馬(ろば)」のことで、これは、禅の師匠が
未熟な弟子に対して吐く言葉で、この他に
「飯袋子(はんたいす)…能無しの無駄飯食い」や
「擔版漢(たんばんかん)…視野の狭い偏見持ち」などの激しく厳しい
言葉を用いつつ、弟子たちを叱咤激励して、禅の正道へ導いたのだそうです。
順序が逆になりややこしいですが、
〈通玄門〉
ここをくぐれば、奥に開山堂があるわけで・・・
最後に
〈怨親平等塔〉
「昭和12年(1937)日中両国干戈を交うるに至り、痛恨にも両国の
戦病死者夥し。当寺はその創立中国と最も深き因縁にあり、
当時の住職山田玉田和尚いたくこれを愁い、
戦禍に斃れた両国の将兵及び諸民の精霊を慰めんと、
妙法蓮華経六万九千六百四十三文字を一字一石に謹書して宝筐印塔に収め、
その冥福を祈ることを発願された。
(中略)この塔を建立し怨親平等塔と銘し、両国が一日も早く友好の昔に
かえり親和親善の浄界実現を心から祈願された。」
出展:【怨親平等塔由来】より
怨親平等とは仏教用語で、大慈大悲の心から、自分に仇なす怨敵も憎むべき
でなく、自分を愛する親しい者にも執着するべきでなく、平等にこれらを
愛憐する心をもつべきだと云う教えです。
敵味方の差別なく、恩讐を超えて平等に解脱や極楽往生を願う思想でもあり、
それゆえ日本各地に敵味方合同の供養碑などが見られますね。
ちなみに元寇の際の蒙古兵や秀吉の朝鮮出兵「文禄・慶長の役」での
朝鮮および明の戦死者の供養碑もあります。
日本は古来から、多くの事を大陸や半島から学びました。
大きな過ちも犯し傷つけたりしたことは申し訳ないですが、
日本人も犠牲を被りました。が反米教育などはしていませんね・・・
これにて萬福寺のレポ終了です。やっとこさ・・・(^_^ゞ
2015.1/25、宇治 黄檗山 萬福寺にて。
床に映った卍の影がとても綺麗なのを覚えております。
今日は天気が良かったのでこの近くまで走りに
行ったのですが、
カッパさんの日記読んだら、久しぶりに萬福寺に寄れば良かったな~
実は私、白雲庵は行くのですが寺は入り口ぐらいしか観ていないのです。
ナチスのマークと回転方向が逆なんですよね。意図的にそうしのかな・・・。
「大慈大悲の心」を日本からでもいいから発進して欲しいな。お金だけじゃなくて。
でも何かマークを考えるとき、初期に思いつきやすいものではあるでしょうね。
卍とハーケンクロイツの「逆」鉤十字と、どちらが多いのかな。
白砂は月光を反射してぼんやり白く光る感じでしょうか。
幻想的な景色でしょうね。
材料のロスも多いだろうし。
そのへんが「どや!」って感じ?
そんなところにランダムに貼られた石。
よっぽど荒れたイメージなのかな日本海って。
きっと冬の日本海やね。
「能無しの無駄飯食い」なんて叱咤激励したら・・・今時はパワハラで訴えられるかも
あの影は計算づくでしょうね、印象的です。
萬福寺は結構充実していましたよ。
平等院にも行ってみたいけれど・・・
大慈大悲の心、似たような教えは
C教もI教もあるはずなんだけどな・・・おそらく世界中が
仏教徒になっても紛争は尽きないでしょうね。
白砂の筋は月光を乱反射させるのに役立っているのかな?
夜を明るくする知恵かもしれませんね。
施工は絶妙、ロスも少なそうです。補修も楽だろうし、
意外と合理的なのかも。
あそこの通路だけがランダムになってました。
突然、日本海イメージだと言われてもネ・・・(^_^ゞ
言葉の暴力、問題になりそうですね。
確かに過去の過ちの事実の部分は
事実として受け止めないといけないですね。
それを反日教育へと
一緒くたにしてほしくないものですよね。
使っている文字も「漢」字だったり「明朝」体だったり・・・
今の政府とは戦争もしていないはず何だけどね・・・