カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

後ろの正面だ~れだ?

2016-02-23 23:30:33 | 京都徘徊記
豊臣秀吉が造った正面通り、その正面には方広寺大仏殿が歴史上
破格のスケールで建っていましたが、後ろの正面は?
これまた歴史の動きが見えるようで・・・

ちょっと流れを整理するため年表を…暗記の必要は無いです。(^_^ゞ

1583年:石山本願寺跡に大阪城を築いた秀吉、同年に関白となり、
1586年:太政大臣になり、豊臣政権樹立。
1590年:小田原征伐で実質上天下統一を果たし、
1591年:本願寺(西本願寺)を京都に移します。
1593年:伏見城を築城し、自らの本拠地としました。
1595年:方広寺大仏殿を建立、西本願寺までの路、正面通ができました。
1596年:大地震(慶長伏見地震)により、伏見城天守閣、大仏殿が倒壊。
1598年:秀吉、伏見城にて没。
1599年:方広寺東方の阿弥陀ヶ峰山頂に葬られ、その麓に豊国神社を創建。
1600年:関ヶ原の戦いで、西軍が敗北。徳川家康が実権を握ります。
1602年:徳川によって東本願寺が造られ、正面通は分断されます。
1603年:徳川幕府が成立。
1615年:大坂夏の陣で豊臣家は滅亡。同時に秀吉の神号は剥奪され、
    墓であった豊国廟社を取り壊し、豊国神社も実質上封鎖。

こんな経緯ですが、正面通にとって大きなことは、やはり本願寺の存在。






〈西本願寺〉

本願寺は11世・顕如の時(石山本願寺・大阪)、織田信長と対立し、
11年に及ぶ石山合戦の末、信長に屈する形で和解。石山本願寺を
明け渡します。しかも内部は表方(穏健派・顕如三男准如)と
裏方(抗戦派・顕如長男教如)に分かれます。
秀吉は、穏健派に跡を継がせた本願寺に寺領を与え、七条堀川に
現在の西本願寺が建てられました。

阿弥陀如来を本尊とする本願寺、その阿弥陀堂と向かい合うように
盧舎那仏を鎮座させた大仏殿を建立、その間を結んだ路が
正面通でした。(正面通の呼称は後に定着したものです)

さて西本願寺の無料駐車場にクルマを停めたまま(本当は駄目
なんでしょうが、参拝も済ませたことだし・・・)正面通を東へ
方広寺の方向へ歩いてみます。(^_^ゞ



後ろを振り返ると重文の総門、堀川通越しに西本願寺が見えます。
この辺は珠数屋町、北隣りは仏具屋町という町名。
正面通はまさに仏具店が数珠つなぎで軒を連ねています。

〈山本亀太郎商店〉創業1710年(元禄元年)

〈京念珠ぜにや〉



いつ見てもユニークな西本願寺伝道院、1895(明治28)年に
設立された真宗信徒生命保険株式会社の社屋として、
東京帝国大学教授 伊東忠太の設計により建築されたものです。


〈本願寺伝道院・重文〉



〈鍵長法衣仏具店〉

西洞院通(にしのとういんどおり)、若宮通(わかみやどおり)の
交差を過ぎれば新町通(しんまちどおり)で突き当たってしまいます。



東本願寺は“右左”へ500m、西本願寺は“後”へ300m・・・


永井株式会社・一疋屋(いっぴきや)座布団専門の老舗のようです。

東本願寺へ行くため、どん突きを右に。新町通を南に七条通に出る
手前でユニークな建物を発見。





黒塗りの壁、何とも言えなず興味を覚える建物でしたが、正体不明。

七条通を東へ、烏丸の角を北に上がればもう東本願寺です。



三方を掘に囲まれ、境内に入るには橋を渡って門をくぐります。



西本願寺も堀がありますが、水が涸れていて美しく無いのですが
東本願寺にはちゃんと水が張られています。だから・・・



アオサギさんを見ることもあります。交通量の多い烏丸通沿い、
歩道は観光客がぞろぞろ歩いているしバス停の側なんだけど、
ほんの数メートルのところから写真に撮れます。
肝の座ったモデルさんですね♪
写真を撮っていると、観光の方がすぐ先にカワセミがいたよって
教えてくれました。見に行きましたが、すでに飛び立ったのか
姿は確認できず。でも近くの渉成園(しょうせいえん)の池には
いると聞くので、ここに飛んできても不思議ではないのですが・・・



京都タワーは今でも「お東さん(東本願寺)のローソク」って
呼ばれることがあります。(^_^ゞ





〈阿弥陀堂門〉
東本願寺も西本願寺と同じように阿弥陀堂門、御影堂門がありますが、
位置が逆。阿弥陀堂、御影堂(ごえいどう)の伽藍配置が真逆で、
東本願寺の場合は南に阿弥陀堂、北に御影堂が建っています。
畳の向きも西本願寺の南北方向に対し、東本願寺は東西方向。
柱は西本願寺が角柱を使うのに対して、東本願寺は丸柱を使うという
徹底した対向心?他にも仏具まで含めると48通りも相違点があるとか。
同じ教義をもつ宗派なのに・・・
どうやらこれも家康が秀吉色を払拭させるために企てたものか?
まんまと門徒勢力を2分されている気がしますね。


〈左:阿弥陀堂、右:御影堂〉

御影堂は、世界最大の木造建築物と言われています。
・・・それって、奈良の大仏殿じゃ?
確かに高さは東大寺大仏殿の方が高いのですが、建築面積は東本願寺
御影堂の方が大きいのだとか、容積は同等と思われています。
ちなみに秋田県大館樹海ドームやティラムーク航空博物館(アメリカ)、
メトロポール・パラソル(スペイン)も世界最大の木造建築物と
言っているようですが、構造があまりにも違うので無視しましょう。



御影堂の修復が終わったと言うのに、今は阿弥陀堂の修復をやっている
ようですね。現在阿弥陀堂は閉鎖されていますが、今年の春までと
いうことなので、もうすぐ終わりますね。






手水舎も立派。外国の観光客の方かな、図解を見ながらかマナー通りに
されていて、何かほほえましかった・・・(^_^ゞ



御影堂門、これまたデカい。国内最大級の木造の山門であることが
最近の調査で確認されたとか。東大寺南大門(国宝)、京都の知恩院
三門(国宝)を越えているそうです。ここのは登録有形文化財ですが・・・



御影堂門を出ると・・・



噴水♪ 正面通だから小便小僧でもいいのですが・・・(^_^ゞ



ぐるっと回って北側(花屋町通)はこんな具合。



ここ、京都的には異質?でも好きな風景です。



2016.1/11、東本願寺にて。