カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

井伊うどん?

2010-11-24 18:28:12 | ランチ/カフェ
佐川美術館に行く前にお昼ご飯、何処にしよってネットで探したら
「近江牛肉うどん」って文字が目につき・・・
こりゃ旨いかもしれんと、電話番号をナビに入力。おかしな事に違う店名を表示、案内する。行ってみたら、その店すら無い!何ちゅうこっちゃと辺りを探し回ることに。その電話番号に電話を掛けると、ちゃんと目的のお店が出てきて、場所を教えてもらう。ナビデータ、むちゃくちゃやし・・・w



結局、お店は夢京橋キャッスルロードの真ん中辺りにありました。
『麺匠 ちゃかぽん』
駐車場は向いにありますが、他店と共同。




「ちゃかぽん」って屋号がちょっと変わってますよね。
これ、井伊直弼(いいなおすけ)のあだ名なんです。彦根藩と言えば井伊家、35万石に昇り詰めた徳川幕府下の譜代大名ですね。
その一代目は井伊直政。関ヶ原の闘いで功績を挙げ彦根城築城に取り掛かるが戦傷のため完成前に死去。嫡子・直継が後を継ぎ彦根城を完成させ入城するも病弱で大坂の陣に参戦できず、代わりに参陣した弟の直孝が二代目藩主となる。
これより彦根藩井伊氏は幕閣の中枢として、5代6度の大老職に就き、石高も譜代大名中最高とまさに譜代大名筆頭。
中でも最も有名なのは15代、井伊直弼ではなかろうか。
13代直中の14男として生まれた、どうころんでも後継ぎ藩主になれるはずがない身の上。封建社会において武家の次男以下は養子か、妻すら迎えられぬ部屋住みの「厄介者」になるよりほかになかったのである。
他の兄弟たちは何とか養子の口があり、出ていったのだが直弼にはお声が掛からず、まさに厄介者で一生を終えるかと思われた。その頃の直弼は部屋住みの身分で茶道、居合、禅、能、歌道に打ち込み教養も高めた。その頃、「ちゃ」は茶。「か」は歌道。「ぽん」は能の太鼓の音のことで「ちゃかぽん」とあだ名された。そんな残り者の直弼に運命の悪戯か、既に14代を継いでいた兄、直亮の子が死に後継ぎが絶えたので直弼が後継者として15代藩主を継ぐ事に。補欠が大逆転、しかも大老まで昇り詰めたわけで・・・
幕末期の直弼は、ご存知のように反幕府勢力を弾圧する「安政の大獄」の主役、そのため水戸藩士によって「桜田門外の変」で暗殺される。ただ幕府内においては開国論を訴えるなど、決して時代の動向を見誤った人物では無かったようだ。




このお店のメニューにはそんな井伊家の歴史がしのばれる。


井伊の武将を「赤鬼」と称するのは、関ヶ原で勇猛果敢に闘った井伊直政の赤備え(あかぞなえ=甲冑、武具などを朱塗りにした)からきているのだが、元は武田信玄の軍の精鋭部隊、山県隊が武田滅亡後、直政に付いたことから井伊軍は赤備えとなったものです。

え~っと、そんなことはあんまり考えずに、注文したのは


家内が「赤鬼うどん 一代目」

ピリっと辛さの効いた特製つけだれで食していただく釜上げうどんです。近江牛の煮付けも付いてます。それほど辛く無かったみたい。

私は初志貫徹「近江牛肉うどん」を

肉どこや~!みたいな量でしたが、確かに美味しいお肉ではありました。周りを見渡したら、「赤鬼うどん 二代目」が旨そうでした、しゃぶしゃぶ風で。

食べ終わったらもう3時を回っていたので、美術館に行くのは諦めてここの駐車場にロドを停めたまま、散策したわけでして・・・
歩き回った後のデザートは・・・ひなびた?カウンターだけの喫茶店で





あっ、私が食べたのは恥ずかしながらバニラの方。指摘される前に告白しますが、写真撮るのを忘れてひと口・・・(^_^ゞ



2010.11/14、彦根城 夢京橋キャッスルロードにて。