今回の東京行脚は、知り合いの家を訪ねてのこと。
これと言った目的も無く・・・
落ち着いたイイ街だよと言うことで、周辺を散策してみることに。
近くは閑静な住宅街、大邸宅も並んでいて、相当高級住宅街もある。
芸能人の家も幾つかあるようで、松任谷家(正隆・由実夫妻)も住まれてるとか。
これは、岡本八幡宮の門前にある石燈篭。地震で倒壊したのを
新たに寄贈されたとのこと。
そんな話しをしてくれたのは、道端の掃除をされていた初老の方。
「何方から?」と聞かれて、「京都から」と答えると
何と僕と生まれた地域が同じ・・・
東京の片隅で同郷の人と出逢うとは、奇遇でした。
この方、実はこの「岡本公園 民家園」をシルバー雇用で
お世話されてる方でした。
もうすぐ開園するから見ていったらと勧められ、入ってみることに。
江戸中期に建てられた古民家や土蔵を集めて移築され、民家園として
開放されてとのこと。
古いものだが所詮、江戸時代。京都と較べるとね…と先ほどの親父。
家の中へも自由に入って、当時の生活ぶりを感じることができる。
まだ、神さんと一緒に暮らしてた時代・・・
今のようにお金で便利を買えなかった時代、
工夫や智恵にあふれた道具達が暮らしを支え、豊かにしてたのだろう。
東京まで来て、こんなまったりした気分を味わえるとは・・・
この民家園がある岡本公園、湧水を利用してホタルの繁殖もされてる。
住宅街を流れる小川(丸子川)は、自然の形を保存して
岸は土のまま。僕らが子供の頃に遊んだ小川のようだ。
生き物もいっぱい居るに違いない。話では鮒が普通に泳いでるとのこと。
近くには公園が点在し、とても羨ましい環境。東京を見直しました。
散策を続けてると、このすぐ近くに静嘉堂文庫と言うのを発見。
静嘉堂文庫は、三菱財閥の二代目・岩崎弥之助(いわさき・やのすけ 1851-1908)が収集した
日本や中国の貴重な古典籍を保存し、研究者に公開することを目的として、弥之助の嫡男で、
四代目の岩崎小弥太(いわさき・こやた 1879-1945)によって建てられました。
静嘉堂の名称は『詩経』の句から採った弥之助の堂号です。
岡本静嘉堂緑地には、 三菱財閥ゆかりの岩崎家玉川廟もあります。
(近代建築散策より引用)
散策はまだまだ続きます。
これと言った目的も無く・・・
落ち着いたイイ街だよと言うことで、周辺を散策してみることに。
近くは閑静な住宅街、大邸宅も並んでいて、相当高級住宅街もある。
芸能人の家も幾つかあるようで、松任谷家(正隆・由実夫妻)も住まれてるとか。
これは、岡本八幡宮の門前にある石燈篭。地震で倒壊したのを
新たに寄贈されたとのこと。
そんな話しをしてくれたのは、道端の掃除をされていた初老の方。
「何方から?」と聞かれて、「京都から」と答えると
何と僕と生まれた地域が同じ・・・
東京の片隅で同郷の人と出逢うとは、奇遇でした。
この方、実はこの「岡本公園 民家園」をシルバー雇用で
お世話されてる方でした。
もうすぐ開園するから見ていったらと勧められ、入ってみることに。
江戸中期に建てられた古民家や土蔵を集めて移築され、民家園として
開放されてとのこと。
古いものだが所詮、江戸時代。京都と較べるとね…と先ほどの親父。
家の中へも自由に入って、当時の生活ぶりを感じることができる。
まだ、神さんと一緒に暮らしてた時代・・・
今のようにお金で便利を買えなかった時代、
工夫や智恵にあふれた道具達が暮らしを支え、豊かにしてたのだろう。
東京まで来て、こんなまったりした気分を味わえるとは・・・
この民家園がある岡本公園、湧水を利用してホタルの繁殖もされてる。
住宅街を流れる小川(丸子川)は、自然の形を保存して
岸は土のまま。僕らが子供の頃に遊んだ小川のようだ。
生き物もいっぱい居るに違いない。話では鮒が普通に泳いでるとのこと。
近くには公園が点在し、とても羨ましい環境。東京を見直しました。
散策を続けてると、このすぐ近くに静嘉堂文庫と言うのを発見。
静嘉堂文庫は、三菱財閥の二代目・岩崎弥之助(いわさき・やのすけ 1851-1908)が収集した
日本や中国の貴重な古典籍を保存し、研究者に公開することを目的として、弥之助の嫡男で、
四代目の岩崎小弥太(いわさき・こやた 1879-1945)によって建てられました。
静嘉堂の名称は『詩経』の句から採った弥之助の堂号です。
岡本静嘉堂緑地には、 三菱財閥ゆかりの岩崎家玉川廟もあります。
(近代建築散策より引用)
散策はまだまだ続きます。