ノスタルジックカーショーで私が楽しみにしてるのは
ヒストリック・レースカー、スポーツプロトカーの展示なんです。
今年は童夢が目玉になり、ちょっと寂しかった気がしますが、それでも
PORSCHE 2台が展示されてました。
この写真だけで充分、このクルマが何か判りますよね・・・?
プラモデル、よく作りました。タミヤ少年でしたから。
カレラ6(ポルシェ906)です。総生産台数65台、その内3台が日本にあります。
展示車はその内の1台です。ノーズがちょっと長いタイプですね。
水平対向6気筒、2リッターの空冷エンジンを搭載。
第4回日本グランプリで、大排気量車を相手に 生沢徹選手のカレラ6が優勝。
オートスポーツ誌をむさぼり読み、生沢徹の自伝「チェッカーフラッグはまだか」
を買ってしまったのを思い出します。
もう1台のポルシェは
通称「ロスマンズ・ポルシェ」 ポルシェ962です。日本にあったんだ!
1982年~1985年にかけてル・マン24時間レースを4連覇した956を
レギュレーション変更に伴いモディファイされたもので、外観的にはほとんど同じ。
美しいロングテールのフォルムに ロスマンズカラーがよく似合う。
これがユノディエールを390km/hオーバーで走り抜ける姿を見たいものです。
なお、962Cのル・マンでの戦歴は1986-7を2連覇。1994にはDauer 962 LMが制覇。
ル・マンでの優勝回数をみると ポルシェが他を圧倒する13回。
2番目のフェラーリは9回ですが近年では無いですね。
フォードとの覇権争いは熱かった、私が中学生のころです。
ちなみにフォードGT40の5連覇を阻止したのもポルシェ917でした。
続く7回優勝のジャガーは近年もXJR9/12で1988/1990を制覇したのは記憶に新しいです。同じく7回優勝のアウディは、2000年から今年までの8年間で7回優勝という現在敵無し状態。
意外なのはあれだけ耐久に強かったメルセデスC9は1989年の1回きり。
メーカーとしても2度優勝したのみです。1955年の亡霊に取り憑かれてますね。
日本車での総合優勝は1991年のマツダ787Bのみ。ルノー、BMW、アストンマーチン、
マクラーレンも1度だけ。MAZDA、改めて誇れますね。
面白い逸話をwikiで見つけたので
童夢もル・マン挑戦を続けてるコンストラクターですが、1978年「童夢-零」を
プラモデル化する権利料で初挑戦して以来、現在まで挑戦を続けてるのですが
1985年からはT社と提携、1986年にはエンジントラブルを異常なまでに恐れるT社スタッフにより非常識なオーダーを経験することになる。
この年、全開走行を只の1周も許されないまま挑んだ本戦、他の日本メーカーが先にリタイヤしたのを受けて『このまま十数時間ピットに車を停めておき、最後の10分間だけ走らせろ。そうすれば日本車唯一の完走車になる。』との指令を出されたと言うのである。
レース屋としてのプライドを傷つけられ続けた童夢スタッフは、最後の意地として全開走行をドライバーに指示したと言う。そして、冷却系トラブルによるリタイア。
その代償としてこの年限りで童夢の第一期ル・マン参戦は終わることとなった。
後に童夢の主宰林みのる氏は「トヨタに言われるままにピットに停めておき、最後だけ走るなんて事はルマン24時間レースへの冒涜であり許されることではない」と語ったそうだ。
閑話休題
どんなクルマにノスタルジーを感じるかは、個人それぞれなんでしょうが
老若男女・・・
φ(..)メモメモ φ(。_。)メモメモ
こんなオープンカーが さりげなく(無理かな)走ってるのを見たいものです。
値札がちらっと見えたところで、この催しのショッピング編を
また次回。
ヒストリック・レースカー、スポーツプロトカーの展示なんです。
今年は童夢が目玉になり、ちょっと寂しかった気がしますが、それでも
PORSCHE 2台が展示されてました。
この写真だけで充分、このクルマが何か判りますよね・・・?
プラモデル、よく作りました。タミヤ少年でしたから。
カレラ6(ポルシェ906)です。総生産台数65台、その内3台が日本にあります。
展示車はその内の1台です。ノーズがちょっと長いタイプですね。
水平対向6気筒、2リッターの空冷エンジンを搭載。
第4回日本グランプリで、大排気量車を相手に 生沢徹選手のカレラ6が優勝。
オートスポーツ誌をむさぼり読み、生沢徹の自伝「チェッカーフラッグはまだか」
を買ってしまったのを思い出します。
もう1台のポルシェは
通称「ロスマンズ・ポルシェ」 ポルシェ962です。日本にあったんだ!
1982年~1985年にかけてル・マン24時間レースを4連覇した956を
レギュレーション変更に伴いモディファイされたもので、外観的にはほとんど同じ。
美しいロングテールのフォルムに ロスマンズカラーがよく似合う。
これがユノディエールを390km/hオーバーで走り抜ける姿を見たいものです。
なお、962Cのル・マンでの戦歴は1986-7を2連覇。1994にはDauer 962 LMが制覇。
ル・マンでの優勝回数をみると ポルシェが他を圧倒する13回。
2番目のフェラーリは9回ですが近年では無いですね。
フォードとの覇権争いは熱かった、私が中学生のころです。
ちなみにフォードGT40の5連覇を阻止したのもポルシェ917でした。
続く7回優勝のジャガーは近年もXJR9/12で1988/1990を制覇したのは記憶に新しいです。同じく7回優勝のアウディは、2000年から今年までの8年間で7回優勝という現在敵無し状態。
意外なのはあれだけ耐久に強かったメルセデスC9は1989年の1回きり。
メーカーとしても2度優勝したのみです。1955年の亡霊に取り憑かれてますね。
日本車での総合優勝は1991年のマツダ787Bのみ。ルノー、BMW、アストンマーチン、
マクラーレンも1度だけ。MAZDA、改めて誇れますね。
面白い逸話をwikiで見つけたので
童夢もル・マン挑戦を続けてるコンストラクターですが、1978年「童夢-零」を
プラモデル化する権利料で初挑戦して以来、現在まで挑戦を続けてるのですが
1985年からはT社と提携、1986年にはエンジントラブルを異常なまでに恐れるT社スタッフにより非常識なオーダーを経験することになる。
この年、全開走行を只の1周も許されないまま挑んだ本戦、他の日本メーカーが先にリタイヤしたのを受けて『このまま十数時間ピットに車を停めておき、最後の10分間だけ走らせろ。そうすれば日本車唯一の完走車になる。』との指令を出されたと言うのである。
レース屋としてのプライドを傷つけられ続けた童夢スタッフは、最後の意地として全開走行をドライバーに指示したと言う。そして、冷却系トラブルによるリタイア。
その代償としてこの年限りで童夢の第一期ル・マン参戦は終わることとなった。
後に童夢の主宰林みのる氏は「トヨタに言われるままにピットに停めておき、最後だけ走るなんて事はルマン24時間レースへの冒涜であり許されることではない」と語ったそうだ。
閑話休題
どんなクルマにノスタルジーを感じるかは、個人それぞれなんでしょうが
老若男女・・・
φ(..)メモメモ φ(。_。)メモメモ
こんなオープンカーが さりげなく(無理かな)走ってるのを見たいものです。
値札がちらっと見えたところで、この催しのショッピング編を
また次回。