20時ちょうど。VHFの無線機のスィッチを入れると、昭和基地との定時交信が始まる。中本通信隊員が野外調査チームを順番にコールする。スカーレンの居住カブースには我々湖沼調査チームが待機。順番が来て、「異常の有無、気象情報、今日の行動と明日の予定」を基地側へ伝える。一通りのルーチンの交信を終えると、昭和基地から発する声が隊長に変わる。あれっ?
「12月30、31日と天候が悪化し、ヘリコプターが飛ばない可能性がある。明日(12月28日)、湖沼チームはスカーレンからスカルビックハルセンへ移動する予定だが、もしピックアップ予定の31日にヘリコプターが飛ばなかったら、スカルビックハルセンで年越しになる。今後の予定を検討し、野外に残るか、昭和基地に明日戻るか検討せよ。21時に交信を再開する。以上。」
スカーレン調査の後、スカルビックハルセンでも湖沼調査を予定していた。この地は、研究者にとっては魅力のあるフィールドである。是非現地に行って調査したい。しかし、天候が悪化したならば、テント内でしばらく好転するまで待機しなくてはならない。それは良いとしても、年明け早々、今回のメインの調査地であるスカルブスネスでの調査に多大な悪影響が出てしまう。ヘリコプターに搭載できる荷物には重量制限があり、スカルブスネス用の調査機材を準備していない。どうしても一度「しらせ」に戻り、荷物の入れ替えが必要だ。もう一人の生物隊員の高野さん、46次の佐藤さんと山崎さんと相談し、スカルビクハルセンでの調査を諦めることに。苦渋の選択である。
21時交信再開。昭和基地からVHFを通して声が聞こえてきた。
「湖沼チームの決断を聞かせて下さい」
「スカルビックハルセンの調査を諦め、明日しらせへ戻ります」
「はい、了解」
翌28日、「しらせ」から迎えのヘリコプターが到着。ヘリコプターからは副長が迎え入れてくれた。私、高野さん、そして調査機材1トンをのせたヘリコプターはスカーレンを飛び立つと、ヘリの乗務員からパイロットと交信できるヘッドセットを渡される。ブレードの騒音の中、パイロットからの呼びかけの声が聞こえる。
「学長、野外調査おつかれさまでした。スカルビックハルセンに行けなくなり、残念ですね。」
「とても残念でしょうがありません」と、私が答えると、
「せっかくですので、スカルビックハルセンをまわってから、ホワイトクゥイーン(しらせのこと)に戻ります」
ヘリコプターはスカルビックハルセン上空を軽やかに旋回する。
幻となったスカルビックハルセンを眺めながら、南極観測は潔く諦めることも大事なんだと、自分に言い聞かせた。
(『エコミクロ南極日誌』より)
そんな決断をしたのが、1年前の12月27日のことでした。その時のことを思い出していたら、急に高野さんに会いたくなりました。一昨日の20時15分、札幌駅前の「炙屋」で苦労をともにした高野さんと2人だけの忘年会を行いました。マネージャーさんの粋な計らいで、寿司カウンターに席を用意してくれました。1ヶ月半ぶりの高野さんと、47次越冬隊員や48次生物隊員の星野さんを肴にしてお酒をいただきました。
このお店、炉端焼きが中心で、炭火でじっくり海の幸や山の幸を焼いてくれます。ちょっと奮発して、タラバガニの炭火焼きをいただきました。タチの天ぷらもフワッとした感触で美味。
最後に板長さん(写真の右側の方)がタチの白子握りを特別に作ってくれました(メニューには載っていませんのでご注意を!)。これは、軍艦巻き上にタチの白子と紅葉おろしをのせ、さらに特別なタレをかけたもの。口中に頬張ると、白子がクリーミーに広がり、紅葉おろしのピリッとした辛さとあいまって、言葉で表現できないおいしさです。ああ、しまった、写真を撮るのを忘れてしまった!
このお店のもう一つの魅力はマネージャーさんの接客の品の良さです。とても賢い方で、お客さんの好みなんかもすぐ覚えてくれます。
年齢を重ねれば重ねるほど、仕事も重くなりがちです。年末の慌ただしさの中、客を優しく包んでくれるお店で、極限環境で苦労を分かち合った友としばしの間語り合う。そんな心のアキ地を残しておくことの大切さを噛み締めた晩となりました。