デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

ひとつクリア

2016-02-09 15:15:18 | お仕事日誌
起きてメールを開けると、航空券を無事に購入したという連絡が入っていた。これでひとつクリア。何年か前には普通でできたことが、いろいろ制約が増えてしまい、そう簡単ではなくなっている。特に航空貨物とかはテロのこともあるのでかなり制限が多くなっているというのは事実。
ひとつかたがついたので、出迎えのバスの手配をやっておく。これも昨今の爆買いツアーで予約するのがいろいろ大変になっている。なにもかも、大変になっている。
昨日大逆転となったその結果を伝えたく、電話をするも電話口に出ず。時差をちょっと判断ミスしたかもしれない。
今週末に塩竃で漂流民の会の総会があるので、そっちのこともやらないといけないことがいろいろある。3月のイベントの覚書を作成したのでそれをパフォーマーの皆さんに送る。
18時ちょっと前に会社を出て、北千住の芸大キャンパスへ。前にスノーショーを見たとき、帰りによった線路沿いの素敵な横丁を通って歩いて5分のところだった。今日は水族館劇場の桃山さんと知恵袋になっている芸大の毛利さんと去年劇団を招いた静岡大学の近世文学の先生の3人による座談会。座談会自体のテーマがなく、わりとまとまりのない対談となったが、いくつかの興味深いテーマがあった。ひとつは桃山さんが提起した事実とフィクションのかかわり合いについての話し。毛利さんが最後に結論じみて話したことに桃山さんは大いなるヒントを得たような感じであったが、このテーマはなかなか自分にも触発してくるものがあった。それは聞き書きと自ら語りだすことの違いとでもいうものか。漂流民たちは日本に帰って来てから、学者や役人の質問を受けながら答えた、これが事実のようなものといえないか、そしてしばらくたって漂流民たちは自分たちから語り始めたとき、それは文学となっていたのでは。文学にしていくとき事実では表現できなかった、そのときの感情や思いを伝えることができる、それが事実という領域を越えて、真実を伝えるということにはならないだろうか?
大学の現在の危機的な状況についての話しも出たが、少なくても桃山さんを対談相手にしているのであるからは、ちょっとミスマッチなような気がした。大事な問題ではあるが、あそこで語られることではなかったのでは・・・
終了後軽く打ちあげがあるようだが、帰り遅くなるのが嫌だったので駅に向かう。ほんとうは前にスノーの帰りに寄った焼鳥屋さんに寄りたかったのだが、今日はちょっと飲むと危険なような気がしてやめとく。駅のホームの立ち食いそば屋の天ぷらそば安くてうまかった。ゲソ天そばにしておけば良かった。
23時すぎに帰宅。

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