書名「アルグン川の右岸」
著者 遅子建(チー・ズジェン) 訳 竹内良雄・土屋肇枝 出版社 白水社 出版年 2014
なによりタイトルに惹かれた。アルグン川の右岸というのは、バイカル湖側から見て右、つまり中国側ということになる。なんとも意味深なタイトルである。長谷川濬はこのアルグン川を舞台に、ここを境としたソ連と満洲の国境についての小説をいくつか書いているということもあった。
この小説はエヴェンキ族のひとりの90歳になる女性が語る、部族の歴史である。それにしても何人の人たちが死に、生まれていったことか。それも熊に襲われたり、稲妻にあたったりという具合に、当たり前ではない死に方ばかりである。そうした人間の生死が、自然の一体となっている、そんな物語ばかりである。だから誰かが生まれると、誰かが死ぬそんな繰り返しが延々と続く。そうした生と死の儀礼を司るのがシャーマンである。このシャーマンになる人間も天から定められている。ほぼ現代、山を捨てることになったこの部族のひとりが、新なシャーマンになるべく神がかりを始めたとき、もう必要がないといわんばかりに、その行為を妨害するところは、この山の民たちの運命を象徴しているともいえる。
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著者 遅子建(チー・ズジェン) 訳 竹内良雄・土屋肇枝 出版社 白水社 出版年 2014
なによりタイトルに惹かれた。アルグン川の右岸というのは、バイカル湖側から見て右、つまり中国側ということになる。なんとも意味深なタイトルである。長谷川濬はこのアルグン川を舞台に、ここを境としたソ連と満洲の国境についての小説をいくつか書いているということもあった。
この小説はエヴェンキ族のひとりの90歳になる女性が語る、部族の歴史である。それにしても何人の人たちが死に、生まれていったことか。それも熊に襲われたり、稲妻にあたったりという具合に、当たり前ではない死に方ばかりである。そうした人間の生死が、自然の一体となっている、そんな物語ばかりである。だから誰かが生まれると、誰かが死ぬそんな繰り返しが延々と続く。そうした生と死の儀礼を司るのがシャーマンである。このシャーマンになる人間も天から定められている。ほぼ現代、山を捨てることになったこの部族のひとりが、新なシャーマンになるべく神がかりを始めたとき、もう必要がないといわんばかりに、その行為を妨害するところは、この山の民たちの運命を象徴しているともいえる。
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