書名 「琵琶法師-<異界>を語る人々」
著者 兵藤裕己 出版社 岩波書店(岩波新書) 出版年 2009年
付録に山鹿良之のDVDがついていたので、最後の琵琶法師といわれた彼の伝記かと思ったのだが、新書とは思えないぐらい専門書並の実に濃い内容になっている。平家の怨念を鎮魂するために語るところから始まった琵琶法師の興亡を追っている。こうした語り物の芸能が、もともとはアジアに起源を持つものであったことから始まり、何故琵琶法師が誕生したのか、それは源平の戦で滅んだ平家の鎮魂する儀礼として始まり、そうした語りの芸能民が、盲目であったことの意義、さらにそれが広まるのに寺社が大きな役割を果たしていたこと、さらにそれを権力側も巧みに利用していたことなどが、さまざまな文献を駆使して解きあかされていく。こうした語りの芸能が、平家物語というテクストになっていくという過程も明らかになる。この過程が自分にとっては一番面白く読めたところだった。ちょうどシアターΧで『小栗と照手姫』で、政太夫の説経節を聞いたばかりだったので余計に興味深く、本書を読んだ。
著者は本書のなかでも「声」の文化と語りの芸能を位置づけているが、語りの芸がまだ残っているということの中に、なにか隠された日本人の精神性を見ることができるかもしれない。
満足度 ★★★
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著者 兵藤裕己 出版社 岩波書店(岩波新書) 出版年 2009年
付録に山鹿良之のDVDがついていたので、最後の琵琶法師といわれた彼の伝記かと思ったのだが、新書とは思えないぐらい専門書並の実に濃い内容になっている。平家の怨念を鎮魂するために語るところから始まった琵琶法師の興亡を追っている。こうした語り物の芸能が、もともとはアジアに起源を持つものであったことから始まり、何故琵琶法師が誕生したのか、それは源平の戦で滅んだ平家の鎮魂する儀礼として始まり、そうした語りの芸能民が、盲目であったことの意義、さらにそれが広まるのに寺社が大きな役割を果たしていたこと、さらにそれを権力側も巧みに利用していたことなどが、さまざまな文献を駆使して解きあかされていく。こうした語りの芸能が、平家物語というテクストになっていくという過程も明らかになる。この過程が自分にとっては一番面白く読めたところだった。ちょうどシアターΧで『小栗と照手姫』で、政太夫の説経節を聞いたばかりだったので余計に興味深く、本書を読んだ。
著者は本書のなかでも「声」の文化と語りの芸能を位置づけているが、語りの芸がまだ残っているということの中に、なにか隠された日本人の精神性を見ることができるかもしれない。
満足度 ★★★
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