書名 「米原万里展-ロシア語通訳から作家へ」
企画・構成・編集 井上ユリ
発行 NPO法人遅筆堂文庫プロジェクト 発行年 2009
5月に鎌倉芸術館でも開催された「米原万里展」のためのカタログ。もともとは山形のフレンドリープラザを皮切りに仙台などもまわって、米原万里が住んでいた鎌倉でもということで開催された。こうした回顧展のようなものを、華々しくではなく、手作りの味わいがのこるようなかたちで開いてもらえるというのは、米原さんの人柄なのだろうと思う。
私も鎌倉のを見たが狭い会場だったが、たくさんの人が来場していた。それにしても通訳からエッセイストでデビューしてまもなく、賞をもらい、さらにはノンフィクションの分野、さらには作家とまさに華麗なる転身を続けていくのは、それだけのベースがしっかりできていたということであろう。「オリガ・モリソヴナの反語法」などは、ノンフィクョンの魅力とエンターテイメントの要素が見事にかみ合った傑作であった。56歳で亡くなるというのはあまりにも早過ぎた死であった。ただこうして彼女のプラハでの少女時代、バリバリの共産党員の父親や母親との交流、通訳時代、そして作家へという人生を眺めさせてもらうと、実に幸せな充実した一生を送ったのだろうととあらためて思わされる。
実は自分はあまりいい米原万里読者ではないのだが、少しずつできたら数多く読んでみたいものだと思った。まずは「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」だな・・・・
企画・構成・編集 井上ユリ
発行 NPO法人遅筆堂文庫プロジェクト 発行年 2009
5月に鎌倉芸術館でも開催された「米原万里展」のためのカタログ。もともとは山形のフレンドリープラザを皮切りに仙台などもまわって、米原万里が住んでいた鎌倉でもということで開催された。こうした回顧展のようなものを、華々しくではなく、手作りの味わいがのこるようなかたちで開いてもらえるというのは、米原さんの人柄なのだろうと思う。
私も鎌倉のを見たが狭い会場だったが、たくさんの人が来場していた。それにしても通訳からエッセイストでデビューしてまもなく、賞をもらい、さらにはノンフィクションの分野、さらには作家とまさに華麗なる転身を続けていくのは、それだけのベースがしっかりできていたということであろう。「オリガ・モリソヴナの反語法」などは、ノンフィクョンの魅力とエンターテイメントの要素が見事にかみ合った傑作であった。56歳で亡くなるというのはあまりにも早過ぎた死であった。ただこうして彼女のプラハでの少女時代、バリバリの共産党員の父親や母親との交流、通訳時代、そして作家へという人生を眺めさせてもらうと、実に幸せな充実した一生を送ったのだろうととあらためて思わされる。
実は自分はあまりいい米原万里読者ではないのだが、少しずつできたら数多く読んでみたいものだと思った。まずは「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」だな・・・・