DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

続「ボクシング 10年」PartXⅣ(もっとも退屈なクラス)

2021年09月17日 05時23分14秒 | ボクシングネタ、その他雑談

このDaispo Boxingを始めた当初、不定期ながらも数回に渡り「ボクシング10年」という、自分(Corleone)がボクシングに興味を抱いてからの約10年の間のボクシング界について、ザっとしたものを書いていました。第一弾は2004年6月23日。当時引退したばかりのリカルド ロペス(メキシコ)がどれだけ凄いボクサーで、軽量級、特にミニマム(旧ストロー、105ポンド/47.63キロ)とそのひとつ上のライトフライ(旧ジュニアフライ、108ポンド/48.97キロ)のその後の課題はロペスの後継者を生み出すことであると強調しました。

昨年の9月にSuperchamp1991というものを購入。そこには私がボクシングに惹かれる直前、1991年春先の世界王者たちの顔ぶれが掲載されています。その顔ぶれを見てみると懐かしさと同時に、自分にとって新鮮味がある王者たちが載っています。あの時代から30年。「ボクシング10年」の続編的ものとして各階級の世界王者たちを簡単に紹介しています。

今回はヘビー級に続いて2つ目に重いクラスになるクルーザー級となります。まずはこの階級の呼称ですが、当時は団体によって違いがあるようです。WBCとIBFは現在と同じくクルーザー級と呼んでいましたが、WBAとWBOは「ジュニアヘビー」という呼称を用いていたようです。また、今日現在の同級のリミットは200ポンド(90.7キロ)ですが、当時を含め2003年までは、同級のリミットは190ポンド(86.2キロ)でした。

比較的浅い歴史を持つクルーザー級。同級の初めてのタイトル戦が行われたのを団体別に見てみると、WBAが1982年2月13日。WBCが最も早く1979年12月8日。IBFは1983年12月13日でWBOは1989年12月3日となります。

それではいつものように、1991年春先時点での同級王者たちの顔ぶれを見てみましょう。防衛回数は当時のものになります。

WBAジュニアヘビー級:ボビー チェズ(米/防衛回数0)
WBCクルーザー級:マッシミリアノ デュラン(伊
/1)
IBFクルーザー級:ジェフ ラムキン(米/1)

今回は万年地味なクラスのレッテルを張られているクルーザー級。「地味な世界王者たちが名前を連ねているだろう」と予想はしていましたが、まさかこれほどとは...。

日本のボクシング界からは限りなく遠い存在のクルーザー級ですが、チェズは本場米国のボクシング界では比結構名前の通った選手でした。今も昔も変わることなく珍重される重量級の白人ボクサー達。チャズはその代表的選手の一人でした。アマチュアでそれなりの実績を作ったチェズですが、残念ながら西側諸国が揃って出場を拒否したモスクワ五輪に出場ならず。その代わりにじっくりとプロのキャリアを積んでいきました。

ミドル級でそのキャリアをスタートさてたチャズは、徐々に体重を上げていき初めての世界王座を1986年にライトヘビー級で獲得しました。3度防衛したIBF王座から転落すると、2度同級王座への返り咲きを試みますがいずれも失敗。しかし王座転落から4年目の1991年3月、自身2階級目のクルーザー級でWBA王座を獲得し、自ら王座を返上するまで2度の防衛に成功しています。キャリア後半にはヘビー級まで着手し、敗れはしたもののイベンダー ホリフィールド(米)とも対戦しています。

リングキャリアとは関係がありませんが、チャズは知能指数(IQ)が非常に高く、世界人口上位2パーセントに当たるメンサ(Mensa)の一員だそうです。

(本場米国のファンから愛されたチェズ。リング外では超頭脳はだったようです。)

WBC王者だったデュランは、中々面白い戦績を残しました。通算戦績は19勝(8KO)6敗(5KO)負けと並み。世界戦の戦績は2反則勝ち2敗(2KO)負け。1991年夏に世界王座から転落後、欧州王座を獲得しましたが、実力的にはそのタイトルが相応だったと言っていいでしょう。この時期にはデュランの同胞のマウロ カルバノがWBCスーパーミドル級王座に、そしてジャンフランコ ロッシがIBFスーパーウェルター級王座に君臨していました。3王者とも揃って、パッとしない選手たちでした。

(反則勝ち王デュラン)

ラムキンのイメージと、クルーザー級のそれが重なってしまいます。アマチュアではかなりの有望株だったラムキンですが、チェズと同様に冷戦下で開催されたモスクワ五輪に直面してしまい、本人の意思に関わりなくスーパースターへの道のりを絶たれてしまいました。

デビューから16戦で全勝全KOという華々しいプロでのスタートを切ったラムキン。しかしそこから突如として大失速。その後の26戦の戦績は、何と12勝13敗1引き分けという散々なもの。普通ならそこで辞めているでしょう。しかし元々実力はあったラムキンはそこから奮起し、全米(USBA)、世界王座(IBF)を順序良く腰に巻くことに成功。さあここからという時、IBFの不手際もあり戦わずして世界のベルトを放棄(返上)。その後は同級とヘビー級の間を行き来しながら1997年6月の試合を最後に引退しています。ラムキンの通算戦績は39勝(34KO)19敗(2KO負け)1引き分け。何となくクルーザー級の世界王者らしい戦績という印象です。

(地味なクルーザー級のイメージと重なるラムキン)

ちなみにラムキンは米国オハイオ州ヤングスタウン出身。この街からはマイク タイソン(米)を東京で破り、ヘビー級王座を獲得したジェームス ダグラス。1980年代を代表する元ライト級王者レイ マンシーニ。そして辰吉 丈一郎(大阪帝拳)の挑戦を受けた元WBCバンタム級王者グレグ リチャードソンもこの街出身の選手たちです。

まだまだマイナー団体だったWBOの王者は、クルーザー級史でも指折りの地味な選手と言っていいマグナ ハブナ(ノルウェー)でした。ハブナには大変失礼な言い方になるのですが、「こんな選手もいたんだ...」というのが率直な意見です。

ハブナも他の3選手同様、アマチュアで活躍。アマチュア時代はヘビー級で活躍し、1984年のロサンゼルス五輪に出場しています。1986年にプロデビューを果たしているハブナは、デビュー戦では、後にハブナが保持していたWBOクルーザー級王座の13連続防衛に成功したジョニー ネルソン(英)に判定勝利。その後14連勝まで記録を伸ばしますが、欧州王座決定戦、続くWBO王座決定戦で連敗。しかし2度目の世界挑戦で勝利。2度の防衛後、王座を返上しヘビー級に転向していきました。しかし最重量級転向3戦目で、英国内地域王者ロジャー マッケンジー(英)にTKO負けした1993年の試合を最後に現役を退いています。残念な事にハブナは2004年5月、ボート事故に遭遇し、40歳の若さで逝ってしまいました。

(1984年のロス五輪にも出場したハブナ。)

地味な選手が揃いも揃っていた当時のクルーザー級ですが、それらの選手を調べてみると、何とも味わいのあるクラスでしょうか。

約40年ほどの歴史があるクルーザー級からは、数年に一度(5年ぐらいでしょうかね)の間隔で、好選手が登場してきました。紹介は不要のボクシングの代名詞であるイベンダー ホリフィールド(米)。同級とヘビー級を行き来し、クルーザー級ではWBA王座を奪取したオーリン ノリス(米)。WBC王座を10度防衛し、ヘビー級でも世界挑戦まで漕ぎつけた、本格派サウスポーのファン カルロス ゴメス(キューバ)。それぞれWBO王座を13度防衛したジョニー ネルソン(英)とマルコ フック(独)。3つのベルトを統一し、ヘビー級でもWBAタイトルを獲得したデビット ヘイ(英)。4団体王座統一に成功し、今月末にヘビー級王座に挑戦するオレクサンデル ウシク(ウクライナ)。

どの選手たちにも共通しているのが、ヘビー級王座を目指す過程、又はヘビー級の壁に跳ね返され、クルーザー級の世界王座を獲得した事です。今も昔もヘビー級に隠れたクラスであるクルーザー級。今後もそれが変わる事はないでしょう。ただ、ヘビー級の決して不必要なクラスではないと思います。

同級からはまた、数年経てば話題性のある実力者が誕生するでしょう。そして同時に、3度目のクルーザー級トーナメントを開催してほしいものです。


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