今から30年前の昨日にあたる1993年10月21日、後楽園ホールで行われた試合結果です。
WBAジュニアフライ級戦(現ライトフライ級/王座決定戦):
レオ ガメス(ベネズエラ)TKO9回2分20秒 八尋 史朗(帝拳)
*今でこそ、多くの日本人選手の高い壁となった実力者として盤石の評価を得ているガメス。しかし当時のガメスは、もう終わった過去の選手と見られていました。
(試合前は、過去の選手と思われていたゴメスですが...)/ Photo: BoxRec
ライトフライ級でも短身のガメス(153センチ)ですが、胸筋がたくましく発達しており、いかにもKOパンチャーといった外見の持ち主。対する八尋はライトフライ級や一階級上のフライ級でも長身の部類に入る170センチの選手。細い外見とは裏腹に、精神面がタフ(気が強い)で、時には打ち合いも辞さないボクシングをする選手です。
(世界王座奪取を期待されていた八尋)/ Photo: BoxRec
韓国、そしてアジアが誇った柳 明佑(韓国)の引退により空位となっていたWBAジュニアフライ級(現ライトフライ級)タイトル。試合前は、名門帝拳ジムから久々の世界王者誕生なるかに注目が集まっていました。しかし実際の試合は、そんな期待を覆す内容と結果になってしまいました。
ガメス、八尋ともに好調をうかがわせる滑り出しとなった初回。八尋は丁寧にパンチを放ちながらペースを掴もうと試みます。対するガメスもキビキビとしたボクシングで対抗していきます。ジャンプをするように放つパンチには、日本人選手には無いパンチの伸びが見て取れます。
初回中盤、早くもこの試合を決定づける場面が訪れます。ガメスが伸びるようなワン・ツー(左ジャブからの右ストレート)をもろに食らってしまった八尋は大きく腰を落としてしまいます。ダウンこそ免れましたが、その一発(二発)で、この試合のすべてが決まってしまいました。
肉体的に大きなダメージを受け、精神面では浮足立ってしまった八尋。歴戦の雄ガメスが、そのチャンスを逃すわけがありません。2回以降もガメスが対格差のハンディを物ともせず八尋に襲い掛かります。八尋も懸命に反撃を試みるのですが、回を重ねるごとに苦境に追い込まれていきました。
7回、そして9回にダウンを喫した八尋。最後は八尋陣営のタオル投入により試合はストップされました。圧倒的な強さを見せつけ2階級制覇を達成したガメス。その後も長い間、軽量級戦線で暴れまくることになります。
(まさかこれほどのワンサイドマッチになるとは...)/ Photo: 「世界の強豪ボクサー」ボクシング・ブログ
予想外の完敗を喫してしまった八尋。数年後に世界再挑戦の機会を得ましたが、その時も世界のベルトに手が届かず。「期待の星」はあくまで期待のみで終わってしまいました。そういえばこの時期、日本のリングには、ガメスをはじめ、ダニエル サラゴサ(メキシコ)やウィルフレド バスケス(プエルトリコ)など、「もう終わったと」思われていた選手たちが日本の世界候補生たちをあざ笑うかのように痛めつけていました。
この試合には、網膜剝離の手術を無事に終えた辰吉 丈一郎(大阪帝拳)がゲストとして登場。再起に向け元気な姿を見せていました。そういえば2001年3月に、ガメスが2階級上のスーパーフライ級王者としてセレス 小林(国際)の挑戦を受けた試合でも、辰吉がゲストに招かれていましたね。