『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次
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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~ 第174回
こんな時に! 呉甚が女を見て顎をしゃくると自分は奥の部屋に隠れる。
女が戸を開けると、そこには肩を下げ目の下にクマを作った男が立っていた。
「ここに呉甚という者はおられませんか・・・」
声が枯れている。
女が振り返った。
聞き覚えのある声に奥の部屋から顔を出し、女に首を振ってみせる。
「あ、居りませんが・・・」
「そうですか」
より一層肩を下げた男が向きを変えた。
女が戸を閉めると呉甚が奥の部屋から出てきた。 どうしてあの男が自分を探しているのだろうか。 それに高妃を探さねばならない。
「この家のどこにもいないのか」
「・・・はい」
「外を探しに行け」
「あ、あの、先ほどの男は・・・」
呉甚が口を歪める。 何かあったのだろうか、柴咲が来ることなくあの男がここに来るなどと。 それにこの家にいると確信があった様子ではない。 どういうことだ。
「外に出た時それとなく訊け」
いつまで経ってもきな臭い。 自分が外に出ればろくでもないことがありそうな気がする。
頷いた女が戸を開けて外に出た。 辺りを見回すが高妃の姿はない。 その代わりに隣の家から肩を落として出てきたあの男が居た。
「もし・・・」
男が振り返る。
「お探しのお方は見つかりましたか?」
武官達が様子を伺っている。
男が首を振る。
「かなりお疲れのようですが?」
「・・・もう何日も探しております」
「まぁ、それはそれは。 どのような御用で?」
「・・・え?」
「これから私も人探しに出ます。 呉甚という名ですね? もし出会いましたら言伝いたしますが?」
「あ、ああ。 そういうことですか。 ご丁寧に。 ですがその、結構です。 あと少し探せば終わりにしますので」
「どちらかにお泊りですか?」
「え? はい “蜥蜴(とかげ)の尾” と言う食処の上の宿に」
女がニコリと笑って踵を返しそのまま高妃を探しに出た。
一人の武官があとを尾行(つ)ける。
女の後ろを尾行けていたが怪しい様子は見られない。 あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロしては場所を移動しているだけではあるが、誰かを探しているのは一目瞭然であった。
男が最後の家の戸を叩いた。
「ここに呉甚という者はおられませんか」
首をふられてしまった。
瑠路居には居なかったのだろうか。 ガックリと膝を折った。
そこに民に変装した武官がやって来た。 顔は覚えている、いくら変装していてもこの男は武官だ。
「苦労だった。 だが暫くは宿にいてもらう」
「・・・え?」
「すぐ宿に戻れ」
変装した武官が腕を引っ張って男を立たせてやる。
「兄さん、大丈夫かい」
白々しく言うと男の衣をはたいてやる。
「気を付けて帰んな」
更に白々しく言うとその場から去って行く。
男がトボトボと ”蜥蜴の尾“ に向かって歩き始めた。
女が応対に出た時、後ろを振り返ったのが見えた。 それに後から接触してきて男の宿先を聞いていた。 何かあるのかもしれない。 男を撒き餌にする。
女が夕刻になってようやく戻ってきた。 尾行けていた武官がここまでは何の疑いも無いと判断した。
「いたか?」
女が首を振る。
呉甚が大きく舌打ちをする。 自分が探しに出られない事に苛立ちを覚える。
(あの男を使うか・・・)
「訪ねてきた男は」
「”蜥蜴の尾” の上の宿に泊まっていると」
「用件を聞いてあの男にも高妃を探させろ」
あの衣だ、顔を知らなくとも衣を探せばいい。
「すぐに行け」
クタクタになった女が家を出て ”蜥蜴の尾” に向かう。 その後を一人の武官が尾行ける。 もう一人はこの場に残った。
男が宿泊している部屋の隣にも武官が待機している。 安宿だ、壁の一枚が薄い。
襖の向こうから声がかかるのが聞こえた。
「あの・・・昼間お声をかけさせていただいた者ですが」
疲れた体を横たえていた男がだるそうに起き上がった。
「どうぞ」
襖がすっと開き昼間見た女が顔を出した。 部屋の中を見ると男一人だけであった。 その男が座卓の前に座っている。
座卓には食べた後の皿と麦酒が入っていただろう杯が置かれている。
襖を閉めると女が男の横に座り声を殺すように言う。
「呉甚に何用ですか」
「え?」
「呉甚からの言伝です。 何用かを訊き高妃様をお探しするようにと」
「おっ! 居られるのですか! どこに!?」
「声が大きい御座います」
「あ・・・」
「何用で?」
「ああ、その。 科人の疑いとされ柴咲の似面絵が出回って動きが取れないと・・・」
六七八都には決起に動くようにとは言ったが、受け入れの一三都に伝えることが出来なかった。 自分が二都で七都を受け入れなければいけなかったが、柴咲に代わって呉甚に一三都の受け入れを頼もうと奔走していて日が過ぎてしまったということを話した。
「え・・・では決起は?」
「今回は失敗に終わった」
「科人の疑いとは?」
「分からない。 今は俺の家にいる。 似面絵があっちこっちに貼ってあって全く動きが取れない」
すでに柴咲は捕まっているがこの男はその事を知らない。
「失敗に終わったのに呉甚を探していると?」
武官に言われたとは言えない。 何か理由は無いか・・・。
「あ、その・・・。 柴咲のことを伝えようと。 全く動けないのだから」
「ああ、そういうことで・・・」
「それより呉甚はどこに?」
「居場所を教えていいとは聞いていませんので。 それより高妃様をお探ししてください」
「お会いなどしたことが無い」
「衣を見れば一目で分かります。 民では無い衣を着ております」
女が立ち上がると部屋を出て行った。
壁に耳を当て全てを聞いていた武官。 所々聞こえない所はあったが充分だ。 決起のことを言っていた。
女が出た後にすぐに武官も部屋を出る。 女を尾行けていた武官にいま聞いたことを伝えると部屋に戻って行った。 聞いた武官が女のあとを尾行ける。
女が足早に家に向かっている。
尾行けていた武官が途中で三人の武官に合図を送った。 三人の武官が尾行けていた武官の後ろを歩く。 家の近くまで来ると家を見張っていた武官に合図を送る。 合計五人の武官。
女が戸を開けた。 その戸を後ろから大きく開けられると大きな影が目の前を通った。
「ひっ!」 と言った途端、片腕を取られていた。
どかどかと四人の武官が家の中に入って行く。
女はあの男が呉甚を探していると知ってすぐに家を出ていた。 ずっと誰かを探していたようだったが、誰かと接触し話している様子は無かった。
それなのに男に指示を出していたし、呉甚の居場所を教えていいとは聞いていないと言っていた。
そんな話を出来たのはここだけ。
「な、なにを!」
女の声に奥の部屋から呉甚が出てきた。
「なにを大きな声・・・」
「呉甚!」
武官達は呉甚の顔を知っている。 問答無用に捕らえる。
「な、何をする!」
「謀反の疑いにて捕縛する」
縄にかけている間、他に誰かいないかと家の中を見て回った。 不思議な作りの家だった。 半地下があった。 そこには四角く切り取られた明り取りの窓があるだけだった。
「他にはいないようだ」
全員が頷く。
一人が ”蜥蜴の尾” に向かい、もう一人が馬車の用意に走る。
「う! 疑いくらいで! 縄にするのか!!」
「証人が待っている」
「・・・証、人?」
六都に戻ってきた紫揺と杠。 既に二人の噂は武官の間で広まっている。
杠が六都武官長四人を前に全ての報告を終わらせた。
「苦労であった」
たとえ杠がマツリ付だと言っても武官長より立場は下だ。
「自警の群はいかがでしたでしょうか」
「うむ、杠官吏の言ったように何事もなく、と言うか、かなりのゴロツキを捕まえてくれた。 マツリ様に戻って頂き、すぐにでも咎の言い渡しをしていただかねばならん」
ゴロツキ。 一日二日放り込んで放免にすればいいが、今のマツリのやり方はそうでない。
「承知いたしました。 今回のご報告を兼ねて宮都に戻りたいと思います」
「あ、いや・・・」
「なにか?」
「紫さまはどうされる?」
「ええ、ご一緒に」
いくら百足が見張ってくれていると言えど、置いていくわけにはいかない。
「その、掌に怪我をされたと聞いたが。 治られたようか?」
「まだで御座いますが、あれくらいなんとも御座いませんしょう」
「あれくらいでは困る。 この六都からお帰しするに当たり、ほんの少しのお怪我でも困る」
「ですが紫さまを置いて私が戻るわけにもいきませんし・・・。 あ? 武官殿が紫さまに付いて下さるのでしょうか?」
六都武官長四人が音がしそうなほど首を振った。 現に朱い皮鎧を着た朱翼軍武官長が首をゴキッと言わせ「あぅ」と思わず声を上げている。
そうか・・・だいたいの想像はつく。 紫揺の様子を武官から聞いたのだろう。
武官長四人が文官に押し付けてはどうか? などと杠を無視して円陣を組みだした。
ゴホン、と杠が白々しい咳払いをすると、四人の武官長が突き合わせていた頭を上げ、慌ててそれぞれの席に戻り武官長らしくふんぞり返る。
「文官殿からは何度か泣きつかれましたのでご無理かと」
だろーな、武官ですらあのザマだったのだから。 紫揺の川遊びの話を聞いた、散々だったと聞かされた。
「あー、では報告としては既に早馬が出ている。 それでいいのではないか?」
四人が四人ともニッコリと笑って小首をかしげているのが不気味だ。
だがよく考えると、あれくらいの傷マツリなら何ともないと言うが、女官たちは見過ごすことが出来ないだろう。 それに協力させたのは己だ。 仕方がない。
「ではそのように」
四人が四人とも鷹揚に頷く。 さっきの不気味ニッコリ首傾げはどこにいった。
「で? 今、紫さまは?」
「手に刺さった棘は抜きましたが、すった跡がまだ残っておりますので、あちらで武官殿に薬草を塗って頂いております」
そう言えば戸の向こうからキャッキャ、キャッキャと先程から野太い声が聞こえている。
(あやつら、あれほど言っておったのに紫さまと楽しんでいるというのか?)
四人が四人とも眉間に皺を寄せた。
早馬の文に、六都の者全員捕らえたと書かれていた。
「さて、次はこっちか」
数刻前、呉甚が馬車で運ばれてきていた。 喚いていたのでしばらく喚かせることにしていたがそろそろ疲れただろう。
將基が部屋から呼び出された。
將基を含む武官文官三十五人が民の衣を着て呉甚の前に立った。 これで何かあった時、將基に害が及ばない。
工部に居てはこんなことは知らない。 これが刑部にいたのならこの方法も知っていただろうが。
「え? え?」 と何が何だか分からない様子を見せていた呉甚、三十五人の顔など覚える間もなかっただろう。
暫しの時を置くと「どうだ」と武官が訊ねる。 一人づつが頷いてみせる。 二十九人目で將基が頷いた。 それを見た残りの六人も頷く。 そしてぞろぞろと三十五人が出て行った。
「いったいどういうこと、で」
訳が分からず付いていた武官に問うが武官からの返事は無かった。
將基が一室に入れられた。 そこには四方、マツリ、四翼軍武官長、刑部長、刑部の文官五人が居た。
勧められた椅子に座ると刑部長が訊ねる。
「どうだった?」
誰が誰なのかは分からないが、あまりの面子にゴクリと唾を飲んでから答える。
「間違いないです。 あの男です」
刑部長が頷く。
「安心するといい、お前の顔は覚えていない。 お前の証言が一番ではないが、見張っていた武官もそれなりの事を聞いた。 呉甚に問えるほどのことではないがな」
將基が頷く。
「では、あと少し。 こちらの文官に出来るだけ詳しいことを話すよう、それで顔を知られないために証言台に立つ必要はなくなる」
場所を移そうと文官二人が立ち上がる。
「將基、長い間、苦労であった。 金河と共にここに居た間の賃は出るように申しておる。 今日はもう遅い、文官との話が終わり明日朝一番に二人とも馬車で送り届ける」
將基が頭を下げ文官と出て行く。
「さて、あとは刑部の腕の見せ所だが?」
とっとと各都に散らばっている者たちを捕らえなくてはいけない。
「お任せください。 武官を何人かお借り出来ますか?」
「何人でも」
武官で一番の長にあたる四翼軍武官長が答える。
「なんならわしが」
「父上」
すかさずマツリが四方を窘める。 ずっと仕事をしていなかった、ただ待つということだけだった。 完全に退屈になってきているのだろう。 カジャで走り出すと言ったほどだ。
刑部長が半笑いで刑部文官を連れて部屋を出て行った。
「六都の者は全て捕らえた」
四翼軍武官長が頷く。
「あとは刑部がどういう吐かせ方をするかだが、まずは今の態勢をすぐに解除」
宮都との境に立たせている武官たちのことである。 呉甚を捕らえた、もうその必要はない。
「マツリ、六都に何人か戻すか?」
「・・・戻して頂けるのは嬉しいのですが、詳しいことは六都の様子を見なければ何とも」
「杠が報告に来んな」
「杠なら来るはずですけど・・・今日一日、待ってみます。 それでも来なければ六都に飛んでみます」
何かあったのかもしれない。
「では六都の応援は杠官吏次第ということで、各都に応援に行っている武官を一旦、宮都に元に戻しても宜しいでしょうか?」
「そうだな、報告からすると暴動も起きんだろう」
一都と二都で受け入れ側が現れず、七都と八都の者が右往左往していたと聞いている。
四翼軍武官長が立ち上がった。
武官長が部屋を出て行くと、つまらなそうな四方の声が聞こえた。
「呆気なかったか」
「何事もなく良かったでは御座いませんか」
「呉甚・・・駄々をこねんかのぉ・・・」
完全に四方ではなく死法として吐かそうとしている。 それほどに退屈だったのか。
胡乱な目を送りながらマツリが口を開く。
「柴咲はどう致しましょう」
「柴咲のことも刑部が呉甚に吐かせるだろう、それまで待たせるとよい。 なんならわしが―――」
「ではあとは刑部と武官ということで宜しいですか?」
最後まで言わせない。
マツリを横目で見た四方がつまらなそうに頷いた。
武官達とキャッキャ、キャッキャと話している時に面白い話を聞いた。
「ね、杠、そこの場所知ってる?」
さすがの杠も知らなかったが、武官が説明しながら地図を描いていくと大体の位置が分かった。
「今から行って戻って来られる?」
「いやぁー、それは厳しいでしょう」
杠に代わって武官が答えたが武官と違うことを杠が言った。
「紫さまでしたら少々無理をしますと行けますでしょう」
地下から戻ってくるときに、紫揺がどんな風に馬を乗っているのかの話も杠にしていた。
「おわっ! 杠官吏! なんてことを!」
「じゃ、行く」
「い! いけません! まだ掌のお傷も治っていらっしゃらないというのに、早駆けの手綱など持たないで下さい!」
って、早駆けが出来るのか? まず馬に乗れるのか?
三都から六都に戻ってきた時には、杠と二人乗りをして馬車に合わせてゆっくりと戻って来ていた。
「・・・退屈だし」
「退屈って・・・戻って来てまだいくらも経っていません」
「ああそうでした。 掌のお傷の具合はどうでしょう? 武官長がお気にされていましたが」
宿に戻ってすぐに刺さっている棘を抜き、宿の者に薬草を塗ってもらってはいたが。
「完全に治られるには数日かかるかと。 大人しくしていて」
なにか付け加えられた。
「しゆ・・・紫さま、その掌のお傷が治るまで宮には戻してもらえそうにありません」
「え?」
「それにあの女官たちがまた泣くでしょう?」
“最高か” と “庭の世話か” 紫揺からしたらちょっとのことでもワァ―ワァ―泣いてしまう。
「うう・・・」
いったいどうしたのかと問い詰められるに違いないし、一緒に湯殿に入ってくるだろう。 そしてずっと泣かれる。
「これくらい何ともないのになぁ・・・」
「シキ様もお方様もご心配されます」
それを言われたら痛い。
「うーん、じゃ何しようかなぁ」
「取り敢えず、昼餉を食べに行きませんか?」
そう言われればお腹が減っている。
「うん」
見事な紫さま捌(さば)きだ、と武官たちが感心した。
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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~ 第174回
こんな時に! 呉甚が女を見て顎をしゃくると自分は奥の部屋に隠れる。
女が戸を開けると、そこには肩を下げ目の下にクマを作った男が立っていた。
「ここに呉甚という者はおられませんか・・・」
声が枯れている。
女が振り返った。
聞き覚えのある声に奥の部屋から顔を出し、女に首を振ってみせる。
「あ、居りませんが・・・」
「そうですか」
より一層肩を下げた男が向きを変えた。
女が戸を閉めると呉甚が奥の部屋から出てきた。 どうしてあの男が自分を探しているのだろうか。 それに高妃を探さねばならない。
「この家のどこにもいないのか」
「・・・はい」
「外を探しに行け」
「あ、あの、先ほどの男は・・・」
呉甚が口を歪める。 何かあったのだろうか、柴咲が来ることなくあの男がここに来るなどと。 それにこの家にいると確信があった様子ではない。 どういうことだ。
「外に出た時それとなく訊け」
いつまで経ってもきな臭い。 自分が外に出ればろくでもないことがありそうな気がする。
頷いた女が戸を開けて外に出た。 辺りを見回すが高妃の姿はない。 その代わりに隣の家から肩を落として出てきたあの男が居た。
「もし・・・」
男が振り返る。
「お探しのお方は見つかりましたか?」
武官達が様子を伺っている。
男が首を振る。
「かなりお疲れのようですが?」
「・・・もう何日も探しております」
「まぁ、それはそれは。 どのような御用で?」
「・・・え?」
「これから私も人探しに出ます。 呉甚という名ですね? もし出会いましたら言伝いたしますが?」
「あ、ああ。 そういうことですか。 ご丁寧に。 ですがその、結構です。 あと少し探せば終わりにしますので」
「どちらかにお泊りですか?」
「え? はい “蜥蜴(とかげ)の尾” と言う食処の上の宿に」
女がニコリと笑って踵を返しそのまま高妃を探しに出た。
一人の武官があとを尾行(つ)ける。
女の後ろを尾行けていたが怪しい様子は見られない。 あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロしては場所を移動しているだけではあるが、誰かを探しているのは一目瞭然であった。
男が最後の家の戸を叩いた。
「ここに呉甚という者はおられませんか」
首をふられてしまった。
瑠路居には居なかったのだろうか。 ガックリと膝を折った。
そこに民に変装した武官がやって来た。 顔は覚えている、いくら変装していてもこの男は武官だ。
「苦労だった。 だが暫くは宿にいてもらう」
「・・・え?」
「すぐ宿に戻れ」
変装した武官が腕を引っ張って男を立たせてやる。
「兄さん、大丈夫かい」
白々しく言うと男の衣をはたいてやる。
「気を付けて帰んな」
更に白々しく言うとその場から去って行く。
男がトボトボと ”蜥蜴の尾“ に向かって歩き始めた。
女が応対に出た時、後ろを振り返ったのが見えた。 それに後から接触してきて男の宿先を聞いていた。 何かあるのかもしれない。 男を撒き餌にする。
女が夕刻になってようやく戻ってきた。 尾行けていた武官がここまでは何の疑いも無いと判断した。
「いたか?」
女が首を振る。
呉甚が大きく舌打ちをする。 自分が探しに出られない事に苛立ちを覚える。
(あの男を使うか・・・)
「訪ねてきた男は」
「”蜥蜴の尾” の上の宿に泊まっていると」
「用件を聞いてあの男にも高妃を探させろ」
あの衣だ、顔を知らなくとも衣を探せばいい。
「すぐに行け」
クタクタになった女が家を出て ”蜥蜴の尾” に向かう。 その後を一人の武官が尾行ける。 もう一人はこの場に残った。
男が宿泊している部屋の隣にも武官が待機している。 安宿だ、壁の一枚が薄い。
襖の向こうから声がかかるのが聞こえた。
「あの・・・昼間お声をかけさせていただいた者ですが」
疲れた体を横たえていた男がだるそうに起き上がった。
「どうぞ」
襖がすっと開き昼間見た女が顔を出した。 部屋の中を見ると男一人だけであった。 その男が座卓の前に座っている。
座卓には食べた後の皿と麦酒が入っていただろう杯が置かれている。
襖を閉めると女が男の横に座り声を殺すように言う。
「呉甚に何用ですか」
「え?」
「呉甚からの言伝です。 何用かを訊き高妃様をお探しするようにと」
「おっ! 居られるのですか! どこに!?」
「声が大きい御座います」
「あ・・・」
「何用で?」
「ああ、その。 科人の疑いとされ柴咲の似面絵が出回って動きが取れないと・・・」
六七八都には決起に動くようにとは言ったが、受け入れの一三都に伝えることが出来なかった。 自分が二都で七都を受け入れなければいけなかったが、柴咲に代わって呉甚に一三都の受け入れを頼もうと奔走していて日が過ぎてしまったということを話した。
「え・・・では決起は?」
「今回は失敗に終わった」
「科人の疑いとは?」
「分からない。 今は俺の家にいる。 似面絵があっちこっちに貼ってあって全く動きが取れない」
すでに柴咲は捕まっているがこの男はその事を知らない。
「失敗に終わったのに呉甚を探していると?」
武官に言われたとは言えない。 何か理由は無いか・・・。
「あ、その・・・。 柴咲のことを伝えようと。 全く動けないのだから」
「ああ、そういうことで・・・」
「それより呉甚はどこに?」
「居場所を教えていいとは聞いていませんので。 それより高妃様をお探ししてください」
「お会いなどしたことが無い」
「衣を見れば一目で分かります。 民では無い衣を着ております」
女が立ち上がると部屋を出て行った。
壁に耳を当て全てを聞いていた武官。 所々聞こえない所はあったが充分だ。 決起のことを言っていた。
女が出た後にすぐに武官も部屋を出る。 女を尾行けていた武官にいま聞いたことを伝えると部屋に戻って行った。 聞いた武官が女のあとを尾行ける。
女が足早に家に向かっている。
尾行けていた武官が途中で三人の武官に合図を送った。 三人の武官が尾行けていた武官の後ろを歩く。 家の近くまで来ると家を見張っていた武官に合図を送る。 合計五人の武官。
女が戸を開けた。 その戸を後ろから大きく開けられると大きな影が目の前を通った。
「ひっ!」 と言った途端、片腕を取られていた。
どかどかと四人の武官が家の中に入って行く。
女はあの男が呉甚を探していると知ってすぐに家を出ていた。 ずっと誰かを探していたようだったが、誰かと接触し話している様子は無かった。
それなのに男に指示を出していたし、呉甚の居場所を教えていいとは聞いていないと言っていた。
そんな話を出来たのはここだけ。
「な、なにを!」
女の声に奥の部屋から呉甚が出てきた。
「なにを大きな声・・・」
「呉甚!」
武官達は呉甚の顔を知っている。 問答無用に捕らえる。
「な、何をする!」
「謀反の疑いにて捕縛する」
縄にかけている間、他に誰かいないかと家の中を見て回った。 不思議な作りの家だった。 半地下があった。 そこには四角く切り取られた明り取りの窓があるだけだった。
「他にはいないようだ」
全員が頷く。
一人が ”蜥蜴の尾” に向かい、もう一人が馬車の用意に走る。
「う! 疑いくらいで! 縄にするのか!!」
「証人が待っている」
「・・・証、人?」
六都に戻ってきた紫揺と杠。 既に二人の噂は武官の間で広まっている。
杠が六都武官長四人を前に全ての報告を終わらせた。
「苦労であった」
たとえ杠がマツリ付だと言っても武官長より立場は下だ。
「自警の群はいかがでしたでしょうか」
「うむ、杠官吏の言ったように何事もなく、と言うか、かなりのゴロツキを捕まえてくれた。 マツリ様に戻って頂き、すぐにでも咎の言い渡しをしていただかねばならん」
ゴロツキ。 一日二日放り込んで放免にすればいいが、今のマツリのやり方はそうでない。
「承知いたしました。 今回のご報告を兼ねて宮都に戻りたいと思います」
「あ、いや・・・」
「なにか?」
「紫さまはどうされる?」
「ええ、ご一緒に」
いくら百足が見張ってくれていると言えど、置いていくわけにはいかない。
「その、掌に怪我をされたと聞いたが。 治られたようか?」
「まだで御座いますが、あれくらいなんとも御座いませんしょう」
「あれくらいでは困る。 この六都からお帰しするに当たり、ほんの少しのお怪我でも困る」
「ですが紫さまを置いて私が戻るわけにもいきませんし・・・。 あ? 武官殿が紫さまに付いて下さるのでしょうか?」
六都武官長四人が音がしそうなほど首を振った。 現に朱い皮鎧を着た朱翼軍武官長が首をゴキッと言わせ「あぅ」と思わず声を上げている。
そうか・・・だいたいの想像はつく。 紫揺の様子を武官から聞いたのだろう。
武官長四人が文官に押し付けてはどうか? などと杠を無視して円陣を組みだした。
ゴホン、と杠が白々しい咳払いをすると、四人の武官長が突き合わせていた頭を上げ、慌ててそれぞれの席に戻り武官長らしくふんぞり返る。
「文官殿からは何度か泣きつかれましたのでご無理かと」
だろーな、武官ですらあのザマだったのだから。 紫揺の川遊びの話を聞いた、散々だったと聞かされた。
「あー、では報告としては既に早馬が出ている。 それでいいのではないか?」
四人が四人ともニッコリと笑って小首をかしげているのが不気味だ。
だがよく考えると、あれくらいの傷マツリなら何ともないと言うが、女官たちは見過ごすことが出来ないだろう。 それに協力させたのは己だ。 仕方がない。
「ではそのように」
四人が四人とも鷹揚に頷く。 さっきの不気味ニッコリ首傾げはどこにいった。
「で? 今、紫さまは?」
「手に刺さった棘は抜きましたが、すった跡がまだ残っておりますので、あちらで武官殿に薬草を塗って頂いております」
そう言えば戸の向こうからキャッキャ、キャッキャと先程から野太い声が聞こえている。
(あやつら、あれほど言っておったのに紫さまと楽しんでいるというのか?)
四人が四人とも眉間に皺を寄せた。
早馬の文に、六都の者全員捕らえたと書かれていた。
「さて、次はこっちか」
数刻前、呉甚が馬車で運ばれてきていた。 喚いていたのでしばらく喚かせることにしていたがそろそろ疲れただろう。
將基が部屋から呼び出された。
將基を含む武官文官三十五人が民の衣を着て呉甚の前に立った。 これで何かあった時、將基に害が及ばない。
工部に居てはこんなことは知らない。 これが刑部にいたのならこの方法も知っていただろうが。
「え? え?」 と何が何だか分からない様子を見せていた呉甚、三十五人の顔など覚える間もなかっただろう。
暫しの時を置くと「どうだ」と武官が訊ねる。 一人づつが頷いてみせる。 二十九人目で將基が頷いた。 それを見た残りの六人も頷く。 そしてぞろぞろと三十五人が出て行った。
「いったいどういうこと、で」
訳が分からず付いていた武官に問うが武官からの返事は無かった。
將基が一室に入れられた。 そこには四方、マツリ、四翼軍武官長、刑部長、刑部の文官五人が居た。
勧められた椅子に座ると刑部長が訊ねる。
「どうだった?」
誰が誰なのかは分からないが、あまりの面子にゴクリと唾を飲んでから答える。
「間違いないです。 あの男です」
刑部長が頷く。
「安心するといい、お前の顔は覚えていない。 お前の証言が一番ではないが、見張っていた武官もそれなりの事を聞いた。 呉甚に問えるほどのことではないがな」
將基が頷く。
「では、あと少し。 こちらの文官に出来るだけ詳しいことを話すよう、それで顔を知られないために証言台に立つ必要はなくなる」
場所を移そうと文官二人が立ち上がる。
「將基、長い間、苦労であった。 金河と共にここに居た間の賃は出るように申しておる。 今日はもう遅い、文官との話が終わり明日朝一番に二人とも馬車で送り届ける」
將基が頭を下げ文官と出て行く。
「さて、あとは刑部の腕の見せ所だが?」
とっとと各都に散らばっている者たちを捕らえなくてはいけない。
「お任せください。 武官を何人かお借り出来ますか?」
「何人でも」
武官で一番の長にあたる四翼軍武官長が答える。
「なんならわしが」
「父上」
すかさずマツリが四方を窘める。 ずっと仕事をしていなかった、ただ待つということだけだった。 完全に退屈になってきているのだろう。 カジャで走り出すと言ったほどだ。
刑部長が半笑いで刑部文官を連れて部屋を出て行った。
「六都の者は全て捕らえた」
四翼軍武官長が頷く。
「あとは刑部がどういう吐かせ方をするかだが、まずは今の態勢をすぐに解除」
宮都との境に立たせている武官たちのことである。 呉甚を捕らえた、もうその必要はない。
「マツリ、六都に何人か戻すか?」
「・・・戻して頂けるのは嬉しいのですが、詳しいことは六都の様子を見なければ何とも」
「杠が報告に来んな」
「杠なら来るはずですけど・・・今日一日、待ってみます。 それでも来なければ六都に飛んでみます」
何かあったのかもしれない。
「では六都の応援は杠官吏次第ということで、各都に応援に行っている武官を一旦、宮都に元に戻しても宜しいでしょうか?」
「そうだな、報告からすると暴動も起きんだろう」
一都と二都で受け入れ側が現れず、七都と八都の者が右往左往していたと聞いている。
四翼軍武官長が立ち上がった。
武官長が部屋を出て行くと、つまらなそうな四方の声が聞こえた。
「呆気なかったか」
「何事もなく良かったでは御座いませんか」
「呉甚・・・駄々をこねんかのぉ・・・」
完全に四方ではなく死法として吐かそうとしている。 それほどに退屈だったのか。
胡乱な目を送りながらマツリが口を開く。
「柴咲はどう致しましょう」
「柴咲のことも刑部が呉甚に吐かせるだろう、それまで待たせるとよい。 なんならわしが―――」
「ではあとは刑部と武官ということで宜しいですか?」
最後まで言わせない。
マツリを横目で見た四方がつまらなそうに頷いた。
武官達とキャッキャ、キャッキャと話している時に面白い話を聞いた。
「ね、杠、そこの場所知ってる?」
さすがの杠も知らなかったが、武官が説明しながら地図を描いていくと大体の位置が分かった。
「今から行って戻って来られる?」
「いやぁー、それは厳しいでしょう」
杠に代わって武官が答えたが武官と違うことを杠が言った。
「紫さまでしたら少々無理をしますと行けますでしょう」
地下から戻ってくるときに、紫揺がどんな風に馬を乗っているのかの話も杠にしていた。
「おわっ! 杠官吏! なんてことを!」
「じゃ、行く」
「い! いけません! まだ掌のお傷も治っていらっしゃらないというのに、早駆けの手綱など持たないで下さい!」
って、早駆けが出来るのか? まず馬に乗れるのか?
三都から六都に戻ってきた時には、杠と二人乗りをして馬車に合わせてゆっくりと戻って来ていた。
「・・・退屈だし」
「退屈って・・・戻って来てまだいくらも経っていません」
「ああそうでした。 掌のお傷の具合はどうでしょう? 武官長がお気にされていましたが」
宿に戻ってすぐに刺さっている棘を抜き、宿の者に薬草を塗ってもらってはいたが。
「完全に治られるには数日かかるかと。 大人しくしていて」
なにか付け加えられた。
「しゆ・・・紫さま、その掌のお傷が治るまで宮には戻してもらえそうにありません」
「え?」
「それにあの女官たちがまた泣くでしょう?」
“最高か” と “庭の世話か” 紫揺からしたらちょっとのことでもワァ―ワァ―泣いてしまう。
「うう・・・」
いったいどうしたのかと問い詰められるに違いないし、一緒に湯殿に入ってくるだろう。 そしてずっと泣かれる。
「これくらい何ともないのになぁ・・・」
「シキ様もお方様もご心配されます」
それを言われたら痛い。
「うーん、じゃ何しようかなぁ」
「取り敢えず、昼餉を食べに行きませんか?」
そう言われればお腹が減っている。
「うん」
見事な紫さま捌(さば)きだ、と武官たちが感心した。