「ザイム真理教」を読んでいたら、森永卓郎が東大時代の恩師に笠原一男の名前が出てきて懐かしいなあと感じた。
僕は東大に行ったわけじゃないから笠原教授の歴史の授業を聴いたわけじゃなく、中学時代に母から買い与えられた「日本の歴史」全4巻の著者が笠原一男だったのだが、愛読書だったからこの名前に思い入れがある。
東大の授業では、1年間で中世のところに滞って、ほんの僅かしか進まなかったらしく、僕も高校の古文の先生が半年かけて葵祭を講義したことを思い出し、学問というのはそういうもんだと理解した。
勉強の対象は各人勝手に好きなのを選べばいいわけで、要は詰まらねえ受験勉強なんてするなよなというメッセージだった。
お陰様で高校時代は、そういったくだらないお勉強に一切関わらなかったので、成績は一気に400番下落したが、本を読む癖と好きなことをすぐやる癖が身に付いた。
もっとも、それが何かに役立ったかというと、そうでもないような気がしている。
話しは「日本の歴史」なんだが、もう10年近く前になるが、小室直樹の著書を読んでいたら、日本史なら平泉澄博士の「物語日本史」に止めを刺すとあったので、上中下3巻を購入した。
積読にして置いたら散逸した。
先日、必要なCDを探していたら、その脇にちゃっかりこれがあり、取り出してみたが、中のみで上下が見つからない。
まあ、小説でも途中から読みだしたりする偏屈な質だから、歴史書を途中から読むなんてことになんの痛痒も感じない。
というわけで、今年の夏の読書、「ザイム真理教」の後は「物語日本史(中)」を読んでいる。