キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

冬季五輪を酒の肴に

2018年02月20日 | Weblog
オリンピックを肴にして毎晩呑んでいるが、体調は悪くないし、目覚めも快調だ。
今朝はやや寒かったが、大寒の頃の寒さとは明らかに違い、ちょろいもんだが年なんだから侮ってはいけない。

朝、目覚めて起きるまで小室直樹を読んだが、現在のところ整理をして出てきた本は30冊近くになっている。
重複してたのが五六冊あったが、まあ仕方がない。
20年ほど前に好んで読んで、隠居してから宗教論を読んだが、アカデミズムから離れているので何でも思ったことを書いていて面白い。
人間制約いてになるのはカネと権威だが、命を惜しまず、カネも要らず、名誉も要らないやつは御し難い。

10時過ぎに東へ向かって歩くが、プリンスのゴルフ場とドイツ大使館の別荘だった間の小路から海へ出る。
潮が入り組んで、よく流れていたので、釣り船は釣果が上がっただろう。
テニスコート脇へ上がったが、照明灯の天辺に鳶が止まり、ヒュールルルルと啼いていた。
近くで観ると思っていたよりでかい、すぐに飛び立ちテニスコートのネットの支柱に止まったが、2本先にも他の個体がいた。
繁殖期なのだろうか。
富士見スポットからは、雲に隠れて富士山は見えず残念。
葛川へ降りて、川沿いを下流に歩き、東海道を横切って不動川へ出て上流に歩きヤオマサへ向かう。
ここのところ地の魚は少ないが、エイ、海鼠、米神のヤリイカがあり、イカを2杯買う。
東海大学前大磯病院の前を通り、六所神社の脇を通って帰る。

昼は下の息子が平塚へ、娘が横浜へ行っており、妻と二人の飯なので饂飩になるのを恐れたが、上の息子がインドカレーを土産に持って帰ってきたので、ナンに極辛の野菜とキーマカレーを少しつけて食べ、肉まんとおでんでモザイクのような昼飯だった。

久し振りにプレシネを観る。
ジェイムス・ディーンの「EAST OF EDEN」で、何時ものように題名と主演俳優の名前は知っていたが初めて観る映画で、こういった内容だったのかと長い間の持っていたイメージが霧散し世間並になった。
世間で流行っているものに背を向ける質を改めるつもりはないが、廃れた頃にそっと観てみるのも悪くない。
父親の厳格な生活について行けないジェイムス・ディーンが演じる次男キャルは、かつて母親が父の性格と合わずに家を出てしまい、近くの町で飲み屋をやっていることを知り会いに行く、父の性格は兄に引き継がれるが、そのフィアンセはその厳格さについてゆけず、キャルと親しくなってキスをしてしまう。
母に捨てられ父に愛されない息子が、母を探しだし、兄のフィアンセの力=妹の力で、父から愛される=承認されるようになった物語。
原作者のジョン・スタインベックの小説も読んでいないが、神話の構造を20世紀初めのアメリカに置き変えたものだ。

昼寝をしたいところだったが、勤勉に本の整理を行う。
途中、鈴木邦夫と佐高信のジュンク堂での公開対談を視聴してサボる。
鈴木邦夫の髪が大分あったので、そうとう前の動画だろう。
右翼は人間を観るが左翼は構造を話すと分類していたが、右翼に大人が多く、左翼に子供っぽい人間が多いのはそういうことなんだろうね。

妻が親不知を抜いて思いのほか痛みが酷く臥せっていて、晩飯を作れないからと言われ、母の晩飯はお粥を温め、さつま揚げと焼売、下曽我で買った大根の浅漬けを探し出し出す。

僕と下の息子の晩飯は娘にたのみ風呂に入る。
ヤリイカの刺身、げそ焼き、ほうれん草玉子炒め、中華スープと拉麺が出来ていて、「大山」純米を燗して娘と呑み出した。
ヤリイカの皮剥きを娘がやったが、初めてにしては簡単に剥いて上手く刺身にした。
柔らかくて美味かったが、息子はこれが好物なのでよく食べた。
えんぺらを一杯分残してあったので、刺身にして出したがコリコリして美味かった。
札幌ではエンペラのほうが好まれているが、夫々美味い。
娘はげそ焼きが美味いと感嘆していたが、これまで朝どれの烏賊を食べる機会があまり無かったから、これで新鮮な烏賊の美味さが分かったろう。
酒がすぐに無くなり、麦乙を水で倍に割って燗につけて呑んだ。
落花生、バタピー、ラーメンスナック、ジャガリコ、おかき、銀杏とつまみになりそうなものはすべて食べつくし、麦乙の900mlのボトルが空になった。

女子パシュート、男子ジャンプ団体、女子カーリング等を観たが、高木美帆も小平と同じでキョトンとしていて可愛いが、このタイプの女子は物事に動じなくて強い、二人とも地獄を見たってことらしいけどね。
男子ジャンプは札幌で日の丸飛行隊を観ている身としては無惨に感じる。
葛西をレジェントと云って頼ってるようでは駄目だね。

しかし、1972年には未だ社会の中枢に帝国陸海軍の飛行隊だった人達がいたし、多くの人達が札幌の青空に上がった三本の日の丸に日本の敗戦からの復活を感じていたんだなあ、じゃなければ日の丸飛行隊と云う命名は思いつかなかったろうね。

カーリングは1981年に中にスコッチ、ベンイーグルが入ったカーリングストーンの形状をした陶器製ミニュチュアボトルを輸入して売ったが、だれもカーリングをを知らなかったし、売っている僕自身も試合を観たこともなかった。
日本カーリング協会というのがあったと記憶しているが、変なことに情熱を傾ける人たちがいるんだなあと思っていたが、そのうちに忘れてしまった。
それでも中身が蒸発してしまったボトルを長い間記念にとっておいたが、世間にこのゲームが認知される前に捨ててしまったようで今は手元に見当たらない。
スコットランド発祥のこのゲームが今ではオリンピックに採用されてメジャーな競技になっている。
氷上のチェスといわれもするらしいが、カーリングストーンは花崗岩で造られていて、チェスの駒は木製が多いから、たとえるなら碁が相応しいだろう。
もっとも黒は那智黒といわれる粘板岩だが、白は蛤なんだけどね。

時差がなく夜試合が行われるので、このオリンピックは酒がすすむ、そして日本人選手が活躍してくれるから酒が美味い。
だけど今夜はいささか呑みすぎた。
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