ルグリズブートキャンプ(6)

  第3部の最初は「ジュエルズ」(振付:ジョージ・バランシン、音楽:チャイコフスキー)より“ダイヤモンド”です。ダンサーはローラ・エッケとオドリック・べザール。

  衣装は男女ともに純白で、それに銀とジルコニアの飾りがふんだんにつけられている、とても美しいものでした。踊りも優雅で美しかったです。

  次は「ドリーブ組曲」(振付:ジョゼ・マルティネス、音楽:レオ・ドリーブ)、ダンサーはミリアム・ウルド=ブラーム、マチアス・エイマンです。プログラムのBプロの演目にこの作品は掲載されておらず、当日配られたキャスト表に書いてあって、それではじめて分かりました。

  正直言って困りました。Bプロには似たような作品が多いからです。もし「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」、「ジュエルズ」、「ドリーブ組曲」を、衣装なしで振付だけで区別しろ、と言われたら、私には絶対にどれがどれだか分からないでしょう。

  素人目には区別のつかない似たような作品を3つも演目に入れるとは、ルグリ側の意図がよく分かりません。それなら、CプロやDプロで上演されてAプロとBプロでは上演されない作品、たとえば「小さな死」や「黒鳥のパ・ド・ドゥ」を、なんとか演目の順番やダンサーを調整して、このBプロで上演すればよかったのに、と思いました。そのほうがルグリのファンの方々にも喜ばれたでしょう。

  まあ済んでしまったことは仕方ないです。Aプロでこの「ドリーブ組曲」を踊ったのは、アニエス・ルテステュとジョゼ・マルティネスだったので、彼らと比べるとウルド=ブラームとエイマンはどうしても物足りない感じがします。見た目でまずAプロの長身大柄コンビ(ルテステュ、マルティネス)より迫力負けしてしまうし、踊りも長身コンビよりこじんまりとしています。

  でもウルド=ブラームの少女のような可憐な顔立ちはやはり愛らしいですし、踊りも柔らかできれいでした。エイマンはヴァリエーションでマルティネスと逆方向(右手)から登場し、そのまま逆方向にジャンプして踊っていました。マルティネスと鏡合わせになった感じでした。

  最後は「さすらう若者の歌」(振付:モーリス・ベジャール、音楽:グスタフ・マーラー)でした。ダンサーはローラン・イレールとマニュエル・ルグリ。

  イレールは水色の、ルグリは赤い丸首の全身レオタードを着ていました。ゆっくりとした踊りで、回転やバランスを保ちながらポーズを変化させていく動きが多かったです。イレールとルグリの踊りはさすがで、動きが実になめらかで洗練されていました。ただ振りを踊るだけなら若いダンサーにもできると思いますが、かつ踊りでなにかを表現できていたのは、ベテランのイレールとルグリであってこそでしょう。

  「さすらう若者の歌」はマーラーが自身の失恋をテーマに詩を書き、それに曲をつけたものです。前奏部分を少し切り取ってはいましたが、ほぼ全曲(4曲)を用いていました。

  踊りや演技は各曲のメロディや歌詞と密接に連動していて、イレールは歌詞に歌われる若者の表の部分を、ルグリは若者の裏の部分、というよりは、若者の内なる自分を踊り演じているようでした。イレールは「いま考えている自分」であり、ルグリは「心の奥底から何かを語りかけてくる自分」です。

  イレールは黒髪でおとなしそうな顔つき、ルグリはブロンドでややアクの強い顔つきをしています。イレールは本当にナイーヴな若者といった雰囲気でした。

  第1曲「彼女の婚礼の時」では専らイレールが踊ります。ルグリは舞台の奥に後ろを向いて立っています。歌詞は失恋の苦しみを述べていますが、このベジャールの作品では、もっと普遍的なテーマ、生きることの苦しみや懊悩を踊りとして表現しているように感じました。イレールは悲しげな、また寂しげな表情を浮かべて、体をゆっくりと動かして踊っていました。

  第2曲「春の野辺を歩けば」になるとルグリが前に出てきて、イレールに微笑みかけながら、楽しんで踊るよう促します。イレールは明るい笑いを浮かべて楽しそうに踊ります。ルグリは舞台の前に座り込んで、イレールの姿を見守っています。しかし、いっときの楽しさは、すぐに大きな苦しみに打ち消されます。イレールは再び沈鬱な表情になって座り込みます。ルグリはイレールに近寄って抱きしめますが、ふと冷たい表情になってイレールから離れます。

  第3曲「怒りの剣で」では、激しく怒り狂うような音楽と歌詞に乗せて、イレールとルグリはふたりで並んで同じ振りで踊ります。振付も急で激しいものです。「若者」はもはや表も裏もなく、積もり積もった思いが爆発して、心の底から悲しみ嘆いているのでしょう。

  第4曲「彼女の青い目が」で、「若者」はあきらめの境地というか、静かで落ち着いた心境に至ったようです。マーラーの歌曲は、終わりの曲に死んだ自分を描写した詩を持ってくることが多く、それは現実の死ではなく、安らぎを得た心境を象徴しているようで、この「さすらう若者の歌」もそうです。

  イレールは救われたような落ち着いた表情になりますが、ルグリはそんなイレールの手を引っ張って、奥に広がる闇の中へと導いていきます。イレールはそれに従います。でも、ふと後ろを振り返って、なにかを求めるように手を伸ばし、それとともにゆっくりと舞台のライトが落とされます。ハープの音だけが静かに残ります。

  カーテン・コールになると、イレールとルグリはがっしりと肩を抱き合って、並んで前に出てきてお辞儀をしました。

  それから全体のカーテン・コールが始まって、数え切れないくらい繰り返されました。途中で、天井からフランス語と日本語の書かれた大きな看板が下りてきました。フランス語のほうはルグリの自筆文を拡大したものでしょう。日本語のほうには「皆様のご声援に心から感謝します。また会いましょう! マニュエル・ルグリ」と書かれていました。

  さまざまな色のテープや光る紙吹雪が天井から落ちてきました。特に紙吹雪のほうは一向に止む気配がなく、いつまでも降り続けていました。カーテン・コールの途中で、ダンサーたちはふざけてテープを首に引っかけて出てきたり、手で集めた紙吹雪を客席に向かってばっと降らせたり(←バンジャマン・ペッシュ)し、最後は観客に手を振っていました。

  幕が閉ざされて、カーテン・コールが終わった、と思った途端に、幕の向こうから「ヒョオー!!!」という大きな歓声が聞こえました。ダンサーたちが公演終了を祝ったのでしょう。さすがはラテン民族、賑やかだなあ、と思いました。

  帰りかけた観客はドッと笑い、再び拍手しました。すると、また幕が開いて、なんとまたカーテン・コールになりました。最後はダンサーたちがまた手を振ってお別れしましたが、幕が閉じた瞬間に、またまた「ヒャウー!!!」という大きな歓声を上げていました。

  Aプロの追加公演があったために、結局1週間ぶっ続けの公演となりました。ダンサーのみなさん、お疲れさまでした、と心の中で声をかけて会場を後にしました。  
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