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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

日本人の質が問われる選挙

2017年10月20日 07時25分45秒 | えいこう語る

▼時代と共に人の考えも変わる。それが進化しているのか後退しているのか、判断がつかない。私が生まれた70年前と現在を比べれば、生活環境は、急激に便利になった。例えば車を運転してから半世紀近く経つが、異なった環境に簡単に移動できるので、知識の習得という意味においては、車社会で莫大な量を確保できたに違いない。

▼ラジオ時代からテレビに変わってから、知識量は何万倍にも増えた気がするが、果たして、人間を磨くための必要な知識は増えたのだろうか。近年、言われているのは、便利になりすぎていることで、人間の本質を失っているのではないかという懸念だ。言うまでもないが、進化と便利のみを目的とするIT時代は、魑魅魍魎な社会を出現させそうだ。

▼もう、私の周囲にもいなくなったが、明治生まれの人の言葉が心に残っている。忘れた頃に私の家を訪れるおじさんがいた。ある日やってきて「今日は、お宅の墓を拝んできた。わしは、お宅の先祖にお世話になったので、この御恩は決して忘れない。一度たりとも、お宅の方角に足を向けて寝たことはない」と言った数日後、亡くなった。衣食足りない時代にあって、礼節を重んじる明治の男の矜持を感じた。

▼さて、今回のアベ総理の大儀なき解散選挙。アベ批判勢力はそう吹聴するが、「憲法改正解散」という、戦後最大の大義を持った選挙ではないか。このラッパが吹き鳴らされた途端、日本国憲法という大池に雑居していた、政治家たちが、池の中での住み分けをはっきりしたではないか。

▼改憲派と護憲派で、池の中が二分されたようだ。餌の量が多い改憲派に泳いで行ったのが多いようだ。護憲派は餌が少ないが、どうやら明治の人間のように気骨をみせた感じだ。改憲派には「衣食足りて礼節を忘れず」という看板を立てて、国政にまい進してほしいものだ。

▼言いたいことはいっぱいあるが、私の場合いたずらに文章が長くなる欠点がある。少ない衣食(言葉)で、礼節(心)を伝えなければならない。そこで、18日函館で講演した、作家の保坂正康氏の言葉を引用させていただきたい。この日は参加できなかったので、19日の北海道新聞の記事を引用したい。

▼「憲法の不備を直すというなら改憲もありえる」としつつも、『憲法を100年もたせた上で考えたい。政治家がその時々で、都合のいいことを言う現状で憲法を論ずるのは拙劣だ』という内容だ。

▼ナチスの幹部が、裁判でいった言葉だ。「敵が攻撃すると煽れば、戦争は簡単に始まる」。

▼政治家の質が問われる今回の選挙。同時に、現憲法下で便利になりすぎた、国民の質も問われる選挙のようにも感じるが。

街頭演説を行った

2017年10月19日 13時06分23秒 | えいこう語る

▼18日夜、函館湯の川温泉のホテルで、高校卒業50年と古希を祝う会が行われた。半世紀も経てば、姿かたちも世間の雨風にさらされ、面影などというものはすっかり消え果ている。最後まで思い出さない顔も随分いた。It is no use crying over spilt milk(覆水盆に返らず)?Out of sight out of mind(去る者は日々に疎し)?か。

▼懇親会が始まる前、当時の英語の先生による「ことわざの日英比較」と題する授業が行われた。授業後はもちろんテストだ。英語の諺が12問出て、下の日本語の諺のどれにあたるかというものだ。全問正解は1名、女性だ。lt is never too old tolearn(年を取りすぎて学べないことはない→六十の手習い)かと思いきや、卒業してからずっと英語の勉強をしているという。Never put off till tomorrou what you can do todey(今日できることを明日に伸ばすな)という諺を、心に刻み込んでいる友人に脱帽だ。

▼印象に残ったのは、プロ野球のラミレス監督が、負けた時選手に言う言葉、Tomorrow is another day(明日という日もある)だ。私などは、こんな人生だったなと、我が身を振り返させられた、授業風景だった。

▼さて、そんな授業が待っていることを事前に知っていたのか、友人から、前日に電話がかかってきた。To be,or not to be that is the question(生きるべきか死すべきか、それが問題だ、by hamulet)この名言に、突き動かせられたのか「今回の選挙は、どうしてもアベ政治に注文したいので、授業前に函館市内の繁華街で、街頭演説をしないか」という。

▼電話の友人は、昨年手術して、術後の経過が芳しくない。「アベ総理にこのまま日本を任せていたら、死んでも死にきれない」という。それではと、もう一人、東京在住の友人を誘い、団塊オヤジ三人が「大間原発反対」と「アベ政治を許さない」で、声を上げた。そこになんと、自民党候補の選挙カーが。私は通りすぎるまで、ポスターで顔をかくす羽目になった。その候補は、私が反自民と知っているが、身近で話している政治家だからだ。

▼ラミレス監督の諺もいいが、Strike while the iron is hot(好機逸すべからず)という言葉も好きだ。今回の選挙に声を上げなければ、戦後民主主義教育を受けた私たち団塊世代は、一生悔いを残すことになるからだ。友人の「死んでも死にきれない」という言葉が、私にはシェークスピアの声に聞こえたからだ。

▼自衛隊勤務の友人もいた。「九条に自衛隊を明記するのをどう思うか」。「自衛隊は軍隊だと思っている。自国を守るためなら、死も覚悟している。ただ、今の自衛隊では任務がはっきりしていない。PKOなどでは、隊員が危険に晒されるので、軍隊とした方がよいと思っている」と、答えてくれた。イタリア旅行から帰ってきたばかりだといっていたが、街中に軍隊が自動小銃を持ち、テロの警備していたので安心だったとも付け加えた。

▼2020年東京オリンピック。街中に軍隊が治安を守るというのが当たり前の世の中が、我が国にも迫っているようだ。そんな世の中になると、憲法第21条(表現の自由)も変更され、我々のような考えや行動は、制限されるのだろう。

▼シェークスピアの名言にこんな言葉もある。You gods,will giveus some faults to make us me(神は我々を人間にするために何らかの欠点を与える)。私の多くの欠点は、人間になるための試練だというのが私の解釈だ。だが、アベ総理の解釈は「神は私に、総理の座を与えた。だから私の考えは正しく、私に反する者だけに、神は欠点を与える」というのだろうか。

▼アベ総理と私に共通の諺がある。To err is human to forgive divine(過ちは人の常、許は神の業)だ。さらに二人は、イスラム教徒に近い考えも持っているようだ。Inshallah(神{アラー}の御心のままに)・・・?!。

▼充実し、かつ楽しかった古希の会でした。

改憲と改元(元号改正)

2017年10月16日 11時59分32秒 | えいこう語る

▼今回の解散選挙、大義名分など全くなくとも、アベ政権は安泰だと予想されている。もし、選挙結果がそうであれば、日本の戦後が終わるのは、2020年かもしれない。選挙後、国民がアベ政権続投を支持したと断言し、本丸である「憲法改正」へと、まっしぐらに、進軍ラッパを堂々と吹き鳴らすことになるに違いないからだ。

▼政治日程は、2018年は今回の選挙で改憲派が多くなることから、国会での改憲発議。2019年は、新天皇誕生の慶事にあたるので、「新しい日本」を象徴するような元号になるだろう。その余波で、一気に「国民投票」の実施だ。

▼2020年の東京オリンピック。現時点での日本選手の活躍は、どの種目をとっても素晴らしい。金メダル獲得数は、日本が一位になる可能性を秘めてきた。世界一を目指すオリンピックには「国威発揚」という側面があるが、我が国は、そのスローガンを前面に出した、第2回東京大会にするだろう。

▼それは「敗戦国日本」の汚名を、「勝利国日本」へと変身させる、歴史修正主義の一環だ。もちろん、米国からの押し付けとされる現憲法も、一緒におさらばしようという、アベ総理の目論見のようだ。

▼16日の衆議院選に関する北海道新聞の記事の大見出しだ。「憲法考える暇なく流されはしないか」の中で、北海学園大憲法学部、岩本一郎教授は、「憲法とは00が00を守らせるルール」と、立憲主義に基づく回答を期待したが、生徒の8割が違う答えを出したという。ある生徒は「憲法は国家で一番大事な法だし、まず国民が守らなければ」と言ったという。

▼選挙権を18歳まで下げたのは、そんな状況を把握して「国民投票」に臨むということなのだろう。アベ総理が、風呂場で口ずさむ歌が聞こえてくるようだ。♪知らず知らず歩いてきた 細く長いこの道 振り返れば遥か遠く 故郷がみえる・・・♪。アベ総理は、憲法解釈と同様、詞の解釈を間違え「改憲の詞」と考えてえていやしないだろうか。皆さんも、この詞、あらためて読んで下さい。たぶんアベ総理は、この曲名も「この道しかない」と覚えているようだから。

▼オリンピックの前年に、新天皇即位で改元が行われる。世の中がお祝いムードに包まれる中「平和で安全な東京オリンピック」をテーマに、国防重視の憲法改正国民投票へと、一気に大手をかける。それは「敗戦後の昭和と続・昭和」に君臨していた「日本憲法」にも、同時に退位していただこうということだ。

▼14日の北海道新聞「各自核論」の中で「元号」について、九州産業大佐藤直樹名誉教授が、こう論評している。日本人は正月になると新年とし、忘年会に見られるように、昨年のことはチャラにして、忘れてしまうという傾向がある。1年ごとに歴史が分断されてしまい、西暦のような「直線的時間」の上にあるのではないので、過去の歴史の総括の上に立って、未来にわたり長期的な展望を描くことが苦手だという。それは、歴史の流れを切断する元号の使用が、日本人の「円滑的時間」の意識をますます強固にするとし、改元を見直すべきだという。

▼改元が、昨今、日本の政治に見え隠れする、歴史修正主義の基盤となる考えかもしれない。敗戦後の昭和と、それに続く平成を忘れ去り、同時に、押し付け憲法にもおさらばするという、戦後政治の、すべての負のスパイラルをチャラにする「ゼロ戦特攻作戦」なのかもしれない。それが「戦後レジームの解体」というなら、アベ総理の目的も、より鮮明になってきた。

▼2020年8月の東京オリンピック。憲法は改正され、軍隊となった自衛隊が完全武装してテロからの攻撃を守る。金メダルの度に翻る日章旗。挨拶の総理は「みどりのタヌキ党」の百合ちゃんか、そして大会委員長は、森元総理に変わり、功労者のシンゾウさんか・・・。

▼改元が改憲の足がかりだとすれば、天皇制なるものは改元により生かされ、その改元を、時の為政者が利用するという日本独自の構図は、西暦の連続性(直線的時間)と違うようだが、類似しているようなところもあるようだ。

▼ちょっとの意見の違いで、離婚に走る夫婦がいる。別れてしまってから、相手の良さに気付いても遅い。よく話し合うことが、平和的解決の最大要素だろう。

▼ブログを書いている最中、来客があった。ある候補の東京事務所の秘書だという。こんな田舎まで来ての選挙だ。「憲法改正」「大間原発」この二つが、私の家族の投票基準だ。いろいろ考えさせられる選挙だけれど、デモクラシーの語源は「市民の権力」だという。

▼我が家の庭の「みどり」の葉っぱも色好き初め、物思う秋だ。団塊世代の、私たちの千秋楽が近づいている。明日、期日前投票に出かける。「市民の権力」を行使するために。

衆院選・函館市長動く

2017年10月15日 07時12分02秒 | えいこう語る

▼北海道8区は、民進党から離れ無所属で出馬する逢坂誠二さんに、共産党が候補を見送って応援に出たため、自民党の前田一男さんが、遅れをとっているようだ。3年前の選挙では、逢坂さんが勝ち前田さんは比例で復活している。これまでの対戦で、前田さんは逢坂さんに、2敗しているのだ。今回負ければ、前田さんの国政への夢は断たれるに違いない。

▼まち中の情勢だが、自民の応援隊の上層部にいる人物と話したら、いつもの意気込みは感じられない。さらに、自民党支持者に尋ねたら「アベ総理が長すぎる。彼が総理を降りればいい」と、話していた。こんな選挙状況なら、前田さんは逢坂さんに、はっきり差を付けられそうだ。そんな危機感を意識してか、はるみ知事や自民党のアイドルスター、進次郎さんも応援に駆け付けた。

▼今回の選挙の争点は、多すぎてよく分からない。そこで逢坂さんは「大間原発建設凍結」を掲げた。前回の選挙で、僅差で負けた前田さんが「大間原発で負けた」と、敗戦の弁を述べたからに違いない。そこで前田さんも、今回は「大間原発建設凍結」を掲げた。これは、逢坂さんの作戦勝ちだ。

▼自民の前田さんが、地元で「原発反対」を訴えても、自民上層部に対し、口が裂けても「原発反対」など言えないというのを、市民は知っているからだ。それに、先日、函館市内にある自衛隊基地に、突然パトリオットが配備されたことも、前田さんには不利のようだ。

▼1945年に空襲を受けた函館市民は、米国と共同し、北朝鮮との戦いなど、誰もが望んでいないからだ。パトリオットが配備されただけで、北朝鮮のミサイルの迎撃基地として、戦争へ巻き込まれる危機感が増してきたからだ。これは、前田さん不利に拍車をかけているのかもしれない。

▼こんな選挙情勢下で、前田さんの応援に出たのが、工藤函館市長だ。函館市は国策である大間原発に対し、建設凍結で国を提訴している。だが、最近の函館の活性化事業は、補助金がらみの仕事が多いようだ。前田さんは「予算の獲得は、自民党の私の責任」だというのが口癖だ。市長の応援は、前田さんへの恩返しなのかもしれない。

▼選挙応援で、自民党色が鮮明になった市長。もしかして、前田さんの後釜を狙っているのではないだろうか。今回の解散選挙後、党の再編成などで政局が流動的かつ不安定になりそうだ。もし、アベ総理続投となったら、次は「新憲法作ろう解散」なるものを仕掛け、戦後、総決算の戦いを挑んでくるはずだ。そうなれば、北の玄関口函館城からも、鎧兜に身を包み『市政から国政へ』の旗を持った、工藤寿樹の雄姿が浮かんで来たところで、夢から覚めたのだ。 

▼なぜ、こんな夢を見たかというと、元新潟県知事で、原発再稼働には相当慎重派だった泉田さんが、まさかの自民党から今回の選挙に出馬したからだ。知事時代の泉田さんに、函館市町会連合会が主催する原発反対の市民集会に、講演をお願いする要請文を、私が送ったことがある。返事が来ないので、秘書室に電話を入れると「スケジュールが取れません」との回答だったというのも思い出したからだ。

▼今回の解散選挙で、日本の政治家の信念のなさぶりを、はっきり見せつけさせられた。と同時に、国民主権という憲法の大原則を、自覚することの意義を実感した。さて、今日日曜の、北海道新聞に掲載された榎本武揚の言葉だ。榎本は、函館戦争で負けて命を救われてから、新政府の命令で、北海道各地の産業振興に努めた。その心中を、作家阿部公房は作品「榎本武揚」でこう語る。

▼『まったく、割に合いませんよ。時代が変って、それまでの信念を否定するのだって、やはり新しい時代の、同じ信念ではありませんか。いつだって、正しいのは、その時代の信念だけなんだ』。

▼そういえば大晦日、零時を過ぎた途端「新年あけましておめでとうございます」という。我が国には、新しい時代には、古い信念を捨て新しい信念で、国民はおめでたく生きていこうという、意味もあるのだろうか。

安倍晋三=麻原彰晃

2017年10月12日 07時34分59秒 | えいこう語る

▼午前4時頃、目が覚めた。衆議院選挙の動向が気になったのでテレビを観ると、自公で300議席を超える勢いだという。どうやら、アベ総理の続投決定のようだ。いよいよ、憲法改正への本格的スタートかと思うと、再び眠りにつく気がしない。我が国の立憲主義や民主主義が、いとも簡単に崩れていくのは、どんな問題があるのだろうか。

▼今回の解散選挙は「森友・加計問題隠し」だ。アベ総理が主犯ではないかと思われているこれらの問題を、選挙による国民の支持で、もみ消しにしようとする「証拠隠滅解散」だ。ふと、アベ総理の顔に、オウム真理教の麻原彰晃の顔がダブった。本棚に、タイミングよく日垣隆著「現代日本の問題集」があった。

▼この第3章に「カルト教団の暴走と忖度社会」というのがある。オウム事件の最大の争点は「麻原が直接支持を出していたのか」ということだ。裁判で一貫して問題になったのは「共謀共同正犯」を認定するかどうかだ。

▼共犯には「共同正犯」・「教唆犯」・「従犯」の三種がある。「従犯」は刑の軽減はあるが「教唆犯」は(正犯の刑を科する)。共同正犯は、まさに正犯として扱われる。麻原の場合、狭義の「共犯」として起訴されたのではなく「首謀者」として起訴されたが「実行者」ではない。部下たちが、麻原に「忖度」を行い実行したというので、弁護側は無罪を主張した。

▼だが起訴した189人のうち、188人が有罪になり、その中には死刑を宣告された者もいる。さらに、一部の幹部から「麻原から明確な指示があった」というのを無条件に採用し、麻原を「首謀者」つまり「正犯」としたというのが判決の内容だ。こうなれば、麻原には死刑以外の判決しかない。

▼前川元文部次官が「森友・加計問題」で、アベ総理の関与を証言した。一連の報道で、多くの国民がアベ総理の関与は当然あったに違いないと考えている。この問題の関係者で逮捕されたのは、森友学園長だけだ。加計学園長や明恵夫人は、喚問さえ行っていない。与党議員の忖度もあるが、もし、裁判になっても裁判所自体が、総理へ「忖度」を行うような気がする。

▼憲法の解釈に「統治行為論」なるものがある。簡単に言えば、国益にかなうもの、安全保障問題や原発問題などは、司法審査の対象から除外するという考えだ。このような裁判は、最高裁判所では却下される可能性が大だ。この考えそのものが、政府への「忖度」ではないか。上述の著書でも「日本は忖度社会」と断言している。

▼サリンによるテロ事件と呼ばれたその首謀者麻原は「共謀共同正犯」として死刑を宣告された。片や国民の多くが総理の関与があったとする「森友・加計問題」。それ一気に払拭しようとする解散選挙こそ、国民を愚弄し正義を粉砕する、テロ行為そのものではないか。だとすれば、アベ総理も麻原同様ではないか。

▼昨夕から今朝まで、雨が降り止まなかった。この雨で一気に気温が下がるという。さらに、選挙後も「アベ増強」で、寒さも一段と増すようだ。寒さを運ぶのはアベ総理ばかりではなく、国民にも「従犯」が多いということなのだろう。

▼ストーブのようなあったかい、世の中になって欲しいものだ。