▼時代と共に人の考えも変わる。それが進化しているのか後退しているのか、判断がつかない。私が生まれた70年前と現在を比べれば、生活環境は、急激に便利になった。例えば車を運転してから半世紀近く経つが、異なった環境に簡単に移動できるので、知識の習得という意味においては、車社会で莫大な量を確保できたに違いない。
▼ラジオ時代からテレビに変わってから、知識量は何万倍にも増えた気がするが、果たして、人間を磨くための必要な知識は増えたのだろうか。近年、言われているのは、便利になりすぎていることで、人間の本質を失っているのではないかという懸念だ。言うまでもないが、進化と便利のみを目的とするIT時代は、魑魅魍魎な社会を出現させそうだ。
▼もう、私の周囲にもいなくなったが、明治生まれの人の言葉が心に残っている。忘れた頃に私の家を訪れるおじさんがいた。ある日やってきて「今日は、お宅の墓を拝んできた。わしは、お宅の先祖にお世話になったので、この御恩は決して忘れない。一度たりとも、お宅の方角に足を向けて寝たことはない」と言った数日後、亡くなった。衣食足りない時代にあって、礼節を重んじる明治の男の矜持を感じた。
▼さて、今回のアベ総理の大儀なき解散選挙。アベ批判勢力はそう吹聴するが、「憲法改正解散」という、戦後最大の大義を持った選挙ではないか。このラッパが吹き鳴らされた途端、日本国憲法という大池に雑居していた、政治家たちが、池の中での住み分けをはっきりしたではないか。
▼改憲派と護憲派で、池の中が二分されたようだ。餌の量が多い改憲派に泳いで行ったのが多いようだ。護憲派は餌が少ないが、どうやら明治の人間のように気骨をみせた感じだ。改憲派には「衣食足りて礼節を忘れず」という看板を立てて、国政にまい進してほしいものだ。
▼言いたいことはいっぱいあるが、私の場合いたずらに文章が長くなる欠点がある。少ない衣食(言葉)で、礼節(心)を伝えなければならない。そこで、18日函館で講演した、作家の保坂正康氏の言葉を引用させていただきたい。この日は参加できなかったので、19日の北海道新聞の記事を引用したい。
▼「憲法の不備を直すというなら改憲もありえる」としつつも、『憲法を100年もたせた上で考えたい。政治家がその時々で、都合のいいことを言う現状で憲法を論ずるのは拙劣だ』という内容だ。
▼ナチスの幹部が、裁判でいった言葉だ。「敵が攻撃すると煽れば、戦争は簡単に始まる」。
▼政治家の質が問われる今回の選挙。同時に、現憲法下で便利になりすぎた、国民の質も問われる選挙のようにも感じるが。