▼早朝、居間のカーテンを開けると、我が家の庭の、紅葉美術館がオープンする。今年は、何年振りの素晴らしい展示だったが、太平洋沖を通過した台風22号が、どうやら、今年の展示の閉館を告げたようだ。まだ風は強いが、色鮮やかな落ち葉が枝から離れ、それが、西陣の絨毯のように、庭一面に敷き散りばめられている。
▼「うらを見せおもてを見せて散るもみぢ」という、良寛さん歌が浮かんでくるが、同時に、♪秋の夕日に照る山もみじ・・・♪という、唱歌「紅葉」の歌詞も浮かんでくる。だが、この2番の歌詞もなかなかの味合いだ。
▼ 渓(たに)の流れに 散り浮くもみじ
波にゆられて 離れて寄って
赤や黄色の色さまざまに 水の上にも織る錦
▼周囲の山々の紅葉も、どこも見事だったが、その中で最も推薦するのが、隣町、南茅部地区の、川が流れる谷間の川汲温泉周辺だ。この海に面した町は、日本一の真昆布の産地で、縄文遺跡の宝庫でもある。縄文人もこの周辺の温泉で、身体をやすめたに違いない。
▼この温泉の女性経営者の頑固ぶりが有名だ。私の友人が、紅葉を写真撮影していたら「誰の許可を受けて撮っているのか」と、怒鳴られたそうだ。武勇伝はたくさん聞いているが、自然を守ろうという、彼女の情熱のようにも思える。その情熱が、あたたかい温泉と、見事な紅葉の源になっているのかと思う。もしかして、彼女が縄文人の子孫なのかもしれないと思いながらも、その付近で車を止めず、私は通り過ぎた。
▼尋常小学校唱歌「紅葉」は、1911年(明治44年)に作られた。その時代は、今よりもっと自然が豊かだったから、紅葉も美しかったに違いない。だから、このような素晴らしい歌詞が生まれてきたのだろう。だとしたら、自然との共生を大切にした縄文時代の紅葉は、どれほど感動を与えたのだろうか。
▼縄文に火焔土器というのがある。炎を連想されるその装飾は、縄文人の感性の高さを証明している。「芸術は爆発だ」という、岡本太郎氏の言葉に、深く共鳴する。火焔土器は、新潟県信濃川中流域で多く出土される。信濃川周辺の縄文時代の紅葉は、想像を絶する美しさだったに違いない。
▼そう推測すると、火焔土器とは、土器を作る時の炎ももちろん神秘的だが、長野川周辺の燃え盛る紅葉が、作品に強力に影響を与えたのは、想像に難くない。火焔土器作成の源は、かまどで燃え盛る火より、もしかしたら、山全体が燃え上がるエネルギーの方が、影響力が強かったような気がする。
▼そんな夢想を、隣町の縄文文化交流センターに住まいしている、国宝『中空土偶』に語り掛けてみたいと思っている。その後は、私が大好きな、乳白色の硫黄温泉「縄文露天風呂」に入り、身も心も縄文人になりたいと思っている。
▼この温泉も、川が流れる谷間にあり、紅葉が見事だ。先日も入浴したおり、乳白色の温泉に、赤と黄色に彩られた、桜の葉が一枚浮いていた。