▼朝夕に寒気が入ったおかげで、今年の紅葉は見事だ。我が村は「日の出美術館」と「紅葉美術館」が無料で鑑賞でき、心が洗われる毎日だ。
▼昨日(28日)の午前中、小中学校合同地域公開授業が地元の小学校で開催された。私は函館市の社会教育委員を拝命しているので、来年度から小学校で実施される「道徳教育の教科化」の状況を確認するため、見学させていただいた。
▼道徳教育の教科化の目的は「イジメ防止」にあるようだが、検定教科書を使用することで、昨今の「憲法改正」が叫ばれる国政の状況から推察して、軍国主義につながるのではないかという懸念を持つ人も多いようだ。
▼北海道教育大学が2015年に行った調査で、小学校教員で、教科化に賛成は18,8%で、反対・どちらかといえば反対が78%という結果のようだ。教員の不安が大きく表れた数字だ。文科省としては実施にあたり、教員の指導強化が必要ということになりはしないか。
▼道徳教育の課題として、東北大教育学研究科水原克敏教授は「グローバルな価値多元社会」の到来で、この問題をどう処理すべきなのか、これが見えないと、そう簡単には学校文化を、価値多元社会に変革するのは危険であると指摘する。
▼この指摘が、教員のぼんやりとした不安を生み、道徳教科化反対の78%という数字に表れているのだろう。2008年の学習指導要綱では、新しい時代を担うべき日本国民としての資質を形成するために、国際的リテラシー(情報を評価・識別する能力)とコミュニケーション能力を有し、道徳的資質も高く「生きる力」に満ちた人間像が構想される。このようなレベルに上げなければ、日本は生き残れないだろうという判断なら、旧態依然とした学校文化を変えなければならないというのが、水原教授の考えだ。
▼アベ総理の言う「戦後レジームの解体」とは、国民教育の中にも、その意思が反映されてくるのだろう。自民党の憲法改正草案には「現行憲法第13条の、公共の福祉に反しない限りが【公益及び公の秩序に反しない限り】となっている。さらに「日本国民は、国旗及び国家を尊重しなければならない」とも書き込まれている。
▼教育には、強制力・誘導・扇動的なものが含まれている。国家権力の支配下に教員の良心の自由が奪われた時、少年や少女がどれほど不幸に陥ったかを、歴史は証明している。そんな時代に流されていきそうな気配を感じる、解散選挙後の我が国だ。
▼私が学んだ昭和30年代の校舎は、木造で兵舎のような風格を持っていた。学窓から眺める風景は、昔とほとんど変わりがない。教室の外の、夥しい「落葉」は、冬への前奏のように思えた。
▼授業終了後、体育館で、ピアノとバイオリンの演奏会があった。
演奏家の巧みな解説と素敵な音楽で、生徒たちも私たち大人も、瞬く間に音楽の持つ力に魅了されてしまった。これが教育の持つパワーなのかと感心された。
▼体育館も私たちの時代と同じ位置に立っている。ふと、上田敏訳のヴェルレーヌの「落葉」の詩が浮かんだ。
秋の日の ヴィオロンのためいき
ひたぶるに 身にしみてうら悲し
・・・涙ぐむ 過ぎし日のおもいでや
▼1955年(昭和30年)。この体育館の舞台で、NHKラジオのど自慢で立っていた小学校1年生の私の姿が浮かんだ。5年生、初めて我が校に鼓笛隊が結成され、いろんな楽器に触れた時のうれしさが蘇った。みんなが等しく貧乏だったが「希望」に満ち溢れていた。この体育館にいる中で、誰よりも年齢が多いのを自覚しながら、「教育」とは何かということを回想する自分がいた。
▼昭和20年7月、この母校も米軍の機銃掃射の的にされた。学校は休みだったので、犠牲者は出なかったが、村では4人が死亡した。『歴史は繰り返す』という言葉がある。単純な言葉だが、今になっては、最も生徒に伝えなければならない言葉のように感じた、秋の日の授業参観だった。