▼戦後72年経ち、一度も変えぬ現憲法が時代にそぐわないと吠えまくるアベ長期政権。一強独裁のおごりが出始め、民心が遠ざかろうとしている機に乗じ、憲法改正へと突っ走る最強馬「アベノミクス」に騎乗したのが「ファースト百合子」だ。
▼手綱さばきもよろしく、弱る自公の勢力を吸収し、新保守体制を確立し、改憲のゴールにまっしぐらに突っ走ろうとしている。別名「小池踏み絵」さんは、当選という色香をまき散らし、うろたえる選挙に弱い男女たちを選別し、最強の保守を目指し、総理の座を狙っているようだ。ニックネームの「みどりのタヌキ」に追従すると、当選は「〇ちゃん」と言われているようだ。
▼9月25日の北海道新聞夕刊、東工大中島岳志教授の記事が、心に残っていたので読み返してみた。9月1日に開催された「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」に、百合子知事は追悼文を送らなかったそうだ。それについて、朝鮮人虐殺は事実だが、人種差別という根源的な悪から目をそらし、問題性を薄めて小さく見せようとする、歴史修正主義だという見解を示している。
▼国の基本倫理や道徳は、憲法による。それが、国柄や国民性を生み出している。だが、私の周囲でも「政治的な発言は持ち込まないように」という、一見「中立性や公平性」に思える言葉が、表現の自由に壁を立てている。それを中島教授は「政治性を排除することの政治性であり、中立性・公平性という名の政治性」であると看破する。
▼さらに、近年、歴史修正主義的な発言に対して、世の中が不感症になっていると指摘し、「公平性」や「中立性」という名のもと歴史修正主義が幅を利かせていることに、警戒しなければならないとしている。
▼緑の党は、アベ政権を倒すというスローガンを掲げる。選挙結果で、自民が数を落とせば、アベさんは退陣せざるを得ないだろう。だが、アベ政権を倒すというのは、アベさんだけ排除し、憲法改正への流れを受け継いだまま、さらに新保守を掲げて、改憲への流れを強化しようという、一種のまやかしではないか。煙に巻くという戦術が得意なのが「みどりのタヌキ党」の実態なのかもしれない。
▼戦後72年、この解散選挙から、我々国民は、政治の「公平性や中立性」という言葉に惑わされることなく、生活の中で、もっと政治を語る国民にならなければならないようだ。国民主権とは、アベ総理に権力があるわけでなく、主権は国民にあるという、意外と当たり前のことだからだ。