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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

選挙後の新聞批評

2017年10月25日 15時20分36秒 | えいこう語る

▼私は北海道新聞(道新)を愛読しているが、若い時分、東京に住んでいたことがあるので、中央紙を購読していた。それは、田舎暮らしにどっぷりつかりたくないという、そんな危機感があったのは確かだ。現在、函館市町会連合会の役員に名を連ねているので、地方の出来事を掌握していなければならないので、道新に変更したのだ。

▼新聞の役割とは、二度と戦争を起こさない国にするための、防波堤ではないかと私は考えている。基本的人権を擁護し、民主主義を守り、日本国民の倫理を守る自衛軍と例えてもよい。新聞は先の戦争で、自らの使命を逸脱し、戦争を扇動させた大罪がある。その汚名を濯ぐため、今という時代に最も期待されるのが新聞だと考えるからだ。

▼『ペンは剣より強し』という言葉があるが、平和国家でいるには、新聞がその役割を一身に担わなければならない。ただしこの意味は、当初は、今一般的に考えられている意味とは異なっていたようだ。だが、エラスムスも『知者のペンより恐ろしい剣はない』というので、この言葉を胸にしっかり刻み込み『アベ一強・憲法改正』の流れに、毅然たる態度で、真の国防の防波堤たらんことを、期待したい。

▼解散選挙という戦いは終わったが、戦争放棄の国日本は、新たな『憲法改正戦場』へと踏み込んだようだ。それが、現在の戦局だ。そこで、平和を望む国民が、どのような考えを持たなければならないかの戦略を明確に示すのが野党の責任だが、惨敗した野党は、陣営の立て直しという、劣勢に陥ってるというのが現状だ。ここは、エラスムスの言葉を代弁する、新聞の最大の出番ではないか。

▼今日の道新は、今回の選挙の各候補や陣営の総括だ。分析も必要だが、総花的過ぎて、国民が次の戦場でどんな戦いをしなければならないかの方向性を明確にしていない。選挙中は「アベ一強を許すのか」という、明確な戦いを読者に投げつけたが、戦いはアベ陣営の勢力を増させた。ここで、その懸念を強く読者に問いかけなければならないはずだ。『ペンが剣に負けている』というのが、今日の全紙面から伝わる私の印象だ。

▼2020年の東京オリンピックに標準を定め『憲法大改正』という新たな戦が始まったのは、誰の目に見ても確かだ。その戦いに向け、国民はどう考えるべきかの論争を誘導するのが、今の新聞の使命ではないか。そんなことを、田舎に住む一愛読者は、今朝の道新から感じ取った。平和を守るという聖戦に、どう国民を奮い立たせるか、新聞への期待は大きいと私は考えるからだ。

▼「みどりのタヌキ」の親分の、責任を問う流れが大きいようだが、それはお門違いだ。タヌキは葉っぱをお金に変える術を持っているのだ。私が大好きな歌手・桂銀淑がこう歌っているではないか。♪だまされた私が、あほやねん♪・・・人のせいにするなと謳歌っているのだ。惨敗した野党は、また、離散しては集合を繰り返すのだろう。

▼「転んだのが悪いとは思わない。転んだらまた立ち上がればいいのだ」それが政治家の宿命だからだ。平和の党と思っていた与党のコバンザメの党首が、選挙期間中に言った言葉が、なかなか洒落ている。「一見民主党」という言葉だ。

▼チョッピり浮気しても、改心して戻ってくるのもいいじゃないか。離婚しても、再婚で幸せになればそれもいい。問題は、世界が幸せになれればいいのだ。こんな勝手な考えをしていたら、或る元政界の大物歌手の歌が聞こえてきた。

▼♪人生いろいろ 与党も野党もいろいろ♪と歌う『眉唾純』ちゃんだ。この大物歌手が、初めて作詞を手掛けたのが今回の「解散選挙」という題名の曲ではないだろうか。そういえばこの大物、政界きっての『策士家』だったのだ。

▼この歌、最後まで聞くと「♪人生いろいろ 与党も野党もいろいろ ♪みどりのタヌキだけ責めないでね ♪最後は進次郎をよろしくね♪」そう歌っていたような気がしたが。

▼新聞批評が、なぜか鼻歌になってしまう、あいまいな日本のとりとめのない私です。