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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

石原慎太郎

2012年10月26日 11時05分45秒 | えいこう語る
昨夜の夢は「大間原発避難訓練」の予定だったが、やはり夢にはこの人が立った。
松竹映画のオープニングのように、富士山のてっぺんに仁王立ちになった「日本一の有頂天男」石原慎太郎だ。
登場曲は、ベートーベンの「運命」。・・・ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン。
東京都知事は以前にも、キャラのたつ人物がいた。
「青島だー」。もしこの人と石原が選挙で戦ったなら「領土問題外の、チンタオだー」と、石原は得意のジョークを飛ばすだろう。
私が高校時代「自治放談」というテレビ番組があった。
「オバマー・利得」と「細川流言」いう政治評論家が、世の中を解剖するものだ。
当時の私から見ると二人ともおじいさんに見えたので「爺放談」ではないかと私は思っていた。
でも歯に衣を着せぬ解説は、私が好んで観たテレビ番組の一つだ。もう一つは、やがて東京都知事になる「青島だー」が、脚本を書いていたという「シャボン玉ホリデー」だ。
ということは、私は若いわりには、老若バランスがとれたテレビ鑑賞をしていたということではないか。今考えると、政治という世界を知ったのも「自治放談」が最初のような気がする。
その番組で記憶にあるのは、昭和41年、ビートルズ初来日の時の内容だ。
「髪を伸ばしたあんな馬鹿者たちが、電気ギターを鳴らしたら世の中が悪くなる」そんな、頑固爺の言いたい放題の番組だった。
「ビートルズ命」の私たちの時代でも、その爺放談には、明治の男の心意気が潔く、「そうともいえる」と、納得するものがあった。
※本日の「とどほっけ日の出美術館」。題「日本の夜明けは近くて遠い」


昨夜の夢で、私「川口だー」がTVディレクターだ。
最近「たけしのTVタックル」も、つまらなくなった。ここは石原の出番だ。
「慎太郎の世の中ぶった切る」という番組を作る。レギュラーは、石原慎太郎・亀井静香・平沼赳夫だ。
ゲストは毎回楽しみになろう。今の曖昧な日本など、一刀両断だ。これほど高視聴率を得る番組はないだろう。
「今日のゲストは、経団連会長の“狸親父です”」
こんな番組なら、将来を担う若者も政治に興味を持つに違いないからだ。
80歳、政界復帰よりTV登場の方が世の中のためになるはずだ。
弟は映画スターだ、兄は芥川賞作家からTVスターで終ればいい。
日本の政治は若い者に任せ、我が国最大のご意見番になってほしいものだ。
橋下君のような若者は、とかく暴走しやすい。このままでいくと、ちょび髭など生やしかねない勢いだ。
「今日のゲストは、政治暴走族リーダーの、大阪のちょび髭です」
そんなことを平気で言えるのは、あなたしかいないのだと、政界復帰を必死に押しとどめ、TVに勧誘する私が、夢の中にいた。


原子力防災訓練

2012年10月25日 11時57分54秒 | えいこう語る
2012年10月X日、首相官邸地下特別室。
「大間原発建設再開無期限凍結」を国に要望中の函館市長が、一人孤独そうな顔で座っている。
そこに現れたのが、官房長官と外務大臣と防衛大臣、経産大臣はいない。
初めに口を開いたのが、防衛大臣だ。
「オスプレイの配備は沖縄県民の問題ではない。国家安全保障の問題だ。国民の生命・身体・財産の保全は国家の責任だからだ。今後は憲法改正を視野に入れながら、国家の安全を保障するのが私の考えだ」
次に外務大臣「外交は様々な分野で対応しなければならない。諸外国を相手に素人が論ずるものではない。敗戦後からの我が国の発展は、ひとえに外交の努力の賜だ」
最後に官房長官「そのようなわけで、原発問題は地方自治体の問題外だ。函館までの新幹線は約束するが、札幌までの延伸は今後政府としては、慎重にならざるを得ない。以上」
函館市長が口を開く間もなく、会談はわずか3分で終った。
特別室の灯りは消され、暗闇で冷や汗がにじみ出る、私、カワグチ函館市長のうなだれた姿が・・・。
※時化で切れて流れてきた昆布を拾う漁師たち。昔は、流されて死んだ人た人もいた。


昨日の北海道、我が国最大の原発事故避難訓練が、泊原発周辺地域で行われた。
自衛隊の艦船や、へリコプターが出動した訓練を観て、爆撃で避難する場面を想像した。そのせいかなんとも恐ろしい夢を見てしまったのだ。
さて避難区域を30キロに拡大したが、原発から19キロ圏内の予想される放射線量は【100ミリシーベルト】だという。
昨夜、寝る前に読んだ原発関係の本には、こう記載されている。
《高レベル廃棄物の本体は、原発の使用済み燃料を再処理したあとに残る【死の灰】だ。これを特別のガラスといっしょに溶かしてステンレスの容器に詰め込んだものが【ガラス固化体】という。ガラス固化体が一本あって、かりにそれに抱きついたとしよう。ほんの15秒くらいで浴びる放射線被ばく量はおよそ【60シーベルト】だそうだ。科学技術庁の発表では【50シーベルト以上被ばくしたら二日以内に100%人が死亡≫と書いてあった。
1シーベルトは1ミリシーベルトの1000倍というが、どれほど危険なのかと考えていたところで睡魔が襲い、そして、自分が函館市長になった悪夢が幕を開けたのだ。
東京から戻った本物の工藤函館市長、それでも健気に「私たちは反原発ではない」原発論争の標準を「大間」一点に絞込む。道南で盛り上がる市民団体の運動とは、一線を画す」と記者団を前に宣言した。
市長の後に背後霊のような顔がちらりと見えた。その顔は市長より大きく野田首相のように見えたが、テレビ映像の乱れだろうか。
今夜は、間違いなく大間原発防災訓練の夢を見そうである。
どうやら私は、夢では首相になったり市長になったり、政治家になっている、悪夢を見やすいタイプのようだ。


秋のお寺参り

2012年10月24日 12時26分39秒 | えいこう語る
年4回のお寺参り、昨日が最終日だ。
会計は総代長と総代の私の二人だ。今回の説教師は、宮崎県からの50代のご住職だ。
その方の略歴が変わっている。
高校の数学の教師をしていたが、結婚した女性がお寺の娘さん。
ある日義理の父親から「お寺の跡継ぎをしてくれないかと」言われる。
その時義理の父親は64歳だったので、お父さんも若いし、自分も先生の道が捨てがたいといい断ったという。
ところがそのお父さん、間もなく亡くなった。どうしても跡継ぎにならざるを得なかったのだという。
給料は先生時代からみると半分になったが、今ではこの職業について幸せだという。
本堂に眠っている先祖たちが、驚くのではないかというような大声での説教だ。
※玄関前にいた珍しい虫。どこから飛んできたのか独りぼっちのようだ。


その中でこんなことを話された。
自分は少年刑務所の慰問にも行く。少年刑務所とは成人前に犯罪を起こした者たちの刑務所だ。
全国の少年刑務所受刑者からのアンケートの結果、受刑者の家に神棚と仏壇のない家が95%もあったという。
人に感謝する心「ありがたい」という心を養うことが必要だと話す。
講話終了後は読経が始まる。説教師はしばらく控室で一人になる。
「よろしかったら、この村をご案内しましょう」というのが私の役目だ。
村の歴史、周辺の町の状況、その他村の環境についての案内など、30分ほどのガイド役だ。雨上がりの漁村は、宮崎県のご住職を迎えるにはなんとも静かで端正な顔を見せていた。
「檀家の皆様とぜひ北海道旅行を」と、観光セールスも。
普段、ご住職などとの会話はないが、全国各地から訪れる説教師たちとの会話は、私にとってはとても貴重な時間だ。
短い時間だが、3:11以降の日本人の生き方について話しあえたのが、今回の貴重な体験だ。
お寺参りの最後は食事会だ。台所を預かる檀家の奥さんたちによる、手作りの料理。その中で私の大好物が「八杯汁」という、豆腐料理だ。
今回は6杯で、終了したが、味は200点の高得点をつけた。
「今日は200点ですか。うれしい」と、みんなが笑う。そんなお寺での光景が私は好きだ。
食事の間に私はマイクを使い、函館市長や市民がなぜ大間原発に反対するのかを話した。
檀家の方たちも、よく理解したようだ。
ただし、プルトニュウムが「冥土の王」という名前から付けられたとまでは言わなかった。
お寺参りでの原発の話で、「浄土の王=エイコウニウム」などと、誰かヨイショをしてくれないかとも思ったりもした、今年最後のお寺参りだ。


原発作業員の実態

2012年10月23日 16時45分54秒 | えいこう語る
広島県では3・11以降、暴走族の動きが少なくなったと聞く。
ヤクザの組から、福島原発の後始末の作業員に送らされているらしいということだ。そこには高収入のピンはねが行われているらしいというのは、ある広島県民からの情報だ。
先日、それを裏付けるTVの報道を観た。
福島原発事故現場の最前線で働く労働者の声である。
被曝量が限界だと元受の会社に訴えたら、その下請け会社は仕事をはずされ倒産に追い込まれたという。
命と引き換えに働かされているようだ。放射線の被曝量を記載する日報にも、基準値を超えると記載しないのだ。最前線の人たちもやがては、放射線が原因の病気になるに違いない。
働く場がない現在の我が国、高収入につられ危険を承知で最前線に送られるのは、米国の軍隊への入隊に似ているようだ。
ステーキも食べられ給料ももらえる、だから軍隊に入る。兵を確保するため、ある程度貧困層を保つ政策をしているのが米国だと、黒人志願兵で戦場を経験した方の講演を聞いたことがある。
※陽気のせいか、つつじが咲き始めた。


ある塵肺患者の話だ。
長年トンネル堀の最前線で働き、リタイヤ後、塵肺の適用を受けた。
相当高額のお金が国から支給されるらしく、暮らしぶりは楽なようだ。
認定を受けると働くことは出来ないようだが、船を持ち、優雅な釣り三昧の生活をしている。
その人がある時こんな話をした。
「Aは、俺と一緒に働いていたが、危険だからといい、最前線で働かなかった。そのため給料も少なく、年金だって少ない。若いうち一生懸命働かなかったので、塵肺の適用も受けることが出来なかったので、俺のほうがずっと暮らしは楽だ」という。
今すぐ死ぬとは限らない。それなら高収入の仕事をし、塵肺の適用を受けて、家族を守るという考えだったらしい。
それはそれで人生の選択もしれないが、私たちが払う電力料金や税が、命を引き換えに使われているというのは、納得がいかない。
我が国には51基の原発がある。原発ゼロで廃炉にすれば、今の技術では作業員の被爆は免れない。かといって原発再稼動はもっと危険だ。
厄介なことを承知で、莫大な富が期待できる原発を作り続けた「原子力ムラ」。
村といえば我が「とどほっけ村」も、多少の利権に群がる輩もいた。ムラ社会というのは、横溝正史の小説に出てくるような、しがらみに囲まれたおぞましい世界だ。
今日は原発作業員の実体について書こうと思ったが、ムラ社会についての話になってしまったようだ。
8年前、市町村合併により村民から市民になったが、市民とはなんぞやという問いかけが、そろそろなされなければならないこの頃ではないかと思う。
それは大間原発建設再稼動で、問われているような気がするけど。


仏像受難

2012年10月22日 12時10分20秒 | えいこう語る
聖徳太子の父上、用命天皇の時代ではない。それはつい最近起こった事件だ。
ある小さな町のお寺で、安置されていた仏像が突然姿を消したのだ。
仏教に反対する何者かの仕業かと、その町は時代がさかのぼったかのような騒ぎになったようだ。
のんびりした漁師町、みんな顔見知りだ。仏像など盗まれることは考えられない近所付き合いだ。「仏像が歩いてどこかへいった」そんな感じだった。
駐在さんが来て事情を聞くうちに、このお寺は最近住職の入れ替えがあり、その時に先代の住職が持ち去り、自分のお寺に安置しているとのことだ。
その仏像を寄進した方の子孫が、仏像には自分の先祖の名が刻まれていると、引渡しを要求した。
「これは昔からこのお寺にあるものだ」と、その住職は聞き入れない。
盗まれたと判断したお寺では、檀家総代会で決議し、裁判所に訴えることになった。
※今朝の「とどほっけ日の出美術館」。題名「お告げ」


地裁の裁定が出た。
「仏像は前のお寺に戻すこと、もしかなわぬなら80万円支払うこと」だ。
私には、その裁定を下した裁判長の心が見えてこない。
戻すのは当たり前だと思うが、仏像のことだから、馴染みの住職についていったということなのだろうか。仏像は帰りたくないといい、それなら、今までお世話になった衣食住の相当金額80万円を、前のお寺に支払えということなのか。
そんな裁定に不満を持った、仏像を拉致した住職は控訴したという。
私はこの仏像が哀れでならない。たぶん二つのお寺の板ばさみになり、ある夜こっそりお寺を抜けで、近くの川に飛び込むような気がしてならない。
家出捜索が始まるが、やがて近くの海岸に打ち寄せられる。
数奇な運命をたどるその仏像は、その宗派の元締めのお寺に安置され「入水防止仏像」として、終の棲家でその役目を果たすに違いない。
ふとそんなことを考えた、先日友人から聞いたある町での仏像受難事件である。
日本に仏教が伝わったのは、朝鮮半島の百済からだ。
その時だって、仏像は人々の心に安らぎを与え、両国の親善のための役割を果たしたのだ。裁判長も80万円などと金額を明示する、下世話な裁定など下さないでほしかったと思う。
今朝はストーブのスイッチを入れた。
日一日と、庭の木から枯れ葉が離れていく。
秋は早足でやってきているようだ。