店を終えてから、函館市内に買い物に出かけた。
湯の川郊外の大型スーパー。周囲は大きな建物が少なく民家が多いので、屋外駐車場は、大空の下に駐車場という感じで、とても開放的だ。
ここからは、函館山の夕陽が美しく見ることができる。
私は地下駐車場が嫌いだ、閉塞感を感じるからだ。亡くなった私の母は「あなたは他の妹弟と違い、外の駐車場ばかりだね」といったことがある。
あまりその意味を考えもしなかったが、母が亡くなってから駐車場に車を止める時、きまって母のその言葉を思い出すのだ。
このスーパーの近くに「香雪園」という京風の庭園がある。ここの紅葉は感動的だ。期間中の夜はライトアップされ、毎日イベントが行われている。
10月末にもなると、夜風にも冬が近いことを意識させられる。
観光バスも入り込み、忙しそうにしている駐車場の警備員に尋ねると「紅葉はちょっぴり早いですね」という情報だ。

庭園内の管理ハウスでは、小学生がサックス、中学生がドラム、高校生がエレクトーンという、フュージョンJAZZのトリオ演奏だ。
秋の夜に、偶然出くわしたJAZZにすっかり酔いしれてしまう。
観客の中に、私の店にも来ていただいている、長崎出身の女性がいた。
ご夫婦ともにJAZZフアンだ。サックスの小学生は、ヤマハ教室では先生がもう教えることはないというテクニシャンだと、その方が教えてくれた。
それは間もなく証明された。やはり小学生、初めは緊張していたが、演奏が進むにつれ大人顔負けのパフォーマンスだ。
私は大人の演奏会と同じく、口笛を吹き鳴らし声援を送った。演奏が終り私の前を通った時「素晴らしいぞ、頑張れよ」と声をかけると、小学生らしいはにかんだ笑顔を見せた。
やがて、中学・高校に入り函館の歴史を学ぶことで、港街函館がいかにJAZZが似合うということを、身体と魂で学んでほしいものだと願う。

夜風も冷たくなって来た。駐車場の警備員に「寒い中ご苦労様」と声をかけると「お疲れ様です」と、微笑んだ。
先日のお寺参りでの説教で「あたりまえ」の中に「感謝」という言葉を忘れないようにと言われた。それを思い出したのだ。
ちょっとした会話で、お互いの心があったかくなるのを実感した。
先日、新聞にこんな記事があった。
東日本大震災で、家で津波にのまれ亡くなった女性が愛用していた“チェロ”が見つかり、友人がそれを復元したところ、元札幌交響楽団の主席チェリストの土田さんが、そのチェロを使い演奏会を開くという。
そのチェロの持ち主の長男が、私の店にも来るサーファーだった。
彼は初めて来店した時から、親しげに話を交わした。
函館に転勤してきたばかりで、サーフィンが趣味だと言う。出身は三陸の大船渡だといい名刺を渡されると、函館市内の大きな病院の医師だった。
津波の後、彼が店を訪れた時「ご両親は」と尋ねると「母が亡くなった」という。
それでも海に入るのは、ハードな医師という仕事の疲れを癒すために、大きな海の懐に抱かれ波を待つのだろう。
津波の後、結婚し子供も生まれた。男の子だ。母親の名前の一字を取り、命名したという。子煩悩な父親の顔で、私の妻に「この子を抱いてやってください」といった。
私の妻も、胸に迫るものがあったという。
周囲の山の頂が紅くなり始め、麓まで秋が下りてくるのは間もなくだ。
耳を澄ませば、遥か海の彼方から、チェロの演奏が聞こえてきそうな、そんな気配が感じられる、今朝のとどほっけ銚子ビーチだ。
湯の川郊外の大型スーパー。周囲は大きな建物が少なく民家が多いので、屋外駐車場は、大空の下に駐車場という感じで、とても開放的だ。
ここからは、函館山の夕陽が美しく見ることができる。
私は地下駐車場が嫌いだ、閉塞感を感じるからだ。亡くなった私の母は「あなたは他の妹弟と違い、外の駐車場ばかりだね」といったことがある。
あまりその意味を考えもしなかったが、母が亡くなってから駐車場に車を止める時、きまって母のその言葉を思い出すのだ。
このスーパーの近くに「香雪園」という京風の庭園がある。ここの紅葉は感動的だ。期間中の夜はライトアップされ、毎日イベントが行われている。
10月末にもなると、夜風にも冬が近いことを意識させられる。
観光バスも入り込み、忙しそうにしている駐車場の警備員に尋ねると「紅葉はちょっぴり早いですね」という情報だ。

庭園内の管理ハウスでは、小学生がサックス、中学生がドラム、高校生がエレクトーンという、フュージョンJAZZのトリオ演奏だ。
秋の夜に、偶然出くわしたJAZZにすっかり酔いしれてしまう。
観客の中に、私の店にも来ていただいている、長崎出身の女性がいた。
ご夫婦ともにJAZZフアンだ。サックスの小学生は、ヤマハ教室では先生がもう教えることはないというテクニシャンだと、その方が教えてくれた。
それは間もなく証明された。やはり小学生、初めは緊張していたが、演奏が進むにつれ大人顔負けのパフォーマンスだ。
私は大人の演奏会と同じく、口笛を吹き鳴らし声援を送った。演奏が終り私の前を通った時「素晴らしいぞ、頑張れよ」と声をかけると、小学生らしいはにかんだ笑顔を見せた。
やがて、中学・高校に入り函館の歴史を学ぶことで、港街函館がいかにJAZZが似合うということを、身体と魂で学んでほしいものだと願う。

夜風も冷たくなって来た。駐車場の警備員に「寒い中ご苦労様」と声をかけると「お疲れ様です」と、微笑んだ。
先日のお寺参りでの説教で「あたりまえ」の中に「感謝」という言葉を忘れないようにと言われた。それを思い出したのだ。
ちょっとした会話で、お互いの心があったかくなるのを実感した。
先日、新聞にこんな記事があった。
東日本大震災で、家で津波にのまれ亡くなった女性が愛用していた“チェロ”が見つかり、友人がそれを復元したところ、元札幌交響楽団の主席チェリストの土田さんが、そのチェロを使い演奏会を開くという。
そのチェロの持ち主の長男が、私の店にも来るサーファーだった。
彼は初めて来店した時から、親しげに話を交わした。
函館に転勤してきたばかりで、サーフィンが趣味だと言う。出身は三陸の大船渡だといい名刺を渡されると、函館市内の大きな病院の医師だった。
津波の後、彼が店を訪れた時「ご両親は」と尋ねると「母が亡くなった」という。
それでも海に入るのは、ハードな医師という仕事の疲れを癒すために、大きな海の懐に抱かれ波を待つのだろう。
津波の後、結婚し子供も生まれた。男の子だ。母親の名前の一字を取り、命名したという。子煩悩な父親の顔で、私の妻に「この子を抱いてやってください」といった。
私の妻も、胸に迫るものがあったという。
周囲の山の頂が紅くなり始め、麓まで秋が下りてくるのは間もなくだ。
耳を澄ませば、遥か海の彼方から、チェロの演奏が聞こえてきそうな、そんな気配が感じられる、今朝のとどほっけ銚子ビーチだ。