普段日本国憲法など、読むことはない。
でも憲法第九条だけは、日米安全保障条約の中で暮らす国民として、一番身近な存在で何度も読んでいる。
自分の住んでいるところに米軍の基地がある人たちなら、憲法の解釈と理解は、私たちより熟知しているに違いない。
オスプレイの強制配備は、沖縄県民は国家に人権を無視されている。
函館市民は大間原発建設再開で、沖縄と同じく国家に無視されている。
国家というものならまだしも「電源開発」という、水力や火力発電が専門で、原発建設は初めてだという一会社が、世界初のフルMOXという、実験も成功していない原発の建設を開始するというのは、随分なめられたものだ。
しかし我が国では、親分が国で子分が電源開発と言うことでもないようだ。
「建設再開は電源開発側にある」と政府はいうから、原発エネルギー問題は電力会社の言いなりのようだ。
以前、横綱の品格問題が騒がれた時、大相撲の親方がマスコミに向かい「朝青龍に怒られるぞ」といったのと、よく似ている。
国民が原発会社を怒らせると、節電はしなければならないし、料金の値上げまでされるのだ。
というところで、日本国憲法を考えてみた。
※ハーレー・ダビットソンがいる風景。

まずは、前文。
政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないよう・・・。
戦争は原爆投下で終了した。福島の原発事故はそれと同じではないか。
さらに、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する・・・福島県はいまだに16万人が戻れないでいる。
前文からこんな状況だ。あまりにも憲法違反が多いようなので、はしょってみる。
第3章の「国民の権利と義務」だ。
第11条。基本的人権は侵すこと出来ない権利として、現在及び将来の国民に与えられる。・・・そうなっているだろうか。
第12条。自由・権利の責任とその乱用の禁止である。・・・国民は必死で税金を支払っている。それを勝手に使い、世界一の借金国にまでした我が国の責任はどうなのか。
第13条。ここが最も肝心らしい。全ての国民は個人として尊重される。・・・沖縄県民や東日本の被災地の人々は、尊重されているのか。そして我々函館市民もだ。公共の福祉などは誰も違反していない。違反しているのは国ではないか。
早朝から血圧が上がっているようだ。
「憲法漫才」を思いついた。
「何が国民の権利だ、人権だ。オスプレイやプルトニウム、笑わせちゃいけないよ。憲法第九条を知っているのか、このボケ・ドジョウ。お前らは国民に対し喧嘩を売っているのか。オスプレイや原発による威嚇または武力の行使は、正義と秩序と平和を基調とする日本国民が選挙権を行使し、永久にお前らを放棄してやるぞ」
現在、大間原発建設反対訴訟が函館地裁に起こされている。
憲法第13条が争点らしいが、私は第九条を争点としたい。
大間原発は、プルトニウム239という、世界最大の猛毒兵器の「時限爆弾」なのだ。スイッチを入れたら、いつ爆発するかもしれないその恐怖に我々は脅え続けるのだ。
条文内の国際紛争を、国内紛争と置き換えてみる。
『国内紛争を解決する手段としては、永久に原発を放棄する』
こんな憲法解釈はいかがだろうか。
でも憲法第九条だけは、日米安全保障条約の中で暮らす国民として、一番身近な存在で何度も読んでいる。
自分の住んでいるところに米軍の基地がある人たちなら、憲法の解釈と理解は、私たちより熟知しているに違いない。
オスプレイの強制配備は、沖縄県民は国家に人権を無視されている。
函館市民は大間原発建設再開で、沖縄と同じく国家に無視されている。
国家というものならまだしも「電源開発」という、水力や火力発電が専門で、原発建設は初めてだという一会社が、世界初のフルMOXという、実験も成功していない原発の建設を開始するというのは、随分なめられたものだ。
しかし我が国では、親分が国で子分が電源開発と言うことでもないようだ。
「建設再開は電源開発側にある」と政府はいうから、原発エネルギー問題は電力会社の言いなりのようだ。
以前、横綱の品格問題が騒がれた時、大相撲の親方がマスコミに向かい「朝青龍に怒られるぞ」といったのと、よく似ている。
国民が原発会社を怒らせると、節電はしなければならないし、料金の値上げまでされるのだ。
というところで、日本国憲法を考えてみた。
※ハーレー・ダビットソンがいる風景。

まずは、前文。
政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないよう・・・。
戦争は原爆投下で終了した。福島の原発事故はそれと同じではないか。
さらに、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する・・・福島県はいまだに16万人が戻れないでいる。
前文からこんな状況だ。あまりにも憲法違反が多いようなので、はしょってみる。
第3章の「国民の権利と義務」だ。
第11条。基本的人権は侵すこと出来ない権利として、現在及び将来の国民に与えられる。・・・そうなっているだろうか。
第12条。自由・権利の責任とその乱用の禁止である。・・・国民は必死で税金を支払っている。それを勝手に使い、世界一の借金国にまでした我が国の責任はどうなのか。
第13条。ここが最も肝心らしい。全ての国民は個人として尊重される。・・・沖縄県民や東日本の被災地の人々は、尊重されているのか。そして我々函館市民もだ。公共の福祉などは誰も違反していない。違反しているのは国ではないか。
早朝から血圧が上がっているようだ。
「憲法漫才」を思いついた。
「何が国民の権利だ、人権だ。オスプレイやプルトニウム、笑わせちゃいけないよ。憲法第九条を知っているのか、このボケ・ドジョウ。お前らは国民に対し喧嘩を売っているのか。オスプレイや原発による威嚇または武力の行使は、正義と秩序と平和を基調とする日本国民が選挙権を行使し、永久にお前らを放棄してやるぞ」
現在、大間原発建設反対訴訟が函館地裁に起こされている。
憲法第13条が争点らしいが、私は第九条を争点としたい。
大間原発は、プルトニウム239という、世界最大の猛毒兵器の「時限爆弾」なのだ。スイッチを入れたら、いつ爆発するかもしれないその恐怖に我々は脅え続けるのだ。
条文内の国際紛争を、国内紛争と置き換えてみる。
『国内紛争を解決する手段としては、永久に原発を放棄する』
こんな憲法解釈はいかがだろうか。