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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

近代国家成立における天皇と教育と戦争

2019年01月20日 12時12分43秒 | えいこう語る

▼世界の国々が21世紀に入り、また自己主張を強めてきたようだ。その先頭に立つのが「アメリカン・ファースト」の米国だ。

▼米国と軍事同盟を結ぶ我が国も、自己防衛意識を高め、集団で事にあたらなければ国家の安全は保てないと考えてきたようだ。

▼我が国を取り巻く環境も、今までは平穏を保ってきたが、
同盟国米国の自己中心的な行動で、周辺事態がざわつきはじめている。

▼こんな状態であれば、国家の安全・安心を保つには「憲法9条」を改正し、軍隊を保有しなければならないというのが、アベ総理の憲法解釈だろう。

▼だがその解釈は、我が国の目指す恒久平和にはならないというのが、憲法学者の大多数だ。だがアベ総理は憲法学者の考えが間違っているという。つまりトランプ大統領とアベ総理の学力は、同レベルなのだ。

▼というのがいつもの私の結論だ。軍事力を背景にする国家の維持というのは、明治維新から近代国家へと移行した時期と似ているようなので、そこに焦点を当ててみる。

▼我が国は江戸時代に何百もの藩からなる連合国家だった。19世紀に入ってから世界は統一国家ができ、独立国ができた。明治維新は国民国家をつくろうとした動きだった。

▼殿様のために命を投げ出すというモラルを、別のものに置き換えようとした。それには新しい統一の象徴として、天皇家は格好の材料だった。

▼黒船が来襲する。侵略的な強国の存在が国民意識を固めさせた。日本の統一を目指すナショナリズムは、攘夷思想とペアーだった。

▼戦争は一気に国民意識を強める。国家統一には戦争がいちばんだ。そして民族や国家を意識するには「国民教育」が必要だ。

▼民族や国家というものは見えない部分だ。その見えない部分をつくり上げようとしたのが「教育」だ。これは近代国家が判で押したようにやったことだ。

▼「国旗」を掲げ「国歌」を歌うことを習慣づけ「教育勅語」を唱えさせ「仮想敵国」設けながら、その意識を植え付けようとした。

▼こうした装置が万全に機能し、近代国家としての日本は、神としての天皇、さらに国民教育、その結果が「戦争」へとつながっていく。教育の原点はとても「暴力的」なのだ。

▼簡明でひじょうにわかりやすい説明だ。これは作家で精神科医の・なだいなだ著「民族という名の宗教・人をまとめる原理-排除する原理」の中から、抜粋したものだ。

▼「憲法改正」や「道徳教育の教科化」。さらに「天皇を元首」とする動き。「対米従属」による「軍事力強化」などの我が国の現状は、明治維新後の「富国強兵」に脈が通じているような気がする。

▼間もなく、アベVSプーチンの首脳会談がある。「日ロ平和条約」が、領土返還すら程遠い「不平等条約」であれば、アベ総理は、米国やロシアの「忠犬ポチ公」だ。

▼この本では、類人猿から進化した人間の成功は「集団をつくり共同して狩りをするようになったから」だという。私のように田舎に住んでいて、進化についていけないものは「集団的自衛権行使容認」というのは、人間の本質が現れた、ごく野蛮な時代の考えだと思う。

▼さらに「人間の敵は人間だ」という、なだ氏の指摘が、私の心を捉える。「反省は猿でもする」という言葉あるけど「戦争の反省」をきちんとしなかった我が国は「猿以下」なのかもしれない。

▼アベ総理の顔がマントヒヒのように思えてきた。アベ総理、プーチンのカワウソ顔を、ひっかいて帰ってきてほしい。