▼「節度ある飲酒」が私の長年の目標だ。だが、昨年もその目標が達成されたとは断じて言えない。年の終わりの(大晦日)と年の初めの(お正月)が、すでに「節度のない飲酒の日」なのだ。この二日がなくならない限り、この目標は達成出来ないということを、70歳になってはじめて理解できた。
▼2019年、初めの広辞苑開きだ。節度=度を越さない。他に、天子が将師に出征を命じた時、その符節として賜る大刀・旗・鈴などの類とある。
▼そう言えば「恩賜の軍刀」などという言葉を思い出す。明治天皇から始まったらしいが、陸・海軍大卒の首席と優等が、天皇から賜ったという。その恩賜組たちが、戦争を拡大していったのだろうか。
▼自衛隊トップのアべ大元帥閣下は「恩賜の軍刀」などいただいていないはずなので「節度がない総大将」ということなのだろうか。などと、少しお酒の残っている脳が、そんなたわいないことを考えさせている。
▼ということで31日と1日は、読書などは無縁だったので、今日2日目から、歳末に購入した藤原正彦著「国家と教養」を読んでいる。
▼私は年齢より体重が7キロ多いので、栄養は付き過ぎているので「我が国の教養」というものが、どんな複雑な味がするのか興味津々だ。
▼その本は、第二次大戦後教養主義が衰微しているとし、一人一人が立派な市民でなければ、民主主義は成り立たないという。
▼1864年生まれの、ドイツの社会学者マックス・ウエーバーは「資本主義発展の最終段階では、精神性のない専門人、心情のない享楽人など無なる人々が、自分たちは人間性にかつて達したことのない高みに登りつめたと自惚れるだろう」と予言している。
▼現代人は科学技術や生産手段の進歩を、人間性の進歩と勘違いしたまま、自惚れと傲慢に身を置くようになったのではないかと、藤原は解説する。
▼持続可能でクリーンエネルギーと呼ばれた、原子力発電所の事故。スマホなどの進化による、知識が氾濫する節度なき社会の出現を言うのだろうか、などと考えてみる。
▼バッハ・ベートーベン・カント・ヘーゲル・ゲーテという、知性と教養の最高峰と言われた人物を輩出したドイツ。この国は、第一次大戦と第二次大戦で主役を演じた。この時代はヨーロッパで、さらにわが国でも教養の地位が低下したためだという。
▼教養=教え育てること。他に、単なる学殖・多識とは異なり一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。「広辞苑」
▼我が国の先の大戦を振り返ってみると、確か教育現場では、教えたが育てることはせず、国家のために死んでいくことを教え込んだ。
▼個人が身につけた創造的な理解力や知識というのもを、すべて封殺してしまったのが戦前教育だった。そんな教養の地位が低下した時代に、戦争が起こるという事なのだろう。
▼最初に戻るが、一人一人が立派な市民でなくなれば民主主義は成り立たず、国家主権が台頭して教養を衰微させ、戦争につながるというのだろう。
▼憲法改正が叫ばれ、日米の軍事同盟が強化され、間違いなく軍事国家に向かいそうな2019年。トランプ大統領とアベ総理。この二人は「国家と国民の教養」を貶めようとしているのではないだろうか。
▼「貿易戦争」という新たな戦争を米国が仕掛けている。その国と集団的自衛権を行使して、共に戦おうとしているのが我が国だ。
▼入管難民法の改正は、貿易戦争に勝つために兵隊(労働力)の確保だ。「TPP事変?」も、やがて米国の参入で戦いの主導権をとられることになるに違いない。
▼「日米安全保障条約」とは軍事同盟の強化で「世界経済戦争」を制するための条約のように思えてくる。ウエーバーが予言した資本主義発展の最終段階は、何だか迫ってきているというような気がする「国家と教養」という本を、半分読み進んだ感想です。
▼2019年通常国会も、夏の参議院選に合わせ、1月4日にも開会されるという。国会中継を観てわが国の教養のレベルを確かめてみたいものだ。