▼随分前だが、哲学者梅原猛さんが、テレビで「聖徳太子」の解説をしていたのを偶然観た。その時の内容は、いま鮮明ではないが、私たちが学校で習った法隆寺の「夢殿」は、聖徳太子が思索にふけった建物と思っていたが、実は、太子の怨霊を鎮める為に建てられたという解説に、吸い込まれてしまった。
▼梅原さんの学問追求の姿勢は【大胆な仮説】だ。「大学教授で退職時に大過なく過ごしたという人は、先輩の説を踏襲し、何も新たな研究に挑戦しなかった人だ」と言ったのを覚えている。
▼仮説=自然科学その他で、一定の現象を統一的に説明しうるように設けた仮定。ここから理論的に導き出した結果が、観察・計算・実験などで検証されると、仮設の域を脱して一定の限界内で妥当とする真理となる。「広辞苑」
▼私は梅原さんの著書「隠された十字架・法隆寺論」などの著書を何冊か読んだ後、京都駅から一番列車に乗り法隆寺に出かけた。法隆寺正門に立った時、五本の柱の前で梅原さんの仮説に改めて驚いた。
▼奇数(5本)の柱とは、門の真ん中に1本柱が立つ構造だ。それは、入る者、出る者を拒絶しているように思えたからだ。これこそ法隆寺が太子の怨霊を閉じ込める寺だと実感したのだ。
▼梅原さんの「仮説」は、優れた「直観」によるものだと思う。その直感は「真実の究明」という哲学者ゆえの使命感により、磨かれた感性に違いない。画家・岡本太郎さんが、縄文の火焔土器を見て「芸術は爆発だ」といった直感と酷似している。
▼「夢殿」の見学も、梅原流の視点で堪能できた。法隆寺を出てから、次の駅まで野道を一人で歩いた。周囲のたたずまいは、この道を太子一族も歩いたに違いないと感じさせる、時代に引き込む風景がいたるところにあった。
▼道を進むと、周辺に点在する小さな古寺が私を誘う。そこ立ち並ぶ仏像たちも、法隆寺の仏像たちにも負けぬ威厳を放ち、飛鳥路を歩く旅人を慈悲の心で歓迎してくれた。
▼梅原さんは縄文文化の研究家とも知られ「近代文明と縄文の対比」などについての考えを述べられていた。アイヌ民族は縄文文化の後継者だとして、函館市で行われた講演会でも「アイヌ民族研究センター」の開設を期待していた
。その思いは、現在アイヌの聖地、白老町に建設され実現しようとしている。
▼私は梅原哲学の根底にあるもの【道徳】ではないかと思う。【九条の会】の発起人の一人である梅原さんは「憲法改正」に反対しているだけではないと思う。
▼もともと日本は、神の国だったが、聖徳太子からは仏教の国となった。天皇は【仏教徒】だったのだ。それが強制的に神格化され「明治維新」から、天皇を神にして富国強兵国家をつくり上げ「教育勅語」を精神の主柱とし、戦争に突入してしまったのだ。
▼戦後「国体は護持」されたが、実は「対米従属」という
、二重構造の「曖昧な国家」が出現したのだ。「戦後レジウムの解体」などという「明治維新」のような、改革の御旗を掲げ【憲法改正】を目指すのが、二度目の「坂の上の雲」を目指す総理の出現だ。
▼「九条の会」の梅原さんは「教育勅語」にはいいものもあるが、現在の我が国には「日本国憲法」を支える「道徳」が確立されていないという。「道徳」というものは、国家安定の秩序を保つものということか。
▼道徳教育が義務教育の中で教科化されたのは、好ましいことだ。だが「教育勅語」にはいい考えがたくさんあるとし「教育勅語」を、学校現場で話し合ってもいいという文部省見解も短絡的だ。
▼「聖徳太子」の「十七条の憲法」を見習えという、改憲派の意見もにも違和感を感じる。「和を以て貴しと為す」は「和の精神」に重点を置き、国家の安定のためには「国民は国家に従え」というような、そんな考えと勢いが今の政府だからだ。
▼太子が言う「和」とは【調和】という意味だ。様々な意見を聞き「調和」のある国家こそ、太子が目指した平和国家なのではないだろうか。
▼自民党改憲草案に「天皇は国民統合の象徴であり【元首】だとある。「元首」とは、さらに天皇に何か重大な責任を、持たせることになりはしないだろうか。
▼天皇家は仏教徒だったが、明治からは近代国家の建設で「国家神道」の「神」とされた。そして敗戦により「神」から降りることになった。政治に左右された天皇家の歴史がある。これが「曖昧な日本」の元凶なのかもしれない。
▼梅原さんは日本の歴史全般に「仮説」を立てた。それは「歴史書」というものが、時の為政者の都合の良いように改竄される傾向があるからだ。そこに「大胆な仮説」を試みることにより【日本人とは何か】という謎説きに挑戦したように感じる。
▼【日本国憲法を支える道徳】の確立こそ、今の日本に必要欠くべからざる要素ではないかと、私たちに問いただしているような気がする。
▼梅原さんは「まとめ」をあえてしなかったような気がする。それは自分の「仮説」だったのを意識していたように思う。膨大な資料を残したままの旅立ちだったが、その資料を基に、私たちは梅原さんの「日本の歴史」から、次の平和な未来へのヒントを学ばなければならないだろう。
▼「憲法改正」や「道徳教育の教科化」など、我が国も転換期に入ったようだ。そんな平成が終わろうとしている今年、天皇の先祖を祀っている「伊勢神宮」に、自民党も参拝した。続いて野党第一党の立憲民主党も参拝した。【立憲自民主党】に一体化か、と思わせる「曖昧な行動」だ。
▼米国・中国・韓国・北朝鮮・ロシアなども、日本を囲い込んで、搾り取ろうという作戦に出ているような気がする
。「憲法改正」がいいか、それとも「日本国憲法を支える道徳」の確立を目指すか、梅原さんが国民に問いかけた「仮説」は、ひじょうに大きなものがあるというのを、梅原フアンの私として感じるところです。
▼まとまりがなくて御免なさい。