鬼平や竹鶴~私のお気に入り~

60代前半のオヤジがお気に入りを書いています。

お気に入りその728~竹鶴政孝パート207

2013-01-29 12:23:13 | 竹鶴
今回のお気に入りは竹鶴政孝パート207、「彌谷さんと私」です。

最近、偶然にも竹鶴政孝関連本を続けて購入しました。
ニッカウヰスキー編「彌谷さんと私」と加賀正太郎制作「蘭花譜―天王山大山崎山荘」
の2冊です。

「彌谷さんと私」は、竹鶴政孝に望まれてそのあとを継いで社長になった彌谷さんの
追悼のためニッカウヰスキーが関係各位に文章をいただき、編纂・発行した本です。

追悼企画という性格上、同じ非売品でも、竹鶴政孝著「ウイスキーと私」と比べ、
発行部数が少ないとみえ、古本の市場でなかなかお目にかかりません。
出版された昭和48年当時のニッカウヰスキーを知る大切な資料として一読したく、
ずっと探していました。
2年前ネットオークションで見かけ入札参加しましたが残念ながら落札できません
でした。
今回偶然、ネット販売している古本屋さんで見かけ、急ぎ購入しました。

全国のニッカを扱う卸店・酒屋・飲食店の方々をはじめとして、ライバルメーカー、
前職マルキン醤油の関係者などの文章が載っていました。
そして最後は後任の土井社長、そして竹鶴会長の追悼文で締められていました。

多くの人々の文章から知ったことは次の通り。

・彌谷社長はアサヒビールの山本社長の推薦で竹鶴社長時代に専務として入社し、
 営業のスペシャリストとして販路拡大を実現した。
・象のような巨体に小さな優しい目をして、小さな声で朴訥とした語り口だった。
・やり手の営業マンタイプではなく、情と人柄でファンを作っていくタイプだった。
・その姿から誰も想像つかなかったが、コロンビア大学出身で英語が堪能。
 GHQに同級生がいたため知人の陳情の仲立ちしたり、業界の海外視察を常に
 リードした。
・多忙にもかかわらず、時間を割いては全国各地の飲食店に顔を出し続けた。
・2級ウイスキー、ハイニッカ、G&Gの発売などヒットを続け、かつニッカ会を
 立ち上げ業界人のファンを増やした。
 特に竹鶴社長を粘り強く説得し、2級ウイスキーの販売にこぎつけ、販売量を
 拡大した功績は大きい。 
・また全国どころか海外にまで販路を拡大すべく大車輪の活躍をした。

彌谷社長はまさにニッカウヰスキー中興の祖。
彼なくして今のニッカはなかったことがわかりました。
ニッカファンとして感謝しながら読みました。

今まで高い技術力や素晴らしいアイデアをもって起業した会社の多くが、逆に
技術力やアイデアに溺れ、敗退しました。
その原因は「良いものは高いのが当たり前。価値が認められれば必ず売れる。」
という高い志に営業力が伴わないためでした。
ニッカも竹鶴が持つ日本一の技術力だけでは敗者になっていた可能性があります。
それを心配したアサヒビールの山本社長が営業力強化のためテコ入れしたのが
彌谷専務。
まさに名人による見事な一手でした。
ニッカファンとして、ニッカ成功へのターニングポイントの時代を実感できた
本書は納得の一冊でした。
これまで竹鶴政孝関連本を手当たり次第に読んできましたが、確実に上位に
入る一冊でした。満足。

さて次の一冊は加賀正太郎制作「蘭花譜―天王山大山崎山荘」。
本書は、ニッカウヰスキーの前身、大日本果汁の設立に尽力した加賀が制作した
「蘭花譜」および「天王山大山崎山荘」について書かれています。
ただしまだ届いていないので、これについては次回書きたいと思います。
コメント
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